★1.あわてたため・馴染みのない言葉のため、などの理由で言い間違いをする。
『松竹梅』(落語) 松五郎・竹造・梅吉が、婚礼の披露宴に招かれる。三人の名前を合わせると「松竹梅」になってめでたいから、彼らは余興で、松五郎「なったなった『じゃ』になった、当家の婿殿『じゃ』になった」、竹造「何の『じゃ』になられた」、梅吉「長者になられた」と唄おうと、練習する。本番では、松五郎・竹造は無事に唄ったが、梅吉は「風邪(ふうじゃ)」「番茶」「大蛇」などと言い間違え、あげくに「亡者になられた」と言ってしまった。
『雪中梅』(末広鉄膓)上編第4回 政治家志望の青年国野基は、友人武田猛に英和辞書『ダイヤモンド』を贈ろうとして、その旨を手紙に記す。ところが、横にいる下宿の主人吝蔵が「ダイヤモンド」を「ダイナマイト」と言い間違えたので、国野基もつられて手紙に「ダイナマイト」と書いてしまう→〔書き間違い〕1。
『蒙求』71「孫楚漱石」 孫楚は隠遁の志を述べようとして「石に枕し流れに口すすぐ」と言うべきところを、「石に口すすぎ流れに枕す」と言い間違えた。友人が誤りを指摘すると、孫楚は「石に口すすいで歯を磨き、流れに枕して俗世に汚れた耳を洗うのだ」と強弁した。
『吾輩は猫である』(夏目漱石)9 哲学者八木独仙は十年前の学生時代以来ずっと、無学祖元の偈「電光影裏に春風を斬る」を繰り返している。しかも時々せきこむと「電光影裏」を逆にして、「春風影裏に電光を斬る」と言い間違える。
『宗論』(狂言) 法華宗の僧と浄土宗の僧が、旅の途中で道連れになる。二人は互いに自宗の優れたことを主張して争い、題目と念仏を唱え合う。二人とも夢中になり、気がつくと法華僧が「南無阿弥陀仏」、浄土僧が「南無妙法蓮華経」と唱えていた〔*二人は「法華も弥陀も同じこと。仏の教えに二つなし」と悟って、仲直りする〕。
『精神分析入門』(フロイト)「間違い」第2〜3章 衆議院の開院式で、議長が「開会」と言うべきところを、「閉会」と言い間違えた。議長は、「今度の議会は我が党に不利であり、すぐに解散できればよい」と考えていたのだった。また、某夫人は夫の食事について、ある人に「お医者様は、何でも『夫』の好きなものを食べてよい、とおっしゃいましたわ」と言うべきところを、「何でも『私』の好きなものを」、と言い間違えた。この夫人はかかあ天下として有名だった。
『禿の女歌手』(イヨネスコ) イヨネスコは処女戯曲に「楽しい英語」「英語の時間」などの題を考えていたが、稽古中に俳優が、「ブロンドの家庭教師(institutrice blonde)」という台詞(第8場)を、「禿の女歌手(cantatrice chauve)」と言い間違えた。その時イヨネスコは「これだ。題は!」と叫び、戯曲の題が決まった。
★5.雨が降ってきた時の言い間違いの物語と、言い間違いを聞いた人がさらに言い間違える物語。
『十訓抄』第1−39 楊梅大納言顕雅は、よく言い間違いをする人だった。御簾ごしに女房たちと話していた時、時雨が降り出したので、顕雅は「車が降るから時雨をしまえ」と供人に命じた。女房たちは「車軸が降るのかしら。恐ろしい」と言って笑った。
『近目貫』「白雨(ゆふだち)傘」 仕事師の頭(かしら)が雨に降られ、子分に「『傘が降るから雨を寄こせ』と家へ言ってこい」と命じる。それを聞いた殿様が笑い、家老を呼んで、「愚かな下郎が『雨が降るから傘が欲しい』と言った。何とおかしいではないか」と話す。家老は「ヘイ」と答えるだけで笑わない。殿様は「ここで笑うのが遠慮なら、次の間で笑えよ」と言う。
『古事記』上巻 アマテラスとスサノヲが、互いの身に帯びた珠と剣を交換する。アマテラスは剣を、スサノヲは珠を、それぞれ口に入れて噛み、息を霧のごとくに吹き出す。アマテラスの息からは三柱の女神が、スサノヲの息からは五柱の男神が誕生する〔*五柱の男神の最初に生まれたのがアメノオシホミミで、ニニギノミコトの父にあたる〕。
『西遊記』百回本第2回 孫悟空が、自分の毛をひとつかみ抜き取り息をふきかけると、多数の小猿たちに変わる。
『西遊記』百回本第39回 殺されて三年たつ烏鶏国王を蘇生させようと、孫悟空が還魂丹を飲ませるが、生き返らない。三蔵が「死後長期間を経た死体は精気が失せているので、一息吹き込め」と教える。八戒は人間を食って息が濁っており、悟空は松・桃を食べて息が澄んでいるので、悟空が烏鶏国王の口に息を吹き込んで蘇生させる。
『創世記』第2章 天地創造の時、主なる神は土(アダマ)のちりで人(アダム)を造り、命の息をその鼻に吹き入れた。そこで人は生きる者となった。神は東の方のエデンに園をもうけ、自らの造った人をそこに置いた〔*第1章では、神は創造の六日目に人(男と女)を造ったと記す〕。
『椿説弓張月』続篇巻之1第32回 舜天丸は、船の難破で水に沈み息絶える。仙島の不思議な老人が舜天丸の口に息を吹き入れて、蘇生させる。
『西鶴諸国ばなし』巻5−5「執心の息筋」 三人兄弟が父を亡くし、継母の世話になる。弟二人は父の後を追うようにして死に、十九歳の長男もやがて継母を恨んで病死する。家の全財産を得た継母は派手に暮らすが、長男の幽霊が現れて息を吹きかけると、継母の頭に火炎が燃えつき、形も残らず焼け失せた。
『ファウスト』(ゲーテ)第2部第5幕「半夜」 ファウストは神聖ローマ帝国の高官となり、干拓による国土開発に力を尽くして、自らの人生を意義あるものにしようと励む。高齢に達したファウストの宮殿に、深夜、灰色の女「憂愁」が忍び入り、息を吐きかけて、ファウストを盲目にする。しかし彼の心の中には明るい光が輝き、干拓事業完成への新たな意欲がわく。
