中国の環境について

―大気汚染問題に焦点をあてて

陳航

 

0、            はじめに

中国においても、環境観測の結果を統計にとって分析したところ、全国の環境は依然としてかなり厳しい状態にあり、各種汚染物質が大量に排出され、汚染の程度もまだかなり高い水準にある。環境の質が悪化しているところさえあり、かなり多くの都市では水、大気、騒音、土壌の環境汚染が今でも深刻な状態である。中国の環境問題について調べてみようと、本を借りてみた。大気汚染問題に焦点を当て、今回は中国のごみ問題の現状と対策について述べてみたい

1、中国の大気汚染問題の現状

中国の大気汚染環境は依然として煤煙によるものが主で、主要汚染物質は総浮遊顆粒物質と二酸化イオウである。数は少ないが、特大都市では煤煙と自動車の排気ガスの両方による汚染がひどい。酸性雨の汚染範囲はほとんど変化ないが、汚染度も相変わらず高いままで下がる気配がない。総浮遊顆粒物質(TSP)は中国の都市の空気を汚染している主な物質で、60.0%の都市で測ったTSP濃度年平均値が国家2級標準を上回っている。二酸化イオウの濃度の年平均値が国家2級標準を超えた都市は、統計に取った都市の28.4%を占め、窒素酸化物による汚染がひどいのは、多くの場合人口が100万を超える大都市である。都市の空気の質が悪化する傾向はやや緩和され、一部の都市では空気の質が改善された。しかし、依然として汚染がひどい都市もまだ存在する。

2、措置と行動

1自動車汚染の規制の進展 ガソリンの無鉛化を達成した地域には、北京市、上海市、天津市、重慶市、海南省、広東省、遼寧省、福建省および江蘇省があり、そのほかの省や区でも70都市以上がガソリンの無鉛化を実現している。無鉛ガソリンの全国消費量は、すでに自動車用ガソリンの70%以上を占めている。国家環保総局も《車用ガソリンの有害物質規制標準》と《自動車汚染予防、清浄化のための技術経済政策》を公布している。また、国務院の関係部門からは《自動車清浄化計画に対する若干の意見》が公布されている。

2石炭業界の「炭鉱の閉鎖による減産」 《国務院の、不法または配置が合理的でない炭鉱を閉鎖することに関する問題についての通知》に照らし、国家経貿委、国家煤炭工業局、国家環保総局など6部門から構成される、石炭業界の炭鉱の閉鎖による減産作業指導チームは、共同検査を実施している。配置が合理的でない炭鉱を取り締まり、閉鎖したため、石炭が圧縮され、高イオウ石炭の年産量があまり減った。

3)小型火力発電ユニットの停止、小型セメント工場の整頓 現在小型火力発電ユニット290万キロワット分を停止した。生産能力2000万トン分の小型セメント工場を淘汰した。

4)鋼鉄、冶金工業構造の調整 小型高炉250基が停止となり、製鉄能力400万トン分、製鋼能力500万トン分、製鋼圧延能力1000万トン分が圧縮、淘汰された。

3、中国の環境改善に向けた提案

中国の環境問題は中国国内の問題であると同時に、超大国であるがゆえに国際問題ともとらえられる。そこで、中国では実施中の施策も多いと思われるが、我々なりに中国の環境改善に向けた提案を試みた。
 現在の日本企業が行なっている自主的環境行動が、近い将来に中国で普及していくとは思わない。したがって、環境改善にはひとえに行政の計画や指導が重要である。中国政府は施策推進に強い指導力を持っておられるようである。しかし、中小企業には行政の指導が行き届かないのが現状と推察される。一方、大企業に対しては十分な行政指導が可能であるし、企業も受けるだけの余力は持っていると思われる。以上の前提で今後の方向性を考察してみた。

1)天然ガス化など自動的に環境改善が可能な対策の指導(中小企業向け)

   都市大気環境改善は、中国で現在実施している天然ガスなど良質の燃料への転換が最も効果的と考える。行政施策としての天然ガス化の妥当性は公害抑制効果が非常に高い。当面、排気モニタリングを実施しなくとも規制遵守が保証される。天然ガスは中国が豊富に埋蔵し、自国の意思で使用可能である。ということか。少なくとも、小型ボイラー使用事業者にモニタリング不要の法的根拠を与えれば天然ガス化路線は現実解といえる。

2)社会的責任を十分背負ってもらうための公害対策体制の指導(大企業向け)

  大型ボイラーなど大容量の石炭焚き機器所有の企業には、排気基準の厳重な遵守と管理を求め、行政的指導を強化する。また、環境管理者の設置などを義務付け管理上の指導を行なう必要もある。ここを強調する理由は、「排気処理装置が運転されていない事業者もある」と聞いたからであり、理由の如何は別にして「法遵守の徹底」がまずあるべきではないかと思う。

(3)社会インフラの整備

 上記()()のため、ガス配管敷設など燃料供給インフラの整備は急務である。また、排気処理技術情報などで現実的装置情報を行政が確保すると同時に事業者へ指導を行なう。一方、省エネルギーも重要な環境保全施策と位置付け、事例研究などを行い、事業者の具体的指導と改善のための融資も検討する。汚染者負担の原則が曲解されないよう制度の強化を図り、環境保全を第一義としたものとする必要があると考える。

(4)排気ガス・排水処理施設などのメンテナンス会社設立を行政主導で推進

  排気ガス・排水等のモニタリングや排気ガス・排水処理施設の維持管理につき事業としての受け皿会社を行政主導で作って推進する手もある。新しい環境ビジネスの可能性が考えられる。

 5)人材の育成

  環境技術の移転では、まず人材の育成が一番大事であると考える。今回の調査で面談した方々の中でも、環境法規制、防止技術、測定技術等のすべてを理解している人は非常に少ないと感じられた。日本でいう公害防止管理者的な人材を育成し、真に必要な環境技術ニーズは何なのか、真の環境実態はどのようなレベルなのかを正確に把握する必要があると考える。

4、まとめ

中国の環境行政は先進国に遅れをとりながらも近年進展している。にもかかわらず大気問題が依然として深刻にあるのは、行政によるトップダウンによる対策一辺倒で、一般人民にまだ充分浸透していないのが一因と思われる。現在都市の空気の質が悪化する傾向はやや緩和され、一部の都市では空気の質が改善された。しかし、依然として汚染がひどい都市もまだ存在する。中国の環境問題について考えていくことは大変重要であると感じた

