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二胡情縁二胡少年の夢
趙寒陽
著/朱新建・陳恵明翻譯

引子

一夜的鹅毛大雪,将天地抹成了一片白色。西北风“呜呜”地显示着它的威力,气温降到了零下十几度。在南方,这已是少有的寒冬天气了,老天似乎在用严寒向人们展示着它的冷酷无情。

在一片茫茫的平原上,有几个人拉着一挂灵车匆匆地向前走着。他们谁也不说话,只是低着头走,寒风似乎已将众人的嘴巴冻住。其实何止是嘴巴被冻住,他们的心又何尝没有冷到冰点。

走在车旁,用手扶着灵柩的是一位三十岁左右的汉子,魁梧的身材,端正的脸庞,眉宇间露出一丝悲伤。他就是我的父亲。另有两个工友拉着车,车上的灵柩里躺着的正是我的母亲。车后跟随着一位五十多岁的妇女,抱着一个刚满周岁的孩子。这是我的祖母将我紧紧地抱在怀里。

一只老鸦“呱──”的一声从头上飞过,父亲微微地抬头看了一眼,叹了口气,继续默默地想着他的心事。突然,“哇──”,孩子的哭声,打破了凌晨的寂静。早起上路前给我换上的新棉裤,被我一泡屎尿拉得不可收拾。父亲气急攻心,痛恨交加,一只大巴掌“啪、啪”地落在娇嫩的小屁股上。“哇──、哇──”,孩子哭得声嘶力竭,大人们更是心如刀绞。这个劝父亲,那个哄孩子,世界似乎失去了平衡。

啊!太阳出来了,风也小了一些,阳光照在人们的身上,更是照到了人们的心上,一丝温暖,渐渐地融化了大家心中的坚冰。这个时候,人们最需要的只有阳光。

“寒阳,寒冬的太阳,是人们最喜爱的,我的孩子今后要是能成为人人喜爱的太阳,我也就能对得起亲爱的琴琴了。”

父亲想到这里,心里顿觉舒展了许多,他脱下一件大衣,将孩子包上。这时孩子也不哭了,望着父亲浅浅地一笑。父亲低下头,在孩子脸颊亲吻了一下,说:我们走吧!

二十年后,在一本旧相册中,我看到了一张结婚请柬。粉底红字,印着:

“我俩於一九五三年一月二日在常州举行结婚典礼,敬备喜筵恭请。

阖第光临,赵君行、汪琴琴鞠躬。

席设小南门内营房弄七号本宅。”

上面又用钢笔写上了如下字样:

“汪琴琴亡年念伍岁,生於民国二十一年(1932年――作者注),岁次壬申,旧历七月十二日寅时受生;痛于公元一九五六年,岁次丙申,农历正月初六日申时疾终。佳城安葬于黄土老家壹亩三分田内,立乙山辛向正分金,大吉。”


イントロ

一夜のぼたん雪で、天と地は一面に白く雪に覆われていた。「ボーボー」と吹いている北西の風はその威力を見せ付けているみたいに、その日の気温は氷点下十数度まで下がっていた。南方ではこれは稀に見ない厳冬の天気で、神様はまるでこの厳寒で人々にその冷酷さを示しているかのようだ。

蒼茫とした広大な平野では、何人かの人は一台の大八車の霊柩車を引きながら怱々と前へ足を伸ばしている。彼らは誰も口を聞かない。ただ黙々とひたすら歩く。まるで寒い風に口を凍らせたようだ。口を凍らせただけか、彼らの心まで氷点下に冷え切っていたのだ。

大八車の横を歩き、霊柩に手を添えているのは30代前後の男だ。彼はたくましい体つきで、端整の顔立ち、眉間は悲しげに顰めていた。私の父だ。車を引いているのは同じ工場の二人の労働者で霊柩に永眠しているのは私の母だ。車の後ろ手には50代あまりの女性がついていて、1歳になったばかりの赤ちゃんを抱いている。私の祖母で、しっかり私を抱いている。

一羽のカラスが「カーカー」と鳴きながら飛んでいた。父はかすかに頭をあげてちらと見たが、またため息をついて、黙々と思いにふけていた。突然、「ワ──」と、子供の泣き声が、夜明けの静寂を破った。早起きして出発する前に着替えた新しい綿入れのズボンはどうも私のおしっこやばばで汚された。父は抑えきれない悲痛の気持ちを爆発させ、大きな手を振り落とし、「パチパチ」と小さい尻を叩いた。「ワーワー」と赤ちゃんが泣きじゃくった。この泣き声で大人たちは更に胸が痛かった。皆は父を止めたり、赤ちゃんをなだめたりして、まるでこの世界が崩れたようだった。

あ、太陽が顔を覗かせてきた。風も幾分弱まった。陽射しは体に浴びて、更に人々の心に照らしたようだ。この暖かさがだんだんとみんなの心の冷え込みをなごませてくれた。こんな時、人々は最も必要なのは太陽だ。

「寒陽、寒い冬の太陽!皆に好かれている厳冬の太陽だ。もしこの子は将来、誰でもすきな太陽のようになってくれれば、最愛の琴ちゃんも喜んでくれるだろう。」

父はこう思うと、気も大分楽になり、コートを脱いで、赤ちゃんを包んだ。すると赤ちゃんも泣き止んで父の顔をみてにっこりした。父は顔を近づいて赤ちゃんのほっぺたに口づけして、言った。「行こう!」

それから20年間が経った。ある日私は一冊の古いアルバムの中に、一枚の結婚披露宴の招待状を見つけた。ピンクの地に紅の字がこう印刷してある。

「私二人は195312日に常州で結婚式を行います。粗宴を用意してご出席のほど謹んでお願い申し上げます。

ご一家のご臨席をお待ちしております。敬具 趙君行、汪琴琴

場所は小南門内営房町七号弊宅にて。」

上にはまたペンで次の通り書いてあった。

「汪琴琴が25歳をもって亡年とし、中華民国21年(1932年―作者の注)に生まれ、歳時壬申、陰暦は712日寅の刻に生まれた。痛みこと西暦紀元1956年、歳時丙申、旧暦の正月六日申の刻に病死す。佳城は黄土故郷の1ムー又三分の田にて安葬し、乙山辛向に立して正分は金なり。大吉。」