『雪おんな』(小泉八雲『怪談』) 老人の木こり茂作と、十八歳の巳之吉が、吹雪におそわれ小屋で眠る。全身真っ白な女が入って来て、きらきら輝く白い煙のような息を茂作に吹きかけて殺す。女は若い巳之吉を憐れみ、口止めだけして殺さずに去る。
『聊斎志異』巻1−3「尸変」 安置されていた女の死体が起き上がり、眠る旅人たちに息を吹きかけて殺す。一人だけは蒲団をかぶって無事だった。
*人間に息を吹きかけて動物にする→〔宿〕3bの『高野聖』(泉鏡花)。
『息の喪失』(ポオ) 「私」は女房をどなりつけようとして、突然、息を失う。「私」は死刑囚と間違えられて絞首刑になるが、「私」には息そのものがないので、息の根を止めることができない。「私」は生きたまま埋葬される。「私」は墓地で、「私」の息を偶然呑みこんで倒れた隣人に出会い、息を返してもらう。
*絞首刑になっても死なない人→〔ろくろ首〕1の『偏見』(星新一)。
『ギリシア哲学者列伝』(ラエルティオス)第6巻第2章「ディオゲネス」 ディオゲネスは九十歳近くまで生きた。ある日、彼は自分で息をとめて死んだ〔*ゼノンやメトロクレスも、自分で息をとめて死んだ、と言われる〕。
*ディオゲネスの死については、別説もある→〔蛸〕4。
『百物語』(杉浦日向子)其ノ80 雨女は、古家の湿気が凝ったものである。長雨の晩、女の姿をして枕元に現れ、眠る人の顔をのぞき込む。寝息に乗じ、眠る人の鼻から体内へ入る。吸い込んだ人は風邪にかかる。運悪く口から一呑みにすれば、死ぬことすらある。
★1.生き肝(あるいは心臓)は、さまざまな病気に著効のある薬である。
安達が原の鬼婆の伝説 姫君環の宮の病気を治すために生き肝が必要なので、乳母の岩手が人里離れた岩屋に住み、訪れた若い女の腹を裂く。ところが、死に際の女の言葉から、彼女は岩手の実の子であったことがわかる(福島県二本松)。
『今昔物語集』巻4−40 天竺の貧家の娘が、『法華経』書写供養の費用を作るため、宮殿へ髪を売りに行く。国王の太子が生来声の出ぬ病で、長髪の美女の生き肝を良薬として求めていたところなので、娘は捕らえられ、胸を裂かれることになる。その時、太子が「娘を殺すなかれ」と、生まれて始めて言葉を発する。大王は喜び、娘に多くの財宝を与える。
『今昔物語集』巻5−25 懐妊した亀が、腹の病の薬として猿の肝を欲しがる。夫亀が猿をだまして連れ出すが、猿の「生き肝は木に懸けてある」という言葉に欺かれ、逃げられる〔*→〔魂〕1bの『二人兄弟の物語』と同様に、生命の根源である魂を体外に置く物語の一種であろう〕。
『西遊記』百回本第78〜79回 白鹿の化身の道士が、白狐の化身である美后を、比丘国の王に献ずる。国王は美后を寵愛すること三年、病み衰えて命も危うくなる。道士は「千百十一人の子供の心肝を煎じて薬とともに飲めば、長生きできる」と言うので、家々では子供を籠に入れて国王の下命を待つ。孫悟空が子供たちを保護し、道士と美后の正体をあばいて、国王を恥じ入らせる。
『ジャータカ』第57話 懐妊した鰐が、猿の心臓の肉を食べたいと言うので、鰐の夫が岩に化けて猿を誘いよせる。猿はこれを見破り、身体を与えるふりをして鰐に近づく。鰐は口を開けると目を閉じる習性があり、猿はそれを利用して、鰐の頭を踏みつけて逃げる。
『太平広記』巻445所引『宣室志』 富豪楊氏の老父が病み、人の生きた心を食わねば治らない。楊氏は旅に出、ある深山で、「心を与えてもよい」と言う老僧に出会い、連れ戻って饗応する。老僧は、食べ物を平らげると高樹の枝に跳び上がり、「金鋼経に『過去心不可得。現在心不可得。未来心不可得』とあり、心は手に入らぬものだ」と述べて、猿に変じ姿を消す。
『封神演義』第23回 妲妃(実は妖狐の化身)が血を吐いて倒れ、「この病気を治すには、宰相比干の心臓が必要だ」と紂王に訴える。比干は姜子牙(太公望)から霊符を受け、起死回生の秘策を授けられて、自ら短刀で胸を裂き心臓を抉り出す。彼は心臓を失った身体のまま、紂王のもとから退出する→〔禁忌〕2。
*五月五日生まれの美女の生き肝→〔五月〕1の『新可笑記』(井原西鶴)巻1−4「生肝は妙薬のよし」。
*鹿の心臓と肝臓を用いて、身体から蛇の毒を吸い出す→〔鹿〕5の『仔鹿物語』(ブラウン)。
*生き肝は、恋わずらいの薬にもなる→〔恋わずらい〕2の『肝つぶし』(落語)。
『椿説弓張月』続篇巻之5第43回・残篇巻之3第 63回 阿公は産気づいた新垣の腹を裂き、胎児を尚寧王の子と偽って王位につけようとする。しかし新垣は阿公がかつて生んだ娘、胎児は孫だった。
『南総里見八犬伝』第9輯巻之3第97回 胆吹山(=伊吹山)の盗賊・但鳥跖六業因(ただとりせきろくなりより)は、懐妊中の女をさらって腹を裂き、胎内の児を蒸して食い、炙って酒の肴にしていた。しかし、ある時、突然腹の中から声がして、長年の悪事をしゃべり出し、業因は捕らえられた。
*→〔切腹〕2の『南総里見八犬伝』第6輯巻之5下冊第61回〜第7輯巻之2第65回)。
『古事記』上巻 ホヲリ(=山幸彦)は、塩椎神(しほつちのかみ)の教えで无間勝間(まなしかつま)の小舟に乗り、潮路にそって海神の宮に到る。彼は海神の娘トヨタマビメと結婚し、その国で三年を過ごした〔*『日本書紀』巻2、第10段・本文では、塩土老翁(しほつちのをぢ)が、ヒコホホデミ(=ホヲリ)を籠に入れて海に沈めた、と記す。一書第1では、「一に云はく」として、竹籠を筏にして浮かべ、そこにヒコホホデミを細縄で結びつけて沈めた、という別伝を記す〕。