参考文献:http://www.apec-vc.or.jp/apec_j/needs/china/page01.htm

      http://www.apec-vc.or.jp/apec_j/needs/china/page08.htm

http://www.apec-vc.or.jp/apec_j/needs/china/page10.htm

http://www.apec-vc.or.jp/apec_j/needs/china2/page27.html#6

http://www.apec-vc.or.jp/apec_j/needs/china2/page28.html

 

中国福建省福清市龍田鎮の市民生活

余肖静

 

私のふるさとは中国福建省福清市龍田鎮だ。福建省は中国の中でも、最も遅れて開けたところで、文明化の程度が低く、気風の荒っぽい新開地であった。そのうえ福建の海岸には天然の良港が多く、海外貿易で古くから繁栄していた。このことと耕地が少ないこととあいまって、福建人は十六世紀以来、大量に東南アジアの各地に進出し、いわゆる華僑の先駆になったのである。そして、その際、秘密結社の組織も持込んだのである。福建人につづいた潮州人、客家人、広東人、海南人も同様であった。世界で成功している華僑のグループの中で、皆が外国でいろいろな先進な技術を学んで、国へ帰って、勉強した技術を活かして、発展自分のふるさとのために貢献して。例えば、ふるさとの建設とか、教育の投資とか、本当に助けた。

 今、私の家族が住んでいるところは福清市龍田鎮というきれいな町だ。「龍田鎮」この名前の由来は、最初「龍田鎮」は「牛田鎮」と言った。意味は、七十年代頃、この町の中で耕地が多い、労働力は一番大切だ、だから、牛を飼って大量の土地を利用して、生活のためにいろいろな小麦や米を播く。機械はあまり使わない、全部人力だ。とても落後な町だ。この町では近年経済の発展が進んでいる、先進な技術を引進した機械化代替人力、市民の生活水平だんだん小康水平になる、これから、この町の名前変えた。七十年代から今への飛躍は、龍田鎮を舞台とする歴史においての大転換であった。近年、龍田鎮の環境と生活が改善している、現在生産されている作物、貴重な自然の存在、気候をうまく利用した生活様式。龍田鎮市民の食生活について、現在の龍田鎮では朝の食事は、大半の家庭では屋台の食事ですますことが多いそうだ、龍田鎮の屋台は品数も豊富で値段もやすいため、一般的な家庭で気軽に利用できる、よく食べられているメニューとしてはご飯、ラーメン、お粥などがある、昼食は、一時間半から三時間半程度のランチタイムがあり、夕食は家族そろって各家族でたべることが多く、ご飯を中心として、野菜や肉、魚を炒めたものと、煮物類、スープといったものが食べされたと考えられることだ。私の家族は五人だ、みんな一緒に住んでいる、毎日美味しい料理を作って、食べてとても楽しいだ。

 私は住んでいる町がちいさいだが、きれいだ、一度遊びにきて下さい。

中国人の家族観について

 

1.中国人の家族観
中国人にとって家族は、人脈の最小単位と言われるほど強く結びついたものであり、中国人にとって家庭の団欒はなによりも大切なものになる。夫婦共働きが当たり前の中国では、男性の家事参加や子どもの送り迎えも日常のことになる。会社ではなく自分自身や家族の利益のことを考え行動する、ビジネスにおいても家族が最優先となる。
 個人の利益の追求と徹底した自己主張をする反面、対価を求めず相手を助ける心、和を大切にする心のあるのが中国人である。
 個人主義の中国とはいっても、それは欧米のように宗教に基づいた神に対する自分という意味ではなく、家族、血のつながりに基づいた、あくまで家族あっての個人という意味での個人主義、言い換えれば「家族主義」という中国の家族主義は純粋に家族・身内を単位としている。このようなことは、中国を紹介しているホームページでもいわれている。
 中国人の人間関係は三重構造の人間関係だと言われている。他者に甘えなくても独立して生きられるという個人の独立をベースに、自分を中心にして独立を考える必要のない血のつながりのある身内関係と、独立するために頼らなければならない義理関係、そして独立には頼る必要のない赤の他人関係、という三重構造になる。
 現在、中国と日本とにおいて、高齢者人口の増加に関する問題が深刻化している。中国での高齢化率は、一人っ子政策の影響で子供や青年が少なくなっているためもあり、毎年増加し続けている。このように、老人を支える人(若者)が、支えられる老人に比べて少なくなりつつあるということは、深刻な社会問題である。中国では家族意識が強いことから、家庭介護が中国での老人介護の最も主流なスタイルとされている。民政部関係者も、家庭介護を主体とする考えから、現状でもやはり家族中心の介護であるという考えを持っている。
 このことは、法的にも強調されており、憲法のなかに、年老いた親の扶養の義務が規定されている。それは「青年の子女は、父母に対して扶養、介護を全て受け持つ」という規定であり、婚姻法、そして刑法でも、「悪意の扶養の拒否」に対しては刑事罰も課して、家族の扶養義務を法的に強調している。日本と違うところは扶養の意味で、日本の場合では民法において、扶養とは「経済的な扶養」のことだと考えられている。民法上の扶養義務には介護は含まないというのが通説である。しかし中国では法的にも、介護を含めて子供の義務として捉えられている。扶養義務の中身として、経済的な扶養、介護、そして親孝行が取り扱われている。つまり高齢者が気持ち良く過ごせるように、精神的な扶養の義務をも子供は負っているということになる。また中国は2000年に、社会基本養老保険、企業が補充する養老保険、個人の積み立てによる養老保険を結び合わせた多重養老保険体制を確立した。基本養老保険は国、団体、個人の三者が合理的に負担するものである。このため多くの老人を養うために、青年はさらに大きな負担をこうむることになるという状況が続いている。
 一方日本でも、高齢化と少子化の影響で、多くの老人を若年者が介護せざるを得ないといった現状がある。そのため、介護をする家族の身体的、精神的負担からくる「介護疲れ」の状況もしばしば見られるようになってきた。この影響で家族間の人間関係そのものがそこなわれるケースもある。また、老人問題は医療費の増加にも影響している。現在医療費は増加を続けており、その中でも老人医療費が占める割合は突出している。このために誰が財源を負担するかということが問題となり、今のところは若年者が負担せざるを得ないといった状況にある。このため若年者と高齢者の負担の均衡を図るなどの対策が必要となっており、現在では増大する老人医療費の対策以外にも、介護保険制度の導入などを背景として、医療制度の抜本的な改革が計画されている。しかし、高齢化が進む中で増大する老人医療費を、減少する若年者が負担するという状況は相当に苦しいものだと予想することができる。その対応策も現在決定的なものはなく、増加する高齢化率とそれによる若年者の負担は避けられない問題となるだろう。
 このように中国と日本では深刻な高齢化の問題があり、そのために大きな負担を受けてしまうのが、減少している若年者という共通の事態が見られる。

