『物語要素事典』について(2009年3月31日)

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作成者:神山重彦(かみやま・しげひこ。1951年生まれ。愛知学院大学文学部日本文化学科に勤務。学部で「日本の近代文学」・「講読」・「演習」などを担当。大学院で「講義」・「演習」を担当。)

 

 『物語要素事典』がどのようなもので何を目指しているのかについて、きちんと述べなければならないと思いつつも、なかなかそれができずにおります。伝統的な文学研究とは、かなり異なる方法を取っているゆえ、私の考えを述べるについて迷いがあったり、ためらったりする所があります。また、意味づけや理屈づけをするより、その前に『物語要素事典』の内容自体をもっと充実させるべきではないか、との思いもあります。それでこのところ、もっぱら『物語要素事典』の記事の改訂・増補に力をそそいでいるわけです。

 ただ、『物語要素事典』について、いろいろなメディアで言及される時には、たいていの場合「物語を分類している」と言われます。たしかに分類という面もあるのですが、一般的な分類作業とはいささか異なるところもありますので、現在の私の考えを少しだけ、ここに記しておきたいと思います。

 分類というと、多くのものが一所にまとめられており、それらを何らかの基準で分けて行くことになるのでしょう。たとえば、多くの郵便物を都道府県市町村別に分けて行くような作業が思い合わされます。しかし『物語要素事典』であつかっている物語群は、最初から誰かの手で一箇所に集められている、というわけではありません。時代も地域もジャンルも異なる種々の物語群が、あちらこちらに散在しているのです。

 したがって、物語群を分けるのではなく、むしろその逆で、これまでバラバラであった物語どうしを、新たに結びつけてゆくのであります。

 同じジャンルに属していたり、内容がよく似ていたりする物語、あるいは、生み出された地域や時代などが近接する物語どうしなら、ごく自然に関連性が認められます。しかしそれらよりもはるかに数多くの物語群が、相互に無関係と見なされて放置されています。それらを、関連づけてゆくのです。

 無関係なものとして扱われていたさまざまな物語群を、発想のパターンによって相互に関連づけ、従来とは異なる解釈を導き出すこと、新たな物語の開発を支援することが、『物語要素事典』の重要な目標の一つであります。

*より詳しくは「愛知学院大学文学部紀要」第38号(2009年3月発行)所載の「『物語要素事典』の方法」(3)をご覧下さい。

 

 

付.物語要素事典2002年春季版まえがき(2002年3月26日)

 『物語要素事典』は、古代から現代まで、日本のみならず外国の物語をも対象として、これまでに人類がどのようなタイプの物語を創り出して来たか、概観しようというものです。

 ここでいう「物語」とは、文学作品に限るものではありません。文学作品が誕生する以前から「物語」は存在しました。「物語」の歴史は、文学の歴史よりも古いと考えられます。

 遠い昔、人類が言語を獲得して以来、物語は常に人間とともにありました。物語は自らを表現するために、人間の声・身振り・文字・絵など、さまざまなメディアを利用してきました。物語は、語り手が人々に語り聞かせる形式をとったり、何人かの人間が役割を分担して演じたり、文字で書き記されそれを読者が読む書物となったり、絵や写真や映像で表されたりしてきました。それらのすべての種類の物語に、この『物語要素事典』では目を向けたいと考えました。

 中心になるのは、物語の中でもっとも価値高いものと現在考えられている、小説をはじめとする文学作品でありますが、それら以外の、オペラやバレエなども取り入れています。20世紀になって誕生・発達した映画や漫画の類にもふれました。文学と、文学以外の物語メディアとの間にある垣根を取り払って、「文学」という枠組みでなく、「物語」という枠組みで、人間の想像力のありようを考えたい、と思ったのです。

 そうした物語理解のための一つの手がかりが、ここでいう「物語要素」です。では、その「物語要素」とはどのようなものでありましょうか。

 文字で書かれた物語を読むばあいを、例にとってみます。われわれが物語を読む時は、その物語の一字一句すべてを正確に脳内に記録するわけではありません。物語を読めば、その中のある部分・あるいはかなりの部分が、記憶に残らずに忘れ去られます。記憶に残るのは、物語の中の印象的な一つの・あるいはいくつかの、まとまりでありましょう。長い物語の中の一場面・もしくはいくつかの場面が、印象に残ることもあるでしょうし、物語全体のごく簡略なあらすじが、記憶に残されるばあいもあるでしょう。