『古事記』中巻 垂仁天皇は、海の彼方にある常世の国にタヂマモリを遣わして、時じくのかぐの木の実(=橘)を捜させた。しかし、タヂマモリが木の実を得て帰って来た時には、垂仁天皇はすでに崩御されていた。タヂマモリは天皇の御陵に木の実をささげ、泣き叫んで死んだ〔*『日本書紀』巻6では、垂仁天皇90年2月1日にタヂマモリを派遣、99年7月1日に天皇140歳で崩御、翌年3月12日にタヂマモリ帰還、と記す〕。
『三宝絵詞』上−4 大施太子は、海中の如意珠を求め船出する。宝の山を過ぎて船を捨て、徒歩で水を渡り、銀沙の浜・金沙の浜・青蓮の咲く所・紅蓮の咲く所などを経て、龍王の宮に到る。太子は、龍王の左耳中の珠を得る。
『俵藤太物語』(御伽草子) 俵藤太は龍女に伴われて琵琶湖に入り、水輪際・金輪際・風輪際を過ぎて龍宮に到る。娑羯羅龍王に対面してもてなしを受け、鎧・太刀・赤銅の釣鐘を得て、瀬田の橋まで帰り着く。
*→〔海〕6aの『丹後国風土記』逸文(浦島)。
*池が龍宮に通じる→〔恩返し〕の『今昔物語集』巻16−15。
『剪燈新話』巻2「天台訪隠録」 明の人徐逸は、薬草を取りに天台山の奥深く入り、渓流に瓢が流れ来るのを見る。渓流に沿って上ると、四〜五十軒の集落がある。宋の末期に戦乱を逃れた人々が、ここに住みついていたのだった。
『捜神後記』巻1−5(通巻5話) 晋の太元年間(376〜396)、漁夫が両岸に桃林を見つつ谷川をさかのぼり、山奥の一村に到る。そこは数百年前、秦末の戦乱を避け、隠れ住んだ人々の子孫の村だった。漁夫は村人に歓待され、数日間滞在した。
『遠野物語』(柳田国男)63 女が蕗を取るため小川沿いに山へ入り、谷の奥深くまで遡ると、立派な黒い門の家がある。花が咲き、鶏や牛馬が飼われ、中には多くの膳碗が用意され、湯もわいている。しかし人影はなく、女は恐ろしくなって逃げ帰る。これはマヨイガというものである→〔川〕5a。
『蒙求』 344所引『続斉諧記』 山で道に迷った二人の男が、谷川にかぶら菜の葉と椀が流れて来るのを見る。人家が近いのだろうと考え、谷川を渡り山を越えて大勢の仙女の住む里へたどり着く。二人は半年ほど仙女と夫婦暮らしをした後に故郷に帰り、七代目の子孫と会う。
*→〔袋〕1の『捜神後記』巻1−3(通巻3話)。
『河童』(芥川龍之介) 「僕」は上高地から梓川を遡り、一匹の河童に出会う。これを追いかけて熊笹の中の穴に落ち、地下の河童の国へ到る。「僕」は、詩人トック・哲学者マッグ・音楽家クラバック・漁夫バッグなど、多くの河童たちと親交を結び、河童世界と人間世界とを対比していろいろなことを考える。一年前後を河童の国で過ごした後、一軒の家の天窓から下がっている綱梯子を攀じ登り、「僕」は地上へ帰る。
『古事記』上巻 オホナムヂ(=大国主命)は木の国に行き、木の股を経由して根の国を訪れる。根の国で彼はスセリビメに出会い、その父スサノヲからさまざまな試練を受ける。オホナムヂは試練を乗り越え、スサノヲが眠っている間に、スセリビメを背負って逃げ去る。オホナムヂはスセリビメを正妻として、出雲国に大きな宮殿を造る。
『諏訪の本地』(御伽草子) 甲賀三郎は、兄の奸計で蓼科山の人穴の底に置き去りにされる。三郎は地底の国々を遍歴して維縵国に到り、国王の婿となって十年を過ごした後に地上へ帰還する→〔再会〕1a。
『天稚彦草子』(御伽草子) 長者の末娘が、天稚彦(天稚御子)の妻になる。天稚彦が天に昇ったまま帰らないので、妻は一夜ひさご(=一夜のうちに天に届くまで成長する瓢箪や夕顔)を伝わって天に昇り、夫を捜し求める。天稚彦の父鬼から難題を与えられた後、二人は結婚を許され、天稚彦は彦星、妻は七夕(織姫)となって、一年に一度、七月七日に逢う。
『源五郎の天昇り』(昔話) 源五郎が拾った太鼓をたたくと鼻が天までのび、杭代わりに天の川の橋の欄干にくくり付けられる。太鼓の裏をたたくと鼻は縮み、源五郎の身体が天までたぐり上げられる。源五郎はそこで雷の手伝いをし、地上に雨を降らせる(長崎県南高来郡)。
『天人女房』(昔話) 夫が、天人女房のあとを追って天に昇る。女房の親の出す難題をやり遂げるが、瓜を切ったために、瓜から出た大水に流されて女房と別れ別れになる。二人は年に一度、七月七日にしか逢えなくなる(香川県三豊郡)。
*→〔異郷訪問〕9の『ジャックと豆の木』(イギリス昔話)。
*→〔天国(極楽)〕2aの『ジャータカ』第494話・『神曲』「天国篇」。
★5a.異郷を再度訪れようとしても道がわからず、二度と行くことができない。
『太平広記』巻16所引『続玄怪録』 義方は嫁いだ妹に会うべく、遠方の山里にある婿の屋敷を訪れる。そこは鳳凰が飛ぶ仙郷であり、義方は黄金を土産にもらって帰る。何年も経て後、義方は再び妹を訪れようとするが、山と川が入りくんで道がなく、行きつけなかった。
『ドイツ伝説集』(グリム)9「よろず開きの根」 羊飼いが王女に導かれて、洞穴から山の内部に入る。よろず開きの根を近づければ、閉じた扉や通路は次々に開き、山の真中まで来ると、宝石や金に満ちていた。羊飼いはそれらをポケットに詰め込むが、王女の「いちばん大事なものを忘れるな」との忠告にもかかわらず、よろず開きの根を置き忘れて家に帰る。そのため、山への入口は二度と見つけ出せなかった。
『遠野物語』(柳田国男)64 男が山中で道に迷いマヨイガにたどり着くが、恐ろしくなって村に引き返す。「マヨイガから膳碗を取ってくれば長者になれる」というので、大勢の村人が男の案内で山の奥へ入り、マヨイガを捜す。しかしついに見つからなかった。
*→〔道しるべ〕4。
★5b.いつもとは違う道から町へ入ったために、異郷をかいま見る。
『猫町』(萩原朔太郎) 北越K温泉に逗留する「私」は、近くのU町へよく出かけた。ある時「私」は道に迷って方向感覚を失い、いつもと違う方角からU町へ入った。そのため前後左右の逆転した町並み、いわば景色の裏側を見て、「未知の土地に来た」と錯覚した。一瞬「私」は、猫の集団が街路を歩き、家々に住んでいるさまを幻視した。