2.    日本人の家族観

日本人の家族観としては、集団主義の考えがある。そして、『日本社会の家族的構成』によると、この日本における集団主義を形成した因子が日本の家族制度である。
第二次世界大戦以降の日本家族における最大の変化として「家」制度の崩壊があげられる。高度経済成長が始まる頃には、同じ土地に居続けなければならいない制約が薄れ、都市圏の工場などで大量の労働力を必要としたこともあって、農村地帯の余剰人口が大量に大都市圏に流れ込んだ。農村から都市への人口移動の中心となったのは、主に次男・三男であり、彼らは親と同居する必要がないから、そのまま近郊の住宅地で核家族を形成していった。このように、日本における、「家族主義」から「核家族化」への移行は顕著であると言える。また、最近では、欧米の「個人主義」の価値観も、日本において、特に若年層の間で広まってきている。

中国では家族主義により、家族を大切にすると考えが依然と根強い。一方日本では、核家族化の進行により、家族間の絆が薄れつつあると考えられる。そのため、中国の若者の方が、老人医療費の負担に関して、寛容ではないのだろうか。

 

中国人と日本人

朴光哲

前書き

 中国と日本は長いつきあいの歴史を持つ隣国である。しかしながら友好関係と敵対関係がまざっているお互いに息苦しかった中でも相手を理解しようと真剣に考えたことがなかった。そのため日中関係はいつも「曇りときとき雨」だった。何がある度に取り上げる戦争の問題に日本人は飽きてしまい、小泉首相の3回の靖国神社参拝に中国人はすごく怒りを感じる。経済交流が盛んでいる民間の間でもトラブルが後を絶たない。中国のwto加入と日中国交正常化30周年を契機に飛躍的交流を迎える前にまず相手のすべてを受け止めて理解しようとする姿勢と努力が必要ではないかと思う。そのため中国人と日本人の国民性を比較することにした。

宗教観

宗教が「気休め」の精神安定剤のような役割を果たすという点では共通する。しかし、日本人の宗教観は重層信仰である。いくつもの宗教が並存し、一つの家に神棚と仏壇とが並んで設けられている。キリスト教会で結婚式をあげた人が、子供が生まれればお宮参りのために神社に行く。日本人はただひとつの宗教だけを利用するのは「融通の利かない態度」であると見てできるだけ多様な宗教を利用しようと心がける。各宗教の信者数の合計が總人口をはるかに上回る2億1400万ということはなかなか理解してもらえない。

中国には6割が無宗教であり仏教信者はわずか6%、民族宗教が20%である。信者にはタブーが多い。食べ物、飲み物には厳しい制限があり、さらに結婚はもちろん異性との接するのも禁じされている。祈りや断食など強制されることが多い。宗教は厳粛なものであり、信者はその戒律に従って生きていつことは最低限心得ておくべきだと思う。戒律を破ってはいけない。

言葉の曖昧さ

  「ノー」と言えない日本人ということが話題になった。日本人がいつも「ノー」と言わないわけではない。兄弟や親しい仲間同士では気軽に「だめだよ!」「いやだ」「違ってるよ」という言葉は使用されている。はっきり言えないのは、ある人間関係を前提にしていることが多いのであって日本語にそのようなことばが存在しないということはない。それを使うことによって相手の気持ちや意志を尊重しないということを宣言する役割を果たすことが多く、口論のきっかけになる場合が少なくない。無理な要求をされたら「一応考えておく」「努力してみる」などと言ってしまい、両者の理解の差を生み出し、問題化させることは確かに多い。

  日本人は人に何か頼まれたとき「結構です。」といいます。これは「どうも」と同じようにとても便利な言葉でyes,no両方の意味があるのです。日本人ならすぐにどちらかわかるのですが、外国のひとには分かりにくいです。

  中国人は直言を好む。言葉のやりとりで重要なことは相手に自分の意思をはっきりとわからせることだとおもっている。だから自分の立場や考え方をはっきり主張しない日本人は「中国人ははっきりしすぎる」と言う。

職人と商人

  日本人は海に囲まれた島国に育っててきた。資源のない国だから原料の大半は外国から輸入している。その安い原料を買ってきて素材をつくる。職人気質を持った日本人は付加価値のある生産を手がけてそれに成功した。また日本の人気製品を見ると元は外国から輸入したものである。すでに外国で商品化されたものを輸入して更に改良してすぐれたものにして再輸出しているものがたくさんある。この点では日本人には独創性がないと言われても仕方がない。すなわち日本人は商品化の過程で、生産性をあげたり、コストを下げたり、不良品の発生を防いだり、あるいは諸費者の利便を考えた改善に重力をあげている。

  中国人は商人である。物の値段に敏感であり、まず絶対に定価通りに物を買わない。必ず値切ってみる。値切って負けなかったりすると「人の顔を立てない奴だ」「融通のきかないやつ」と怒って出て行く。だから売り手は高目に値をつけておく。値切られると「これじゃ大損だ」と身ぶり手ぶりで拒否しながらも、最終的には応ずる。ほんとはこれほど上手な買い物でなかったかもしれないが、顔を立ててもらったということで、お客のほうも満足して引き上げて行く。

  日本人は物をつくって付加価値で稼ぎ、中国人はものを売って差額を儲ける。職人と商人の違いがそこにある。

外国人、民族、男女差別

  「外国人」:外国人とは正確に言うと外国に住む人、つまり外国公民である。外国公民は尊敬と平等の意義の表現であり、一つの国家に対する認可である。日本人と中国人の外国人に対する見方はぜんぜん違う。日本で外国人とは犯罪と結びついた代名詞になってマスコミでもよく取り上げられる。外国人犯罪と非法入国者の増加に伴って外国人への偏見、差別は表に出た。就職のとき、お部屋探しのとき、外国人はよく断れる。

  日本人の差別意識が強烈なのは人間を区別する基準が「血」という決定的なものであるせいであろう。島国としてもともと異分子が少なかったこと、団結の妨害になるかもしれないものにたいして警戒心が異常に強かったという事情がある。だから、仮に帰化してもヤマトの血をもたぬ者は「仲間」とは認められない。

  しかし中国では、外国人は友人であり、いつも尊敬され、歓迎される。人々は外国人にはいつも便利を図ってくれる。中国人にとって外国人は羨ましい存在であり、友好の使者である。

  「民族」:民族というと日本にはヤマト民族しかないと思い込んでしまう。実は北海道には2万人ぐらいアイヌ民族がいる。19世紀後半から北海道開拓が進んで日本政府はアイヌ民族を日本社会に同化させることを基本方針とした。法律上アイヌ民族はいま日本人として平等の権利をもつとはいえ、多くの人はまだ貧困に苦しみ、就職、結婚など社会生活のさまざまな分野で不当差別を受けている。

