父は革命家で遼寧省出身、母は女学生で湖南省出身。父は抗日戦争に参加し、国共内戦で第4野戦軍で北方から南方へ。湖南永州で母と出会った父は軍人をやめ、その地で母と世帯をもった。小さい頃から言葉の違う両親のもとに育つが、範囲100キロ内の転勤等でも、行く先々が言葉が違っていた。日本語を学習する前から、違う言葉を話す人と意思が伝わったときの喜びは体験済みでした。
中国では日本語教育に従事していたが、日本では中国語や中国文化を講義しています。来日前に中国で数人の教授たちと「日漢語研究会」を立ち上げましたが、今でも、方言に興味を持ちながら、日本語と中国語の音声面における比較研究をすすめています。名古屋大学留学時代は、日本言語文化を専攻しました。
いわゆる「旧満州」で2年間しか小学校で日本語教育を受けなかった父の日本語の発音は、当時大学の日本語の先生の発音よりもきれいだったのでびっくりしたことがあります。1975年の時点で父の勧めで厦門大学日本語学科に入学を決意したのですが、「日本人也有好人(日本人の中にも良い人はいる)」との父の言葉が印象的でした。その父に日本を見せたかったのですが、「親孝行したい時に親がいない」のでした。しかし、日本の良いところを中国の人々に伝えていきたい気持ちは今も変わりません。
付録:未完の回想録ー革命家の父の筆跡 |