『オズの魔法使い』(ボーム) カンサス地方を襲った大竜巻で、ドロシーは愛犬トトとともに家ごと巻き上げられ、魔法使いオズの国に着地する。そこで出会った、かかし・ブリキの木こり・ライオンと一緒に、ドロシーは旅をして、オズの住むエメラルドの都へ行く。しかしオズに面会すると、オズが魔法使いなどではなく、ただのペテン師の老人だったことがわかる。ドロシーは魔法の銀の靴をはいて、故郷カンサスへ帰る。
『ピーター・パン』(バリ) ピーター・パンは、ダーリング家の三人の子供ウェンディ・ジョン・マイケルを連れ、二つ目の横町を右、それから朝までまっすぐ飛んで、ネヴァーランドへ行く。彼らはそこで海賊フック一味をやっつけ、手に入れた海賊船に乗って帰って来る。
*→〔穴〕2の『不思議の国のアリス』(キャロル)・〔鏡〕5の『鏡の国のアリス』(キャロル)・〔クリスマス〕1aの『青い鳥』(メーテルリンク)・『くるみ割り人形』(チャイコフスキー)。
『カンディード』(ヴォルテール)第17〜18章 ヨーロッパから南米に渡ったカンディードは、従者カカンボとともに小舟で川を流れ漂い、エルドラドに到る。そこは、宝石や黄金が往来に小石のごとくころがっている理想郷であり、二人は一ヵ月間滞在した後、多くの宝石と黄金をもらってヨーロッパへ戻る→〔従兄弟・従姉妹〕1・〔追放〕2。
『草枕』(夏目漱石) 日露戦争中の春、東京の画工である「余」は、九州・那古井の温泉を訪れ、出戻り娘の那美さんに出会う。那美さんは深夜に歌いながら歩いたり、浴室にいる「余」の前に裸身をさらすなどして、「余」を翻弄する。旧夫に再会した那美さんの顔に憐れの表情が浮かぶのを見て、「余」は那美さんの絵姿を胸中に描く。
*無為徒食の西洋舞踊研究家島村は、国境の長いトンネルを抜けて雪国に到る→〔異郷訪問〕9の『雪国』(川端康成)。
『不思議の国のアリス』(キャロル) 夏の昼下がり、少女アリスは土手の上で読書する姉のそばにすわっているうち、すっかり退屈し、眠くなる。アリスは、走る兎を追って不思議の国に到り、奇妙な体験をするが、気がつくと姉の膝に頭をのせて眠っていたのだった。
『列子』「黄帝」第2 黄帝は昼寝の夢で、何千万里も彼方の華胥の国に遊んだ。そこには君主などはなく、人々は自然のままで欲望がなく、若死にする者もなく、一切の恐怖・危険もなく、形体を超えた精神の自由に満ちた理想郷だった。目覚めた黄帝は、思案工夫からは得られぬ道の極致を悟り、以後、天下は華胥の国のごとくよく治まった。
*→〔クリスマス〕1aの『青い鳥』(メーテルリンク)・『くるみ割り人形』(チャイコフスキー)・〔夢オチ〕1の『隠れ里』(御伽草子)・『枕中記』(唐代伝奇)・『南柯太守伝』(唐代伝奇)。
『天路歴程』(バニヤン)第1部 荒野を歩く「私」は、穴窟(あなむろ)で眠り、以下のような夢を見る。背中に重荷(=原罪)を負った男(名はクリスチャン)が、書物(=『聖書』)を開き見て、自分の住む町が天からの火で滅びる運命であることを知る。彼は救いを求めて巡礼の旅に出、苦難の後に天の都に到り着く〔*第2部では、「私」は、クリスチャンの妻と子供たちもあとを追って巡礼の旅に出る、との夢を見る〕。
★9.一般に、異郷は一度だけ訪れるものであるが、異郷を三度訪れる物語もある。
『ジャックと豆の木(豆のつる)』(イギリス昔話) ジャックは豆のつるを攀じ登って、天上に住む人食い鬼の家を三度訪れる。人食い鬼が眠るすきに、ジャックは一度目は金貨の袋を盗んで帰り、二度目は黄金の卵を産む鶏を盗んで帰る。三度目には黄金の竪琴を盗むが、人食い鬼は目をさまし、豆のつるを伝って追いかけて来る。ジャックは斧でつるを切り、人食い鬼は地上に落ちて死ぬ。
『雪国』(川端康成) 東京に妻子のある、無為徒食の西洋舞踊研究家・島村は、雪国を三度訪れる。一度目はある年の五月で、島村は芸者・駒子と関係を持つ。二度目はその年の十二月、島村は駒子の妹分・葉子を知る(→〔乗客〕2)。東京へ帰る日、駒子のいいなずけだった青年が病死する。三度目は、翌年の晩秋から初冬にかけての長逗留になる。もはやここを去らねばならぬと思った日、火事が起こる(→〔狂気〕4)。
*月旅行→〔月〕1。
*冥界訪問→〔冥界行〕。
*訪れた記憶がなく、地図にもない町→〔記憶〕6の『弓浦市』(川端康成)。
*関連項目→〔霊〕
『生霊』(小泉八雲『骨董』) 瀬戸物屋喜兵衛の店に、若い手代が新たに雇われ、たいへん良く働いた。しかし喜兵衛の妻は、「この利口な手代が、身代(しんだい)を横取りするのではないか」と疑い、手代を憎む。憎しみの念は生霊となり、手代を苦しめる。手代は昼も夜も、喜兵衛の妻の幻につきまとわれ、病気になってしまった。事情を知った喜兵衛は、手代を店から出し、他の町の支店をまかせる。やがて手代は健康を取り戻した。
*嫉妬や恨みの念が生霊となる→〔妬婦〕1bの『源氏物語』「葵」。
『今昔物語集』巻27−20 近江国の女が民部大夫の妻となったが、やがて棄てられた。女は恨み、身体から生霊が抜け出て、民部大夫の住む京へ行く。生霊は途中で道に迷い、通りかかった旅人に頼んで、民部大夫の家まで連れて行ってもらう。夜明け前のことで、旅人の目には、生霊は恐ろしげな女の姿に見えた〔*生霊は民部大夫を取り殺す。近江国の女は、生霊の活動を自覚していた〕。
★3.生霊が死霊となっても、引き続き同じ人物に憑依し続ける。