  ところが中国ではどうでしょう。言葉、習慣、文化が違う56個の民族があるが、中国政府は建国から民族平等、共同発展の方針で民族問題を解決する。かりに民族差別があったら想像を超える大変なことになるに間違いない。

  「男尊女卑」:日本には確かに男尊女卑傾向があり、男の社会とも言える。女性は家に閉じこまれて一人で子育てに追われている。専業主婦になって満足している人もいるが、結婚したら職場に戻れないのが現状である。

  中国にも男尊女卑があったが今は逆になってしまった。女性の方が強くなって「半辺天」(この国の半分は女性が支えている)という言葉の通りになった。さらに普通の家庭では奥さんの一言ですべてを決めるようになった。もちろんスポーツ界や芸能界では女性が絶対的に優勢を現している。

交際

  「乾杯」:交際手段としてお酒があるがその飲み方を調べてみた。日本人にも「乾杯」といって杯を手にとって同時に飲む習慣がある。その乾杯は宴会のはじめだけであとは各自勝手に飲む。自分の酒量に合わせて自分で調節するのだから合理的な飲み方といえるだろう。

  ところが中国人にとって「乾杯」とは文字通り杯を乾してしまうことを言う。ホストから同席者次々と献杯が行われる。それに応じないと無視されたとすごく怒る。ひどいのはそのお酒とは水割りではなくアルコール高濃度の原液である。

「割り勘」:割り勘がどこからきたか知らないが中国人はどうも好きになれない。人数が多くても誰か一人が費用を持つのが昔からの習慣である。食事があると普通誘った側が払う。食事をいっしょにすることは相手を尊敬すること、信じることの表現であり、友情を深めていくための道具、手段である。だから割り勘というのは中国人との最後の食事になる原因にもなる。

  「握手」:日本人は握手をするよりも、お辞儀をするほうを好む。気さくなあいだからでは握手をすることもあるが、その場合には、日本式のやり方になる。おたがいに一方の手を握りながら、お辞儀をしたり、別の手で敬礼したりする。握り方は弱く、時には手の平を開かずに指先を差し出したり、力の抜けた手を差し出し、相手が握っても握り返さないこともある。

  中国で握手は幅広く普及されている。男女老少みんなは握手が好きだといえる。嬉しいとき、悲しいとき、逢うとき、別れるときも握手が必要になる。

後書き

  いろいろ比較することは決してだれが正しい、だれが間違ってるという結論を得るためではない。比較することによって相手のすべてをありのままで受け止めて理解することができる。日中交流は長い歴史の中で止まることを知らなかった。国交正常化30周年を迎えて、50周年、100周年を楽しみにしたい。

            中国の人口問題

朴光哲

 

  一.人口の現状

2001318日、中国国家統計局の統計によると、大陸に居住する人口(台湾・香港・マカオを除く)は12.6583億人となっており、世界第1位で世界人口の約5分之一、つまり5人に一人が中国人であるという計算になる。

  最近なぜ中国の人口が問題になって世界的注目されているのか。いろいろあるが、人口の分布上の不均衡が一因である。黒龍江・黒河― 雲南・騰沖線の東側面積42.9%に人口の94.2%が居住している。

  もうひとつは食糧とのからみである。「人口が多く、土地と耕地が少ないとのバランス崩れが中国の基本国情」だ。耕地を無意味に占用、乱用する傾向に歯止めはかかっていない。現時点で中国の耕地総面積は150万ヘクタールで一人当たりの平均耕地面積は7.9アール 1949年に比べて3分の1にすぎない。2030年中国の穀物生産量は2億6300万トン減少すると予想され、2億1600万トンが不足する。つまり中国の将来には二つの問題がある。第一は中国が大規模な食糧輸入する経済的余力があるか。第二は中国が必要とする大量の穀物を一体、誰が供給できるか。中国のジレンマは人口の巨大さ(21%)に比べて保有する資源が淡水7%、耕地7%、森林3%、石油2%sと非常に少ない。その結果環境破壊が驚くスピートで進むのは十分考えられる。

.人口の変化

1949年の中華人民共和国成立時の人口は54000万人であった。一夫一婦を起礎とする婚姻法の制定、普及運動の展開、政府の多産奨励によって結婚ブームが起きた。1957年、経済学者で当時の北京大学学長であった馬寅初氏は、早くも「新人口論」を唱え、人口抑制の必要性を主張した。しかし一般農民にとって子供は労働力であり、老後の生活の面倒を見てくれる保証である。また男の子は子孫家系を続く宝として見ている。それに毛沢東の“人間の創造力は無限であり、人口の多いのは中国の強みである”とする見解によって退けられ、民衆の出産は制約を受けない状態におかれた。この1950年-1958年第一人口増加期の人口は54000万から64000万に増加し、その平均増加率は2.3%となっている。

第2の段階は1958年から1961年にかけてであるが、この時期は「大躍進」の政策上の誤りと3年連続の自然災害による飢饉などのため、死亡率の急騰と出生率の低下がおこり、人口のマイナス増加0.45%という異常事態を招いている。

しかし、1963年から1973年の第3段階の時期は、農業生産も好転し、再びベビーブームが巻き起こり、1963年の自然増加率は3.3%を記録し、1969年には総人口8億の大台を突破している。1966年「文化大革命」によって家族計画運動などあらゆる分野の努力が停止されたのが原因だった。1973年、政府は「急速な人口の増加は経済の発展に不利である」との立場から晩婚化と少産化を骨子とする人口政策を打ち出し、人口増加は減少へと向かった。そうして第5の段階は改革開放政策と近代化推進とともに始まる。1978年、計画出産推進は基本的な国策として憲法に書き込まれ、さらに1980年には“今後20年、30年にわたり、夫婦の子供数を一人に制限することを要請するというきびしい方法を採らざる得なくなった。20世紀末までに人口を12億に抑制することにある”という立場から「計画出産」が打ち出された。