 一つの物語の全体を空間上の存在としてイメージするなら、それは、線分でもなく、平面でもなく、立体的なもの、とイメージされるでありましょう。比較的長い物語の一編を、複雑な形の立体と見なしてみましょう。その物語を読みおわった読者の頭には、複雑な形の立体がそっくりそのまま入りこむわけではありません。物語の複雑な形は相当の程度にまで単純化され、全体のサイズも縮小されるでありましょう。また、それとは別に、いくつかの印象的な部分が切り取られ、それもまた幾分か単純化されたり縮小されたりして、頭に収められるでありましょう。

 そのようにして記憶に残された物語の断片的なまとまりの一つ一つが、「物語要素」であります。一まとまりというのは曖昧な表現でありますが、具体的にどの程度の規模・もしくは長さのものなのかは、一義的には決められません。その一まとまりも、その中をさらにいくつかに分解することが可能なばあいもあります。一まとまりは、決して最小単位ということではありません。

 一つ一つの物語要素は、もとの物語よりも情報量は相当減っているとはいうものの、もとの物語の性質を反映して、立体的なものです。したがって、これは四方八方から見ることが可能であり、見る角度によって、その形が異なって見えます。どの形が正しくどの形が間違いというわけでもありません。そのようにして見える形が、いわば、物語要素の名前、事典に即していえば「見出し」に相当するわけであります。

 10年余り以前には、私は、昔話研究で用いられる「タイプ」や「モチーフ」という術語を用いておりました。しかし私が考察の対象としているものは、昔話研究者の考える「タイプ」や「モチーフ」と似てはいるが必ずしもぴったり一致するものではないことが、だんだん明らかになってきました。そしてまた、私自身は日本人であり、もっぱら日本語で思考しているのでありますから、できれば日本語の術語を用いたいと考えておりました。そこで「物語要素」という語に行き当たったのであります。

 「物語要素」という術語は、直接には、西欧の物語研究で使われる術語「Narreme」から発想を得たものです。ジェラルド・プリンスの『物語論辞典』の日本語版を見ると、「Narreme」が「物語素」と訳されておりましたので、この訳語をそのまま借用しようかとも一時は思ったのでありました。しかし「物語素」というのは、日本語としてはやや熟さない言い方であるし、また、物語の中の一部分・断片というだけでなく、それが重要なものである、という意味をこめたかったので、「要」の一文字を加えて、「物語要素」としました。

 もっとも、この言葉は、すでに今から60年ほど前の1943年に折口信夫が、よく知られた論文「小説戯曲文学における物語要素」で用いています。その中で折口信夫は、日本文学の中の重要な物語要素として「貴種流離譚」を指摘しました。この論文は学生時代に私も読んでおり、記憶の底にあったこの「物語要素」という語が、よく似た「物語素」という語をきっかけにして、呼び起こされたのでもあったのでしょう。

 さて、物語要素は、発想上の関連によって互いに結び合い、ネットワーク構造を形作っています。『物語要素事典』は、これを五十音順の事典形式で表現しようとするものであります。

 事典形式にするというのは、次のようなことを意味します。ネットワーク構造をなしている各物語要素の相互のつながりを、いったんすべて断ち切って、物語要素どうしを個々バラバラにします。そして各物語要素を一項目とし、その名を見出し語として五十音順に配列します。断ち切った物語要素どうしは、「→」などの参照記号を付けて、本来、他の物語要素との間にあった関係を示します。そして各物語要素について、その具体例をあげるのであります。

 いうまでもなく、これまでに生み出されて来た世界の物語の数は事実上無限です。『物語要素事典』は、世界中に残っているすべての物語を取り上げようというものではありません。また説話の伝播・伝承過程を追及するものではありませんし、一つの説話について、できるだけ多くの類話を指摘しようとするものでもありません。物語の歴史の上で重要な物語要素、およびその具体例としての代表的な作品のみを記すのであります。

 そもそも『物語要素事典』は現在まだ作成途上のもので、完成にはほど遠いものです。これまでに、個々の物語要素について、ある程度の具体例をあげ得た項目もありますが、まだ不十分な項目もあります。重要な物語要素でありながらその項目自体を立項できていないものもあります。

 さらにまた『物語要素事典』は、20世紀から21世紀にかけて、この地球上に生を受けている一日本人の立場から見たものにすぎません。現在の日本とは異なる時間・空間に立脚して物語世界を見なおすならば、当然そこには異なる景観が得られることでありましょう。