生霊憑の話 享保十四〜五年頃の京都。ある娘が、近所の問屋の息子に思いをかけ、生霊となってとりつき、息子は寝込む。和尚が祈祷をするが、生霊を落とすことはできない。しかし祈祷の験(しるし)はあったというべきか、娘は突然死んでしまった。だが、娘は死霊となって相変わらず息子にとりついている。そこで和尚が再び祈祷をすると、死霊は暇乞いをして息子の身体から離れ、以後二度と現れなかった〔*強い生霊も、死霊になると力が弱くなる、ということである〕。
抜け出した魂(現代民話) 昭和五十四年六月、池袋で聞いた女子大生の話。仲間のヒデ子を学内で見かけたが、帰る時になったら姿が見えない。友人たちも、それぞれ別々の時間に学内でヒデ子を目撃していた。しかし不思議なことに、各自、異なる髪型・服装のヒデ子を見ていた。翌日ヒデ子に聞くと、彼女は昨日は大学をズル休みし、一日中鏡の前で、髪型や服装をいろいろ変えて楽しんでいた、と言った(東京都)。
★4b.逆に、身体から抜け出た魂が、遠方の鏡に映し出される。
『不思議な鏡』(森鴎外) 明治四十五年の新年早々、「己(おれ)」の魂は身体から抜け出た。魂の形は青い火の玉ではなく、身体そのままの影だった。魂は山の手から下町へ飛び、大勢が働く某出版社の、座敷の大鏡に吸い込まれる。鏡には「己」が、肘掛け椅子に座った姿で映し出された。田山(花袋)君が鏡の前へ来て、「己」と話をする。しばらくの会話の後、「己」の魂は鏡の面を離れ、自分の身体に戻った。
『紅楼夢』第56回 賈宝玉は十三歳の頃、夢で自分そっくりの少年を見て、「宝玉さん」と呼びかけた。侍女の襲人(しゅうじん)が彼を起こし、「部屋の鏡に、若様が映っているのですわ」と言う。別の侍女が、「人間は年齢(とし)がゆかぬうちは、魂がしっかり身体に入っていないから、鏡に映しすぎると、おかしな夢を見たりするものです」と説明する。
『なまみこ物語』(円地文子) 一条帝は中宮定子を寵愛した。藤原道長は定子を失脚させようとはかり、巫女の姉妹に定子の生霊を演じさせる。にせ生霊は一条帝や道長の面前で、新中宮彰子(=道長の娘)を呪い、おぞましいふるまいを見せつける。その時、本物の定子の生霊が出現して、自らの真心を一条帝に訴え、道長のたくらみは失敗する〔*しかし定子はまもなく死去し、道長は望みどおり一条帝の外戚となる〕。
★.神や怪物に人間を捧げるならわしがあったが、英雄がこのならわしをやめさせる。
『ギリシア神話』(アポロドロス)第2巻第5章 エジプトを九年間の不作が襲って以来、エジプト王ブシリスは、訪れる異邦人たちを捕らえ、ゼウスの祭壇で犠牲に供していた(*→〔自縄自縛〕2a)。ヘラクレスも旅の途中で捕らわれたが、彼は縄目を破り、エジプト王とその子を殺して去った。
『ギリシア神話』(アポロドロス)第3巻第15章 〜摘要第1章 毎年アテナイの少年七人と少女七人がクレタ島へ貢ぎ物として送られ、迷宮の中へ入れられて、牛頭人身のミノタウロスの餌食になる。テセウスが迷宮の奥へ踏みこみ、ミノタウロスを拳で打って殺す〔*『変身物語』(オヴィディウス)巻8では、九年に一度の人身御供、とする〕。
『三国志演義』第91回 南征を終え帰国する諸葛孔明の軍が瀘水まで来ると、激しい風浪で渡ることができない。四十九の人頭を供える風習があると聞いた孔明は、麦粉をこねて人の頭の形にし、中に牛・羊の肉をつめて饅頭と名づけ、これを瀘水に投げ入れて祭りをする。風浪は治まり、軍は瀘水を渡る。
『史記』 「滑稽列伝」第66 巫女が、土地の美女を河伯(河の神)の妻に指名して、黄河に沈める風習があった。新県令西門豹が生贄の娘を見て、「これは美しくない。『後日もっと美しい娘を奉ります』と河伯に報告して来い」と命じ、巫女たちを河に突き落とす。以後、生贄の風習は廃止される〔*『今昔物語集』巻10−33に類話〕。
*→〔言挙げ〕1の『ギリシア神話』(アポロドロス)第2巻第4章・〔蛇退治〕1の『古事記』上巻(ヤマタノヲロチ)・〔蛇退治〕4の『捜神記』巻19−1・〔経〕3aに記事・〔子殺し〕5に記事。
『大いなる遺産』(ディケンズ) 貧しい少年ピップは、教会墓地で出会った脱獄囚マグウィッチに要求されて、やすりと食料を与える。ピップの成長後、弁護士が訪れて、「ピップが莫大な遺産を得るだろう」と告げる。「近隣に住む変わり者の金持ちミス・ハヴィシャムが恩恵を施してくれたのだ」とピップは思うが、実は脱獄囚マグウィッチがピップを見込み、働いて得た財産を贈ろうとしたのだった。ピップはロンドンへ出て紳士になる。マグウィッチは逮捕されて死に、財産は国家が没収する。ピップは帰郷し、ミス・ハヴィシャムの養女で、かつて彼に冷酷な仕打ちをしたエステラと再会する(*彼女はマグウィッチの娘だった)。エステラは過去を悔い、ピップとエステラの間に心が通い合う。
『オペラ・ハット』(キャプラ) 伯父が自動車事故死したため、青年ディーズに二千万ドルの遺産が転がりこむ。早速、金目当ての連中がディーズを取り巻く。マスコミは彼を「シンデレラマン」と名づけてからかう。善良なディーズは遺産で広大な農地を買い、困窮した失業者たちに職を与える。遺産をねらう弁護士シーダーは、ディーズを禁治産者に仕立てようとして失敗する。女性新聞記者ベイブは、かつてディーズの行状を面白おかしい記事にしたことを悔い、彼への愛を告白する。
『好色一代男』(井原西鶴) 大尽夢助と遊女との間に生まれた世之介は、七歳で恋の道に目覚め、放埒のあげく、十九歳で勘当される。二十代の世之介は、九州から東北まで諸国を流浪しつつ、多くの男女と関わりを持つ。三十四歳の時に父が死んで、二万五千貫目という巨額の遺産を、世之介は得る。その後は金にあかせて、吉野・高橋をはじめ、京・大阪・江戸の一流の太夫を相手に、好色生活の理想を追求する。