.計画出産

「計画出産」政策は「一人っ子政策」ともいうが「晩」(遅く結婚)「少」(少なく生む)『し』(出産間隔をあける)「優」(素質を高める)で表現される。

「一人っ子政策」の実施内容は地域や民族によって多少の差があるが、漢民族には基本的に子供を一人しか生まない夫婦を奨励し、生まれた子供の医療・入学・就職や住宅などの配分に優遇措置を与えるもので、都市部では政策の実施もかなり徹底し、成果もあげている。また、高学歴の女性ほど合計特殊出生率(一人の女性が生涯に生む平均子供数)が低いという傾向がみられる。政府は第一子が女児の場合や障害児であった場合、あるいは夫婦がともに一人っ子の場合などは第2子まで出産してよいとするなど、個々の情況に合わせての緩和措置も講じている。一人っ子政策は都市部では比較的スムーズに受け入れられたが農村部では一部難航した。このような政策実施の結果、人口の自然増加率は1980年の1.18%が1987年には1.66%で、少し高まっているが、その後また減少し、1995年以降は1.1%以下の水準で推移している。中国の人口コントロールは地球的な意味を持っている。世界の人口爆発を少しでも緩和するためにも人口増加を抑える責任が中国にあること、その意味からも一人っ子は全世界、地球的な貢献をしている。

一人っ子政策は人口増加の抑制にかなりの成功を収めているが、しかしそれと当時に、人口の年齢構造が変化し、かつてない困難な問題に直面しているということがいえよう。その一つは、「一人っ子政策」を推進した結果、中国社会の高齢化が急速に進んでいることである、今中国は高齢化社会に突入しようとしている。同協会は人口構成が「成人型」から「老年型」への移行が、西欧諸国に比べ急速なことを憂慮している。それは経済力が十分に発達していない段階で高齢化社会を迎えることで、年金や介護、医療などの社会福祉の遅れが心配されるからである。それは経済的・社会的・心理的にとっても重責になることは明らかである。

次ぎの問題は、「一人っ子政策」の徹底によって、男女性別比の均衡が大きく崩れたことであろう。中国人の伝統的男尊女卑思想の影響は一人しか生めない子供の性別を男児のほうに大きく傾向させたのである。統計によると、農村部における新生児中、男児の比率が、世界の平均値より高いことが明らかになっているが、これは「後継ぎ」としての伝統思想と労働力として男を得たいという願望の根強さを反映しているものであろう。

  ヤミッ子1500万人

 「一人っ子」政策を守らず計画外に妊娠し出産する。このように戸籍のない流動人口の出産が増えて問題化している。戸籍漏れが生じた理由の一つは計画外出産で産児制限違反の処罰罰である社会扶養費を支払えないで、負担逃れによる未届けである。もうひとつは流動人口の急増に戸籍管理がついていけないための戸籍漏れだ。第三は経済改革下で食糧が自由に購入できるようになったことによる漏れである。

四.経済改革と人口の流動

198410月、「経済体制改革に関する決定」が第11期三中全会において採択されると、都市部および沿海開発地域での基本建設など経済の活性化策が進められるが、これを受けて都市部の労働力の需要は一気に高まり、仕事を求めて都市に流入する農民が後を絶たない。2001年のwto加盟が農村の余剰労働力の流動化に拍車をかけると見られている。都市部と農村部の人口分布状況をみてみると、新中国成立時には1090という比率であったが、今は30:70になってまた変わりつつある。そして国有企業のリストラで都市の失業者もふえて社会治安悪化が懸念されている。

五.少数民族の状況

中国の少数民族は現在55個10643万人で全国総人口の8.41%占める。少数民族が居住する地域は、そのほとんどが高原や山脈・草原・森林地帯などの国境地帯、こうした少数民族地区は人口が少なく、経済も文化的にも遅れ、交通も不便である。近年来、国家的に大々的な西部大開発が行われはじめている。

 少数民族は1949年には3290万人だったが年平均2.58%スピートで急増した。少数民族への保護と特権、漢族との「通婚」が原因だと考えられる。

六.新しい動き

  最近都市部の若者の中には結婚しても子供を産まない傾向が見られた。第一理由は「若いうちに思い切って遊びたい。その自由を子供に取られたくない。」第二には「育児のために仕事を失いたくない」との心配だ。第三の理由として「子育てにカネがかかる」があるが一番多い。

 

参考資料

  中国の社会構造   中野謙二  大修館書店   1997年3月

  現代中国の人口問題と社会変動  若林敬子  新曜社  1997年2月

  中国の人口変動         早瀬保子  研究双書 1992年2月

中国の宗教政策について

劉昊

中国の宗教の歴史と現状

中国は多くの宗教がある国である。中国の宗教の信者が信奉しているのは主に仏教、道教、イスラム教、カトリック教、キリスト教がある。

 中国の公民は宗教信仰の自由がある。国は正常な宗教活動と宗教界の合法的権益を保護する。憲法と刑法、民法、選挙法、兵役法、義務教育法、労動法、民族区域自治法、民法通則などの法律は宗教信仰の自由と宗教を信仰する公民の平等な権利を保護することについて明確かつ具体的な規定を行っている。いかなる国家機関、社会団体、個人も公民が宗教を信奉するかあるいは宗教を信奉しないように強制してはならず、宗教を信奉する公民あるいは宗教を信奉しない公民を差別視してはならない。

 中国では、全国的な宗教団体は中国仏教協会、中国道教協会、中国イスラム教協会、中国カトリック教愛国会、中国カトリック教主教団、中国キリスト教三自愛国運動委員会と中国キリスト教協会などがある。各宗教団体は各自の規約に基づいて指導者と指導機関を選出する。

 中国には、前記の全国的な宗教団体のほかにも、省クラス、県クラスの宗教団体が三千余りある。各宗教団体および宗教を信仰する公民は、憲法と法律の保護のもとに、独自に宗教活動を組織し、宗教の教務を履行している。現在、全国に中国仏学院、中国イスラム教経学院、中国道教学院、中国キリスト教南京金陵神学院、中国カトリック教神哲学院など宗教教育機関が七十四校あり、各種の宗教刊行物が十数種ある。中国には、宗教活動の場所が八万五千余カ所あり、宗教の信者が1億人余り、聖職者が約三十万人いる。

 仏教は中国で二千年の歴史があり、現在全国に仏教の寺院が一万三千余カ所あり、出家した僧侶と尼僧は約20万人おり、そのうちチベット仏教を信仰する各民族の信者が約七百万人、ラマ僧・尼僧が十二万人、活仏が千七百余人で、寺院は三千余カ所ある。バリユサ仏教は比丘、長老が約一万人おり、寺院が一万六千余所ある。

 道教の発祥地は中国で、千七百余年の歴史がある。現在中国に道観が一万五千余カ所、道士、女道士が二万五千余人いる。

 イスラム教は七世紀に中国に伝わり、中国の回族、ウイグル族など十の少数民族の人々に信奉されている。これらの少数民族の総人口は約千八百万人ある。現在、モスクは三万余カ所あり、イマム、アホンは四万余人いる。