 このように、きわめて不完全な・また偏った事典にすぎませんが、物語の研究や創作に従事しておられます方々に、いくらかでもお役に立つものになるように、今後とも少しずつ改訂・増補を続けてゆきたいと考えております。

 

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物語要素事典2002年版(2738キロバイト)まえがき(2001年12月26日)

 12月も下旬を迎え、『物語要素事典』2002年版をアップロードする時期となりました。

 さまざまな分野の方々が、この『物語要素事典』に関心をお寄せ下さっているようでありまして、たいへんありがたく存じます。ただ、こういう形式の事典はあまり一般的なものではありませんので、はじめてご覧になって「何だこれは」と驚かれた方もおいでのことと思います。また、特殊な事典ゆえに、この事典の意図するところが了解しにくい、とお感じの方もいらっしゃると存じます。

 『物語要素事典』の背景にある考え方についてはいくつか論文を書き、それらのタイトルは、過去の「まえがき」欄にひととおり記してはあります。しかし、タイトルを記すだけにしたのは、実はひとえに私の怠惰からであります。本来なら、論文の内容をできるだけ簡潔に書き直して、いわば「凡例」がわりに、『事典』のはじめにあげておくべきではないかと、この「まえがき」を書く段階になって、ようやく思うようになりました。

 これは、私の考えそのものをきちんと整理せねばならぬということでもあり、必ずしも容易なことではないのですが、次の改訂版には、『物語要素事典』の簡単な解説を掲示させていただこうと思います。

 

物語要素事典2001年秋季版(2652キロバイト)まえがき(2001年9月3日)

2001年秋季版をアップロードいたします。今年は我が家は、家の建て替えのため、3月以来仮住まいをしておりまして、ダンボール箱に入れたまま取り出せない本が少なからずあり、いろいろと不自由をしました。9月中には新しい家に移れそうですので、この秋・冬は、本の整理をしつつ、『物語要素事典』の増補に励みたいと、考えております。

 

物語要素事典2001年春季版(2530キロバイト)まえがき(2001年4月5日)

 『物語要素事典』のサイトを開設いたしましたのは、3年前の4月でありました。その時のまえがきに、『物語要素事典』に関連する論文5編の標題をあげました。その追加をせねばならないところでありますが、以来、私はもっぱら『物語要素事典』の増補・改訂に力を注いでおりまして、この3年間に書きました論文は、以下の2編のみであります。 

 「物語要素としての和歌」

    後藤重郎先生傘寿記念『和歌史論叢』(和泉書院・2000年2月刊)所収

 「『物語要素事典』の方法」(1)

    愛知学院大学文学部紀要第30号・2001年3月

 このうち後者については、抜刷が40部ほどありますので、ご請求があればお送りいたします。

 

物語要素事典2001年版(2449キロバイト)まえがき(2000年12月29日)

 スタンリー・キューブリック監督の『2001年宇宙の旅』を私がはじめて見たのは1969年、高校3年生の時でした。その時私は2度映画館へ足を運び、それから10年後、70年代の終わりにリバイバル公開された時にも、2度見に行きました。80年代以降は、淀川長治さんの日曜洋画劇場をはじめとして、テレビ、特に衛星放送で何度も放映され、ビデオ録画して自由に見ることができるようになりました。その2001年が、いよいよやって来ます。こう書いていても胸が躍ります。人類が、いろいろな困難をかかえつつも、この尊い地球文明の灯を消すことなく、さらに発展を続け、宇宙空間へ生命の場を広げて行くことを、強く強く念願せずにはおれません。

 21世紀も、『物語要素事典』の増補は続きます。

 

物語要素事典2000年秋季版まえがき(2000年9月21日)

 2000年秋季版は、2369キロバイトになります。   

 ホームページというものは、いろいろな方面の方々の目にふれるようで、時として思いがけないところからメールを頂戴することがあります。先日は、外国の方からメールをいただいて驚きました。

 私には、『物語要素事典』の英語版を作る力はなく、また、私は日本人だから日本語で書くべきだ、という思いもあって、このページはすべて日本語で押し通しているわけであります。にもかかわらず、このようなものを外国の方が読んで下さるというのは、大変ありがたいことに存じます。そして、外国の方にもお目にかけるからには、日本の文学作品についての記述をもっと充実させねばならない、とあらためて思った次第であります。