『人間万事金世中(にんげんばんじかねのよのなか)』(河竹黙阿弥) 明治初期。林之助(りんのすけ)は亡父が商売に失敗したため、伯父の家に厄介になり、冷遇される。ところが、親類が死んで林之助は二万円の遺産を得たので、伯父一家は娘おしなを林之助と結婚させようと、彼に取り入る。そこへ債権者が現れ、林之助は亡父の借金に利息をつけて二万円を返済し、もとの無一文に戻る。伯父一家はたちまち縁談を取り消し、林之助と親戚の縁を切る。実は債権者の出現は、伯父一家の心を知るための芝居であり、林之助は財産を失ったわけではなかった。林之助は、貧しくも心優しい娘おくらと結婚することになった〔*喜劇『マネー』(リットン)を翻案した作品〕。
『カター・サリット・サーガラ』「愚者物語」第32話 バラモンの兄弟二人が父の遺産を相続し、学者の勧めにしたがって、すべての物を一つ一つ半分に分けた。二人は、家屋・家具・家畜はもちろんのこと、下女までも二等分したので、王が二人を処罰し、財産も没収した。
『長靴をはいた猫』(ペロー) 粉ひきの残したわずかな財産を三人の息子が分ける。長男は粉ひき場を、次男はロバを取り、末子は猫しかもらえなかった。しかしこの猫のおかげで、末子は侯爵となって王女と結婚した。
『二十四孝』(御伽草子) 親の遺産を兄弟三人が三つに分けて取る。庭前に紫荊樹という木が一本あったので、「これも三人で分けよう」と相談していると、その夜のうちに木は枯れてしまった。
『西鶴諸国ばなし』(井原西鶴)巻2−7「神鳴りの病中」 臨終の老父が二人の息子に、「遺産は兄弟で分けよ。家宝の刀は絶対手放すな」と遺言する。兄弟は刀を巡って争い、結局、兄が刀を得て、弟がそれ以外の遺産を相続する。しかし兄が都へ上って刀を鑑定してもらうと、まったくの鈍刀だった→〔剣〕6。
『三角館の恐怖』(江戸川乱歩) 一代で巨富を築いた蛭峰は、「養子の双生児・健作と康造のうち、長生きした方に全財産を譲る」との遺言を残す。健作と康造は、互いに健康法に夢中になりつつ七十歳を迎え、彼らの子供たちは、それぞれの父親が少しでも長く生きることを願う。ところが健作と康造は相次いで殺され、子供たちの遺産獲得の見込みは二転三転する。
『棠陰比事』110「斉賢両易」 「財産配分が不平等だ」と言って甲と乙が争い、ともに、「分け前が相手よりも少ない」と主張した。丞相張斉賢が甲乙両者の言い分を聞き、甲を乙の家に、乙を甲の家に入れた。二人ともこの裁きに従うほかなかった。
『家なき子』(マロ) 貴族のミリガン氏は重病で死にかけていた。彼の弟ジェイムズは「兄の称号と遺産を得たい」と考え、ミリガン家の跡継ぎである長男の「ぼく(レミ)」を、生後六ヵ月の時にさらって棄てる。ミリガン氏の死後に夫人が産んだ次男アーサーは病弱だったので、ジェイムズはアーサーが死ぬのを待つ。「ぼく」は、養父バルブラン・旅芸人ビタリスなど、いろいろな人の世話になって成長し、十三歳でようやく実母ミリガン夫人のもとに引き取られる〔*ジェイムズは遺産を得られずに去り、アーサーは健康を回復する〕。
『オリヴァー・トゥイスト』(ディケンズ) 孤児オリヴァーは救貧院で生まれ、盗賊団に引き入れられるが、様々な苦労の後、亡父・亡母が地位ある人であったことを知る。彼は亡母の妹ローズと巡り合い、亡父の親友・老紳士ブラウンローの養子になる。オリヴァーを盗賊に仕立てようとたくらんだモンクスは、オリヴァーの異母兄であり、それは亡父の遺産を独り占めしようと考えてのことだった。
『鳩の翼』(ソフトリー) ケイトは新聞記者マートンを恋人としていたが、彼女の後見人である伯母は、マートンが財産を持たぬ男なので、結婚を許さなかった。莫大な財産の所有者でありながら、難病で余命わずかな娘ミリーが、マートンに好意を寄せた。それを知ったケイトは、マートンをミリーに近づける。ミリーはマートンとの交際を喜び、彼に遺産を与えて死んで行く。ケイトは「これでマートンと結婚できる」と思うが、マートンは「遺産は受け取らない」と言う〔*ヘンリー・ジェイムズの同名小説の映画化〕。
『セールスマンの死』(ミラー) ウイリーは六十三歳の老セールスマンである。「人に好かれること」をモットーに長年働いてきたが、とうとう解雇されてしまった。彼には妻と、三十代で独身の息子二人がいる。一家はこれまでずっと、家のローンやさまざまな借金に追われる生活だった。ウイリーは深夜に自動車を猛スピードで運転し、自ら事故死する。死亡保険金二万ドルが、家族への遺産となった。
*莫大な遺産の相続者を殺そうとする→〔アイデンティティ〕2の『シンデレラの罠』(ジャプリゾ)。
姥石の伝説 姥石・比丘尼石・巫女石・美女石などと呼ばれる石がある。いずれも、女人禁制の山に登った女たちが、神の怒りを受けて石になったものである。
『淮南子』逸文 禹は山を拓き水を治める時、熊の姿になって働き、その姿を妻の塗山氏に見せないようにしていた。ところがある時、妻が禹の仕事中に訪れ、熊の姿を見てしまう。妻は恥じて去り、石と化した。
『十訓抄』第6−22 夫が戦さのため、遠く国境地帯へ赴く。妻は幼い子を連れ、武昌の北の山まで送る。夫は帰らず、妻は子を背負い、立ったまま死んで石に化した。その山を望夫山、石を望夫石と言う〔*『古今著聞集』巻5「和歌」第6に同話〕。
『神道集』巻2−7「二所権現の事」 霊鷲御前を尋ねて来た継母に、霊鷲の夫が「石の法」をかける。継母は輿に乗ったまま石神となる。今も山中に残る輿石がこれである。
『変身物語』(オヴィディウス)巻6 女神ラトーナ(レト)の命令を受けて、彼女の息子アポロンと娘ディアナ(アルテミス)が、テーバイの女王ニオベの子供たちを、弓で射殺した(*→〔言挙げ〕1)。ニオベは泣きながら、全身が石と化した。つむじ風がニオベを故国リュディアの山頂へ運び、彼女は大理石となって、今も涙を流している。