 カトリック教は七世紀から何度か中国に伝わってきたが、一八四〇年のアヘン戦争以後は大々的に中国に伝わってきた。現在、中国にカトリック教の教区が百十五カ所あり、主教が七十人、神父が千百余人、修道女が千二百余人、信者が四百万余人、聖職者が四千人いる。全国に開放された教会は約五千カ所、修道院は三十六カ所あり、修道院の在学生は千九百余人いる。

 キリスト教(プロテスタント)は一九世紀初めに中国に伝わり、アヘン戦争後は大々的に伝わってきた。現在、中国にキリスト教の信者が約千五百万人、牧師とその他の聖職者が一万八千人おり、教会が一万二千カ所、集会所が二万五千余カ所ある。

宗教活動に対し、国家の法律と保護

 中国の公民は、憲法と法律から与えられた宗教信仰の自由という権利を享受する一方、憲法と法律の定めた義務をも担っている。中国の憲法は、いかなる人も宗教を利用して社会の秩序を破壊し、公民の健康を損ない、国の教育制度を妨害する活動を行ってはならないと明確に規定している。宗教を利用して違法犯罪活動を行った者に対しては、宗教の信者であるかどうかを問わず、中国政府は法によって処理する。違法犯罪活動を行った宗教の信者に対しても違法犯罪活動に従事したその他の公民と同じように、法によって処理する。

 中国という多民族の国では、多くの少数民族が宗教を信仰している。チベット族の大衆がチベット仏教を信仰するように、大衆がほとんどある宗教を信仰する民族もある。中国政府は、公民に宗教信仰の自由があるという憲法の規定に基づいて具体的な政策を制定し、少数民族の宗教信仰の自由を尊重、保護し、少数民族公民のすべての正常な宗教活動を保障している。中国では、少数民族の正常な宗教活動はいずれも法的保護を受けている。

 チベットはチベット仏教の発祥地であり、チベット仏教はすでに千三百余年の長い歴史があり、チベット族など少数民族の社会生活に大きな影響を及ぼしている。チベットでは、宗教信仰の自由が憲法と法律の保護を受けている。政府は各種の宗教と各教派、宗教を信奉する大衆と信奉しない大衆を同一視し、一律平等に尊重、保護している。愛国的宗教団体と宗教活動場所の耕地、牧場および自力で活動を行うことを目的として運営する経済実体に対し税金減免政策を実施している。一九八〇年以来、中央政府はチベットに三億余元の特別資金を支出して、著名な寺院を保守、修繕した。これらの寺院は修繕されて面目を一新し、一般公開してから、内外の信者と賓客がひっきりなしに参詣、観光などで訪れており、チベット史上空前の盛況を呈している。大まかな統計によると、毎年、参詣、観光などでチョカン寺を訪れる信者、観光客だけでも延べ百余万人に達している。現在、チベットに仏教活動の場所が千七百余カ所あり、寺院には僧尼が自治区総人口の二%を占める四万六千余人いる。信者の家にはほとんど小さな経堂あるいは仏壇がある。

 国はまた特別資金を支出して、仏教界がチベット語の『大蔵経』など重要なチベット語の仏教経典を整理、出版し、僧侶や信者の必要を満たすのを支持しており、チベットは十数年来、チベット語版の『ガンジュル』大蔵経を千四百九十余冊印刷し、またチベット仏教についての単行本を多く印刷、出版した。

 宗教関係者を育成するため、中国仏教協会チベット分会はラサでチベット仏学院を創設し、第一期として僧侶を二百余人募集した。これらの僧侶は卒業後、寺院の仏学知識伝授と寺院管理の中堅となった。そのほか、条件の備わった各教派の寺院は経書を学ぶクラスを開設し、現在、これらのクラスで三千二百七十六人の僧侶が勉学している。また北京チベット語系高級仏学院に五十余人の活仏、格西を推薦し、入学させた。

 政府はチベット仏教各教派特有の活仏転生制度を非常に重視し、尊重している。近年来、ゲルク派活仏の中から第十一世パンチェンを探し、認定し、坐床、受戒などの活動を円満に完成した。現在、活仏転生活動が順調に試行されている。

 政府は各民族人民と宗教を信仰する大衆の民族の風俗習慣と伝統的な宗教祭日を尊重し、ロカ地区のサンイェ寺の「ドゥオディ」という宗教祭日、ラサで年に一度催される「シュエトン」祭り、「シャガダワ」祭りなど影響力のある伝統的な宗教の祭日と民族の祝日をちくじ回復させた。

 党と政府は、ムスリム大衆の宗教信仰と民族の風俗習慣を尊重し、保護している。全国にイスラム教経学院が九校開設され、八〇年代以来、メッカを巡礼した中国のムスリムは四万余人に達した。新彊には現在、モスクが二万三千余カ所あり、聖職者は二万九千人おり、信者大衆の宗教活動の必要を満たしている。

対外友好往来と米国の粗暴な干渉

 中国の各宗教は独立自主と自己運営の原則を堅持し、中国の宗教の内部事務に対する外国の干渉および外部勢力が宗教を利用して中国に浸透する活動に反対している。同時に、平等、友好を踏まえて対外友好往来を積極的に行い、世界各国の宗教界との交流と連係を強化し、国際宗教界の活動に積極的に参与している。中国の各宗教団体は七十余カ国・地域の宗教組織、宗教界人士と友好的な連係を樹立し、国連など国際機構の多くの重要な活動に参加し、世界平和を樹立し、中国人民と世界各国人民との友情増進のために重要な役割を果たしている。

 二〇〇一年五月一日、アメリカ国際宗教自由委員会の発表したいわゆる二〇〇一年度レポートの中国と関係ある部分は、中国の宗教政策と中国政府の法による「法輪功」邪教組織取り締まりなどをほしいままに非難している。中国の宗教界人士はこれに強く抗議し、傅鉄山中国カトリック教愛国会主席・中国カトリック教主教団副主席、陳広元中国イスラム教協会会長、刀述仁中国仏教協会副会長、張継禹中国道教協会副会長、于新粒中国キリスト教協会副総幹事、中国チベット語系高級仏学院のチュエシ活仏らは、アメリカ国際宗教自由委員会のやり方に対し、中国の宗教界人士は理解できず、怒りを覚えている、中国の内政に対する粗暴な干渉は絶対に許されず、中国の宗教信仰の自由に対するほしいままな中傷は絶対に許されないと表明した。