 ところで、『物語要素事典』に取り上げた作品について、依拠したテキストおよび参考にしたテキストを、索引欄に記しはじめたのですが、いろいろなジャンルの作品を取り扱っているため、テキストの標記に迷うところがあります。

 たとえば演劇や映画などは、劇場で見たり、テレビで放送されたものをビデオ録画して見たりするのであります。これらについて、その脚本が市販されているものは、それをテキストとして記すことができますが、脚本が入手しがたいばあいも多くあります。あるいは、一つの古典文学作品について何種類かの注釈書・翻訳書を参照したばあい、それらをすべてテキストとしてあげるわけにはいきません。しかしその中から最良の一本を選ぶというのは、私の手に余ることであります。

 さらには、何しろ『物語要素事典』の原型の『物語・説話等モチーフ集』から十数年がたっているわけで、テキストとしたはずの本が書棚に見当たらないとか、どの本を読んだのか思い出せない、などという情けないこともありまして、依拠テキストを示せないままのところがいくつか出てきました。本年末もしくは来年春の次回改訂予定時期までには、何とかしたいと思っております。

 

物語要素事典2000年春季版(『物語要素176』統合版)まえがき(2000年3月6日)       

 『物語要素176』を解体し、『物語要素事典』に統合いたしました。2044キロバイトになります。今後も増補・改訂を続けますとともに、索引にも少し手を加えて、より使いやすいものにしていきたいと考えております。

 

物語要素事典2000年版まえがき(1999年12月28日)

 物語要素事典2000年版をアップロードいたします。今回のサイズは1786キロバイトです。

 増補を続けてきますと、だんだん重いページができてきまして、表示に時間のかかるばあいがあることと存じます。各ファイルを細かく分割しようかとも考えたのですが、それにともなってリンクの付け替えもする必要があり、これは相当に手間がかかることでもありますので、ためらっておりました。

 ところが、近頃新聞などを見ますと、現在の10倍以上の高速通信が1〜2年のうちに普及するであろう、さらに、将来はそれ以上(100〜1000倍)の超高速通信も可能になるだろうとの記事が、しばしば載っております。それならば、このままの形態で増補を続けていっても、増補のスピードよりも、技術の進歩の方がはるかに速いことは確かでありますから、文字だけのテキストであれば、ページが重いとか表示に時間がかかるとかの問題は、遠からずすべて解決するのであろうと、一安心しているところであります。

 もっともこれは、新聞の断片的な記事だけから、私が勝手に考えていることで、とんでもない勘違いをしているのかもしれません。通信速度の現況と将来についてご存知の方から、この点についてお教え願えれば幸いに存じます。

 ところで、『物語要素事典』の前身である『物語要素176』は、刊行後3年余を経まして、これを解体し『物語要素事典』に統合すべき時期がまいりました。次回は、統合版をアップロードしたいと考えております。

 

物語要素事典99年後期版まえがき(1999年8月4日)

 ようやく夏休みに入りましたので、若干の増補作業をしまして、物語要素事典99年後期版といたします(400字詰原稿用紙に換算するのが、だんだん困難になってきましたので、若干の増補という言い方になってしまいました。今回のアップロード時の物語要素事典全体のサイズは、1581キロバイトです)。

 授業期間中は、いろいろな用事に追われるのではありますが、我がゼミの学生諸君の演習での発表や講読のレポートを通じて、私が知らなかった新しい小説や漫画について教えられることが多く、たいへん助かります。

 今回の増補分の中では、たとえば『マイナス・ゼロ』(広瀬正)などは、すぐれたSF小説として、以前から書名は知っていましたけれども、これまで読まずにおりました。ところが、某君のレポートで初めてその内容を教えられ、いそいで書店へ走り、文庫本を捜したのでありました。

 私は普段の授業では、日本の古典文学を比較的多く取り上げるのですが、それは必ずしも学生諸君を古典の世界へ誘導しようというのではなくて、近代・現代の作品を対象とする時にも、古典文学の発想との類似や相違を考えつつ読んでもらいたい、人類がこの三千年ほどの間に生み出してきたさまざまな物語の流れの中に置いて、新しい作品を読んでほしい、と願っているからです。

 そうした私の期待に応えるかのごとく、我がゼミの卒業論文のテーマは古典から現代にいたるまでまことに多彩であり、例年人気の村上春樹に加えて、今年は京極夏彦の作品に取り組む卒業論文も、出てきそうであります。