『変身物語』(オヴィディウス)巻14 乙女アナクサレテは、彼女を恋する青年イピスに様々の残酷な仕うちをして、死に追いやる。アナクサレテは窓辺でイピスの葬列を見るうちに、そのかたくなな心のままに全身が石に変わっていく。
*女が尿をして、石に化す→〔尿〕3の石になった花嫁の伝説。
*人妻が姦通して、石に化す→〔千〕6の『カター・サリット・サーガラ』「ウダヤナ王行状記」9・挿話15。
『東海道名所記』巻1 石地蔵が夜な夜な化けて往来の人をたぶらかす。美女に化けたところを、紀州の某が抜きうちに斬り、見ると首の落ちた石地蔵だった。以来、首きれ地蔵と名づけられた。
『今昔物語集』巻5−31 天竺の牧牛人が岩穴に入り、果実を一つ取って出ようとする時鬼に襲われて、果実を飲みこむ。たちまち身体が肥って穴から出られず、そのまま石と化す〔*『宇治拾遺物語』巻13−11に類話〕。
『ペンタメローネ』(バジーレ)第4日第9話 弟が兄への土産の鷹と馬を殺し、兄と花嫁との初夜のベッドの後ろに隠れて、剣をふるい龍を追い払う。すべて兄の身を救うための行為だったことを弟は語るが、語りおえると弟は全身大理石の像になってしまう→〔血〕5。
*→〔血〕5の『忠臣ヨハネス』(グリム)KHM6。
*精霊の女と結婚した帝が、石になる→〔影〕2dの『影のない女』(ホフマンスタール)。
*三人の男が、女を待って石になる→〔一妻多夫〕2の『ちょうと三つの石』(小川未明)。
『壱岐国風土記』逸文・ 鯨伏の郷 鰐が鯨を追いかけ、ともに石と化した。
『三国伝記』巻2−12 近江の平流山はもとは天竺霊鷲山の一岳だったが、大蛇の背に乗って日本に化来した。蛇は石と化して平流山を戴き、毎日三度口を開く。これを蛇石という。
『南総里見八犬伝』第9輯巻之51第180勝回上 政木狐は陰徳の功が積もって狐龍 となり昇天したが、三年後に命数尽き、蟠る龍のごとき形状の白石と化して大地に落下した。
『日本書紀』巻6垂仁天皇34年3月 垂仁天皇が山背(やましろ)に行幸した時、河の中から大亀が現れた。天皇が矛で大亀を刺すと、白い石に化した。天皇はこれを瑞祥とし、山背の美女・綺戸辺(かにはたとべ)を後宮に入れた。
『平家物語』(延慶本)巻4−28「頼政ぬへ射る事」 怪獣「わざわい」が鉄を食って、日に日に体が巨大化する。有験の僧たちが天童の法を行なうと、「わざわい」は退去し山中で死ぬ。死後は磁石という石になった。
『ギリシア神話』(アポロドロス)第2巻第4章 ステノ・エウリュアレ・メドゥサのゴルゴン三姉妹は、龍の鱗で取り巻かれた頭を持ち、黄金の翼で飛ぶ。そして彼女らを見た者を石に変じる。
『火の鳥』(ストラヴィンスキー) 悪魔コスチェイは国々の姫君たちをさらって城に閉じこめ、城内に入りこむ男たちには魔法をかけて、皆石にしてしまう。
*→〔兄弟〕4の『二人兄弟』(グリム)KHM60。
『殺生石』(能) 玄翁和尚が、那須野の原の殺生石に「成仏せよ」と引導を渡す。すると大石が二つに割れ、妖狐が現れて、天竺・大唐・本朝でなした悪行を語り、「今、和尚に会い済度を受けたので、この後は悪事をせぬ」と誓って消える。
『日本書紀』巻6垂仁天皇2年是歳 ツヌガアラシトがある村落で牛を取られた代償に、村の神体である白石を得る。その石を寝室に置くと、美女に変じた〔*『古事記』中巻の異伝では、赤玉が美女になる〕。
『変身物語』(オヴィディウス)巻1 大洪水後、ただ二人生き残った男女であるデウカリオンとピュラは、女神テミスの神託に従って、石を背後へ投げる。すると石は、柔らかくなり形を変えて人間となった。男(デウカリオン)の投げた石は男の姿をとり、女(ピュラ)の投げた石は女の姿になった。
*→〔精液〕1bの『クマルビ神話』(ヒッタイト)2「ウルリクムミの歌」。
*→〔誕生〕3に記事。
『つぼの石ぶみ』(御伽草子) 陸奥壺の里の大石が人にたたりをなすので、国境に移すことになる。里の女に夜ごと通う男が、「自分は石の精である」と打ち明け、「汝が引けば動くであろう」と告げる。翌日、千人の者が大石を運ぼうとしても動かない。女が綱手を取って引くと、石は坂を下る車のごとくやすやすと動いた。
『古事記』中巻 神功皇后がまだ新羅平定を終えないうちに、子が生まれそうになった。そこで石を裳の腰につけて腹を鎮め、筑紫の国に戻ってから産んだ〔*『日本書紀』巻9仲哀天皇9年9月・『万葉集』巻5 817歌の題詞・『筑前国風土記』逸文な どに類話〕。
『筑紫国風土記』逸文「子饗の原」 神功皇后が新羅との戦争に臨む時、胎内の子が動いたので、二つの石を裙の腰にはさんで出産を遅らせた。
『魚石』(つげ義春) 侍が、中に魚が棲むという魚石と引き換えに、商家から五両を借りる。ところが一年待っても侍は金を返しに来ず、商家の主人は「騙された」と思い、魚石を捨てる。さらに一年たって侍が訪れ「急用で国元に帰っていた。このたび魚石を殿様に献上することになった」と言う。主人は侍に五十両支払うことになる。
『江談抄』第3−24 備後守致忠が、閑院の庭に置く立石を一つ一両で買った。これが評判となり、大勢が珍しい石を閑院に運び、売ろうとした。致忠は「今は買わぬ」と答え、人々は石を門前に捨てて帰った。その石の中から、致忠は趣のある石を選び、庭に立てた。
『耳袋』(根岸鎮衛)巻之3「玉石の事」 長崎の某町家の礎の石から水気が潤い出るので、主人は「中に宝玉がある」と考え、ふちを研ぎ取るうちに、誤って割ってしまう。 石中からは水とともに小魚が流れ出て、死ぬ。唐人がこれを聞き「宝玉を傷つけぬよう静かに磨き上げれば、千金の器物だったのに」と惜しむ。