              中国の民族の融合歴史について

                    劉昊

3500年前の殷商時代

 簡単に中国の歴史を見ると、中国の最初の殷王朝は、いまから三五00年前の紀元前一五00年頃に成立している。この殷王朝は三八0年間続いた後,周王朝に取って代わられたが、両王朝を建国したのはいずれも漢民族であった。殷は黄河の中流域にある洛陽を中心として東方へと発展を続け、周の時代になると、洛陽近くの鎬京を中心として黄河下流域のすべてと、揚子江の河口部分までを勢力圏とするようになった。

 だがその後、純粋な漢民族は数百年間にわたって、黄河の下流域と淮河中流域にまでしか広がらなかった。漢民族は黄河周辺を「中原」とよび、自分たちの故郷を考えていたため、少数民族の地を支配はしても、自らは中原以外の地に居住することはせず。

漢帝国時代

 前漢時代になるとこの王朝は、西域地方の商業権益をも獲得するために、匈奴という少数民族が支配していた西域諸国を、軍事力を持って取り上げてしまった。そして彼ら西域諸国の首長には、漢族王朝の官爵を与えたりして自治を許しはしたが、外交権と軍事権を取り上げて中国皇帝の領域内に居住させてやっている、というとんでもない論理で支配を行っていた。

 これは羈縻政策といわれるもので、羈とは馬を繋ぐ面懸、縻とは牛を繋ぐ鼻綱の意味であるが、漢族以外の少数民族の酋長には、必ず王朝の首都にある宮庭に年一回の参勤を促し。

 以上の歴史を見れば明らかなように、前漢の高祖、劉邦が始めた羈縻政策は、その後の歴代王朝にも引き継がれ、王朝領域の拡大手段として利用されていった。特に「唐」時代(六一六年-九0七年)の册封体制は歴代王朝の中でも徹底したものであったが、この体制中には何百以上もの少数民族が存在し、唐王朝の支配下にあった。

唐帝国続いている少数民族政策

 つまり、唐時代においても中国国内には二00以上の少数民族が、中原もしくは本土といわれた漢民族の居住する地域の周辺に存在していたことを証明するものであった。

 中国五000年の歴史の中で、有史以来、現われた文献で少数民族の数を調べて見ると、殷や周時代から清王朝までに出現する少数民族の数は一五0に上がるが、文献に名前さえ残されなかった少数民族の数は、少なく見積もっても、おそらく二00以上になると考えられる。なぜなら「唐」時代のわずか三00年間だけでも何百の少数民族が帝国領土内に居住していたことがわかっているからである。

 さらに文献によると、歴代の漢族の王朝に同化させられた主要な少数民族葉、記録に残されただけで五0以上に達している。しかし、この数字はあくまでも各王朝の正式な記録に載った民族名であり、ほとんど載せるに値しない少数民族を含めると、実際にはこの二倍以上の数字に達していたであろうことは間違いない。

 また漢族の王朝に降った結果、同化吸収を受けた民族は、公式記録(文献)によれば約50ほどある。

 殷の時代に黄河中流域に興った漢民族は、三000年近くをかけて揚子江附近にまで進出を果たすが、立ちはだかる少数民族を同化融合させるかの方法で、二00以上の少数民族の土地を取って、今日の領土を拡大してきたと言えよう。

混血融合の中華民族

 一口に中国人と言っても、過去五000年の歴史の過程で、多くの少数民族と混血融合を繰り返し的多民族であるから、その定位は難しいである。現在の中国人は漢民族もしくは漢民族を自称しているが、古代に誕生した殷帝国や周帝国、秦帝国そして前漢、後漢時代までの民族は、まさしく漢民族と言えたであろう。だか、魏、呉、蜀の三国時代以降の中国には、漢族を上回る多くの少数民族が黄河の上流、中流そして下流域に移住してきていて、黄河を中心とする一帯に居住していた漢族と、混血融合を繰り返していったものである。

 これら黄河の北方や西方から入ってきた民族は皆遊牧を生業とする民族であった。南北朝時代〔四~六世紀〕になると北方民族による大勢の国の建国によって、漢族は揚子江を中心とする南部地方に追いやられ、その後も隋〔五八一年〕や唐〔六一八年〕の統一によって大勢の少数民族が入った。さらに宋〔九七九年統一〕の時代にはツング-ス民族である「遼」や「金」の支配を受け、そのあとには、モンクル民族である「元」〔一二七一年建国〕の支配があり、自称、漢族の王朝である「明」も、再びツング-ス系の満民族である「清」〔一六四四年統一〕にとって代わられ、多くの混血融合が行われてきたことは、よくしられているとおりである。

今の中華民族

 今の中国に五十六個民族が存在しているということである。その中の漢族以外の五十五個民族は少数民族と言われている。民族によって、生活の習慣も文化も違う。同時にある民族は自分の言葉も持っている。その原因で今豊富な中華文化が形成しているとおもっている。