 おかげで私も、古典の世界だけに閉じこもることなく、新しい作品を読む機会が増えてきまして、それはまた、この物語要素事典の内容にも反映されてくることと思います。不備・欠陥の多い事典ではありますが、少しずつ改良していきますので、どうぞ末長く御利用下さいますようお願い申し上げます。

 

物語要素事典99年版まえがき (1998年12月27日)

 物語要素事典99年版は、98年版に250枚ほど(400字詰原稿用紙換算)記事を増補し、フレームを用い、新たに作品名索引をつけました。それにともなって、各項目内の記述の方式にも変更を加えました。

 98年版では、物語要素の各項目内にいくつかの作品を列挙する時には、おおむね、日本の作品・古い時代の作品・有名なあるいは典型的な作品を最初の方に置き、外国の作品・新しい時代の作品・その物語要素の変形と見られる作品を後の方に配置したのでした。そして、初めに物語内容を記し、その後に作品名をカッコに入れて示すという順序をとっていました。

 99年版ではこれを改め、各項目内の作品の配列を、思い切って作品名の五十音順にし、また、作品名を初めにあげて、その後に物語内容を記すようにしました。物語を検索するには、この方が便利であろうと考えてのことですが、御利用の上、御意見をお聞かせ下さいますならば幸いに存じます。

 なお、1988年の『物語・説話等モチーフ集』試作第1版以来、いくつかのバージョンを作って来ましたので、編集方針に一貫性を欠く部分があります。ギリシア神話・北欧神話の記述に関して、『モチーフ集』では、アポロドロス、オヴィディゥス、スノリなどの原典をあげたのでしたが、『物語要素176』では、すべて簡略にギリシア神話・北欧神話とだけ記しました。これについては、できるかぎり原典を記すべきだとの御批判がありましたので、98年版および99年版では再び『モチーフ集』の頃の方針に戻って、原典を記しました。したがって、現段階では『モチーフ集』・『物語要素176』双方の方式が混在しております。このほかにも、編集方針のゆれに起因する不整合・不統一が、いくつかあります。これらは少しずつより良い形に改めていくつもりでおります。

 誤りその他お気づきの点を御教示たまわりますよう、お願い申し上げます。

 

物語要素事典98年版表紙(1998年4月3日)             

 1996年9月に上梓しました『物語要素176』(四六版207ページ・近代文芸社刊・本体1748円。以下、『176』と略称します)は、400字詰原稿用紙に換算して370枚ほど、という少ない分量のものでありましたので、それを補うため、『176』に収めていない記事だけを集めて、『物語要素事典』98年版を作成しました。今回は400字詰原稿用紙で1000枚余りの分量になりましたが、当然まだまだこれでは不十分で、今後とも増補を続けていきたいと考えております。

 『176』につきましては、目次や作品名索引がないのでたいへん使いづらい、との御批判を多くいただきました。この98年版では、目次はつけましたものの、索引はあいかわらずないままです。次の版では、きちんとした索引をつけたいと考えております。

 実は、私は10年以前から、もっぱらワープロ専用機を使っておりまして、パソコンの扱いには慣れておりません。それで、今回はひとまずワープロで原稿を作っておいてそれをパソコンに移す方式をとりました。そのため、横一行40字のワープロの規格をそのまま持ちこみましたので、画面の右側にかなりの空白ができています。ここに全部文字を埋めることも可能でありますけれども、将来はこの空白部分に、さまざまな文学作品・演劇・映画などに関する画像、さらには音声をも入れたいとの希望があります。もちろんこれには、技術的な困難に加えて著作権上の問題があって、実現可能かどうかもわからないのでありますが、そういう期待をこめて、ここは空白のままにしておきました。

 なお、私のいう「物語」や「物語要素」の意味内容、その背景にある考え方などにつきましては、『176』の「序」にも簡単に記してありますが、より詳しくは、勤務先の紀要に執筆した以下の論稿を御覧いただければ幸いです。

 「物語と物語メディア」

    愛知学院大学人間文化研究所紀要人間文化第8号・1993年9月

 「物語要素のネットワーク」

    愛知学院大学文学部紀要第25号・1996年3月

 「物語要素の連鎖」(一)

    愛知学院大学文学部紀要第26号・1997年3月

 「『誤解』の物語」

    愛知学院大学人間文化研究所紀要人間文化第12号・1997年9月

 「物語要素の連鎖」(二)

    愛知学院大学文学部紀要第27号・1998年3月

 

 

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