参考文献 『中華帝国の最終目的-文明の征服』

作者    杉山徹宗



中国宗教について

常宗文

中国は仏教、道教、イスラム教、カトリック、キリスト教などさまざまな宗教のある国である。そのうち、仏教、道教、イスラム教が中国でかなり広範囲に伝播している。
 国は正常な宗教活動と界の合法的権益を保護し、中国の宗教信者はそれぞれの宗教活動に正常に参加している。中国憲法は、「中華人民共和国の公民は宗教信仰の自由がある」、「いかなる国家機関、社会団体、個人も公民に宗教を信仰するよう或いは信仰しないよう強要してはならず、宗教を信仰する公民と信仰しない公民を差別してはならない」、「国は正常な宗教活動を保護する」と規定している。公民は自由意志で信仰を選択、表明し、自分の宗教的立場を明らかにすることができる。中国の「民族区域自治法」、「民法通則」、「教育法」、「労働法」、「義務教育法」、「人民代表大会選挙法」、「村民委員会組織法」などの法律は、いずれも公民の宗教信仰の自由という権利の保護について具体的規定を行っている。
 中国には、中国仏教協会、中国道教協会、中国イスラム教協会、中国カトリック愛国会、中国カトリック主教団、中国キリスト教三自愛国運動委員会、中国キリスト教協会など全国的な宗教団体がある。各宗教団体は各自の規約に基づいて指導者と指導機構を選出する。
 党と政府は一貫して宗教活動を重視し、中国共産党第十一期三中総以来、党中央の第一世代の指導グループの確定した宗教政策を受け継ぐ基礎の上で、マルクス主義宗教観を中国の社会主義初期段階の宗教問題の具体的実践と結びつけ、一連の社会主義時期の宗教問題に関する具体的観点と基本的政策を形成した。これは主に一九八二年と九一年に党中央が公表した二つの宗教活動文書、憲法、関連法律、国務院第一四四号と第一四五号令などの行政法規および党中央の第二、第三世代の指導グループが新しい時期の宗教活動に対し行った一連の重要な指示に具現されている。江沢民総書記は一歩進んで党の社会主義時期の宗教問題に関する基本的観点と基本的政策を、一、党の宗教政策を全面的に、正しく貫徹、実行する、二、法に依って宗教事務の管理を強化する、三、宗教を積極的に導いて社会主義社会に適応させるという三点に高度に概括している。
 おおまかな統計によると、現在中国にさまざまな宗教信者が一億人以上、聖職者は約三十万人おり、宗教活動の場は八万五千余カ所、宗教団体は三千余りある。宗教団体は聖職者を育成する宗教大学と学校を七十四校運営している。全国に各種の宗教刊行物が十数種ある。現在、中国キリスト教(プロテスタント)の信者はすでに一千万人に達し、一九四九年の七十余万人と比べて十数倍に増え、プロテスタント教会は一万二千余カ所、集会所は二万五千余カ所あり、牧師とその他の聖職者は一万八千人いる。全国のカトリック信者は約四百万人、神父などの聖職者は四千余人おり、教会は四千余カ所ある。全国に仏教寺院は一万三千余カ所あり、出家僧侶は約二十万人である。チベット仏教を信仰する各民族の信者は約七百万人、ラマ僧、尼僧が十二万人、活仏は千七百余人で、寺院は三千余カ所ある。道教では、全国に開放された道観は千五百余カ所、道士、女道士は二万五千余人いる。イスラム教の信者は約千八百万人、イマム、アホンは約四万余人で、モスクは三万余カ所ある。
 八〇年代に入ってから、中国のキリスト教が毎年回復し、新たに建設した教会は六百カ所にのぼり、一九九六年末現在、『聖書』の印刷・発行部数は累計千八百万冊を超え、しかもさまざまな免税の優遇を受けている。中国キリスト教協会が一九八三年から編集、出版し始めた『讃美歌』の発行部数は累計八百万冊を超えた。一九五八年から一九九五年にかけて、中国のカトリックはみずから百二十六人の司教を選んだ。ここ十数年、中国のカトリックは若い神父を九百余人育成した。北京・崇文門にあるキリスト教会では毎週の日曜礼拝に三千余人の信者が参加している。カトリックの北京南教会は毎週日曜日にミサを四回行い、二千余人がこれに参加しているが、そのうちの一回はもっぱら北京駐在の外国人のために英語で行われるミサである。
 このほか、全国で一万七千余人の宗教界関係者が各級の人民代表と政治協商会議委員に選ばれた。彼らは他の各界の代表や委員のように、国事の討論に参加し、政治面において平等な民主的権利を享有している。これは中国政府が宗教信仰自由の政策を真実、真剣に実行していることを十分物語っている。
 中国の宗教は独立自主と自己運営の方針を実行し、中国の宗教の内部事務に対するいかなる外部勢力の支配と干渉にも反対し、これによって中国公民が真に宗教信仰の自由を享有する権利を擁護している。
中国政府は国内の宗教団体と宗教界人士が独立自主と自己運営の原則を堅持し、完全平等、相互尊重を踏まえて外国の宗教団体や宗教界人士と友好往来を行うのを積極的に支持するとともに、宗教界の国際的連係を中国人民と世界人民の民間往来の一部と見なしている。中国の宗教団体と組織は、世界仏教徒聯誼会、イスラム事務最高理事会、世界宗教者平和会議、アジア宗教者平和会議、世界キリスト教連合会など世界的な宗教組織に参加している。
 中国の公民は、憲法と法律に依って与えられた宗教信仰の自由という権利を享受する一方、憲法と法律の定めた義務をも担っている。中国の憲法では、いかなる人も宗教を利用して社会秩序を破壊し、公民の健康を損ない、国の教育制度を妨害する活動を行ってはならないと明確に規定されている。宗教を利用して違法犯罪活動を行った者に対しては、宗教の信者であるか否かを問わず、中国政府は法に依って処罰する。
 中国政府が一九九九年九月二十七日に発表した『中国の民族政策と実践』という白書は、次のように指摘している。中国政府は少数民族の宗教信仰の自由を尊重、保護し、少数民族公民のすべての正常な宗教活動を保障する。中国の少数民族大衆はたいてい宗教を信仰し、またチベット族の大衆がチベット仏教を信仰するように、大衆がみなある宗教を信仰している民族もある。中国政府は、公民には宗教信仰の自由があるという憲法の規定に基づいて具体的な政策を制定し、少数民族の宗教信仰の自由を尊重、保護し、少数民族公民のすべての正常な宗教活動を保障している。中国では、少数民族の正常な宗教活動はいずれも法的保護を受けている。
 チベット仏教はチベット族などの少数民族の中で、非常に長い歴史を持っている。一九五一年から、チベット族などの少数民族は宗教信仰の自由を十分に享有している。八〇年代以来、中央政府はチベットに特別金二億元余りを支出して、著名な寺院の修繕に充てた。国はまた特別金を支出して、仏教界がチベット語の『大蔵経』など重要なチベット語系の仏教経典を整理、出版するのを援助し、また仏教界が北京とラサにそれぞれ中国チベット語系の高級仏学院とチベット仏学院を開設するのを支持した。
 現在、チベットに仏教活動の場は千七百余カ所あり、寺院には僧尼が四万六千人余りいる。ほとんどの信者の家に小さな経堂あるいは仏壇があり、毎年ラサへ行って寺院を参詣する人は百万人以上に達している。
 活仏の転世はチベット仏教特有の継承方式であり、党と政府に承認、尊重されている。一九九二年、国務院宗教事務局は第十七世ガマパ活仏の継承を認可した。一九九五年、人民政府は宗教儀式の決まりと歴史のしきたりに厳格に従って金瓶掣簽を行い、国務院にそれを報告して認可を受け、パンチェン十世の転世霊童探し、認定およびパンチェン十一世の冊立と坐床を完成した。
 党と政府はまた、ムスリム大衆の宗教信仰と民族の風俗習慣を尊重、保護している。全国にイスラム教経典学院が九校開設され、八〇年代から巡礼のためメッカに行った中国のムスリムは四万人余りに達した。新彊には現在、モスクが二万三千余りあり、信者大衆の宗教活動の必要は満たされている。
 中国では、各種宗教は地位が平等で、睦まじく共存しており、宗教を信仰する公民もしない公民も互いに尊重し合い、睦まじく団結している。これは歴史の長い中国の伝統的な思想・文化の他者に対する包容力、寛容精神の影響によるものでもあれば、これにもまして中華人民共和国成立後、中国政府が宗教信仰の自由という政策を制定、実施しているからである。

 

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