『無能の人』(つげ義春) 売れない漫画家・助川助三は、いつも散歩する川原の無数の石が金にならないか、と夢想する。彼は、石が美術品なみに売買の対象になっていることを知り、珍しい形状の石を二年がかりで拾い集めて、オークションに出す。石の出品料・宅配便料などで一万七千円の出費があったが、石はまったく売れなかった。妻は「石なんかやめて、漫画を描いて」と言って泣いた。一人息子の三助も泣いた。
*→〔宝〕10aの『今昔物語集』巻26−13・〔売買〕1aの『太平広記』巻403所引『原化記』。
『梶原平三誉石切』 青貝師六郎太夫が源氏再興の資金を得るため、所持する刀を、平家方の大庭景親に売りに行く。鑑定を依頼された梶原景時は源氏に心をよせており、いったん鈍刀のごとく見せかけて大庭景親を去らせる。その後に、梶原景時は石の手水鉢を二つに切って、名刀であることを保証し、その刀を買い取る。
*→〔誓約(うけひ)〕1bの『ドイツ伝説集』(グリム)135「巨人石」。
★9b.人間だと思って刀で真っ二つに切ったら、それは石だった。
判官坂(ほうがんざか)と友切石の伝説 兄源頼朝の不興を買った義経は、山伏姿で奥州へ逃れようとする。わずかな従者とともに伊勢と美濃の境の判官坂を越える時、義経が後ろをふりむくと、彼をねらう何者かの黒い姿がしゃがんでいた。ただちに義経は名刀・友切を抜き、その者を一刀のもとに両断したが、人と見えたのは路傍の大石だった(三重県員弁郡北勢町)。
『捜神記』巻11−1(通巻263話) 楚の熊渠子が、夜道に横たわる石を虎と思 い矢を射ると、矢じりが見えなくなるほど深く突きささった。石とわかってからもう一度射ると、矢は折れ、矢じりのあとさえつかなかった。かつて漢の李広も、虎と思って石に矢を射込んだことがあった。
*鹿と思ったら石だった→〔鹿〕4bの『遠野物語』(柳田国男)61。
*猪に似せた石→〔猪〕5の『古事記』上巻。
『宇治拾遺物語』巻2−3 比叡山の西塔地域に龍が口をあけた形の岩があり、その近くに住む僧の多くが死んだので、毒龍の巌と呼ばれた。静観僧正が七日七夜加持をすると、黒雲がかかり震動して岩は砕け散り、災いはなくなった。
『殺生石』(能) 鳥羽院の命をとろうと近づいた玉藻の前は、妖狐の正体あらわれ那須野で退治された。しかしその執心は野に残って殺生石と化し、近づく人間・鳥類・畜類の命を取った。
★10b.英雄に触れたため、不思議な力を持つようになった石。
腰掛石の伝説 源義経が腰を掛けて休んだという石がある。義経は威厳があったので、皆、側にさえ近寄れなかった。後に石屋たちが、その石を小さく割って石垣を作ったが、彼らは早死にした。それも義経の威厳のためだ、と言い伝えられている(山形県最上郡戸沢村)。
夜泣き石の伝説 ある夜、小夜の中山を通る妊婦が、石に腰かけて休んでいるところを、賊に殺された。その時、妊婦は男児を産み落とした。以来その石は、夜ごとに赤ん坊の泣き声を発した。弘法大師が供養をして泣き声はやみ、男児も弘法大師によって育てられた(静岡県掛川市日坂。*妊婦の霊が石にこもり、子を思って泣くなど、いろいろな伝えがある)。
虎御石の伝説 大磯の山下長者の妻が、虎池弁財天に子授けを請い、夢告を得て目覚めると、枕もとに小石があった。妻は女児を産み、「虎」と名づけた。虎女の成長とともに小石も成長し、虎女十八歳の頃には、長さ七十センチ、幅三十センチ、厚さ十五センチの菱餅形の大石になった。後、虎女の恋人・曽我十郎が工藤祐経に襲われた時、石は十郎の身代わりに刀や矢を受けた(神奈川県中郡大磯町)。
『紅楼夢』 昔、女カが天の破れを補修するために使った岩の残りを一つ、山のふもとに捨てた。その岩は、通りかかりの僧と道士が下界の話をするのを聞いて、「自分も俗世の暮らしを経験したい」と願い、法術で小さな美玉に変えてもらった。美玉は賈宝玉の口に含まれ、賈宝玉誕生とともにこの世に現れて(*→〔玉(珠)〕1)、さまざまな喜びと悲しみを見聞きした。
『ドイツ伝説集』(グリム)241「石になったパン」 ほどこしを請われた修道女がそれを拒否し、「たとえ私がパンを持っていても、そんなものは石になればいい」と言う。たちまち修道女のパンは石になる。ほどこしを請われた修道士が、胸に隠したパンを「これはただの石だ」と言う。修道士がパンを食べようとすると、石になっている。これらの石は教会に保存されている。
『マタイによる福音書』第4章 イエスは荒野で四十日四十夜断食し、空腹を覚えた。悪魔が来て「あなたが神の子なら、これらの石がパンになるように命じたらどうだ」と言った。イエスは「人はパンだけで生きるものではない。神の口から出る一つ一つの言葉で生きる」と答えた〔*『ルカ』第4章に類話〕。
『神仙伝』巻2「白石先生」 白石(はくせき)先生は、いつも白い石を煮て主食とした。白石山(はくせきざん)に住んだゆえに、世の人々から「白石先生」と呼ばれた。白石先生は二千歳を越えても昇天の道を修行せず、人間界の快楽を求めた。「天上には尊い神々が多く、これに仕えるのは人間界よりも苦痛だろう」と考えたからである。
*御神体としての石→〔禁忌〕9の『福翁自伝』(福沢諭吉)。
*石で封印する→〔封印〕1。
『水滸伝』(百二十回本)第70回 宋江の軍が東昌府を攻めるが、東昌府には石つぶての名手没羽箭張清(ぼつうせんちょうせい)がおり、馬を飛ばせて石を投げ、たちまち梁山泊の大将十五人に傷を負わせる。軍師呉用が計略を用い、張清を河へ落として捕らえ、張清は投降して梁山泊の一員となる。
★1b.銭形平次の「投げ銭」は、没羽箭張清の石つぶてにヒントを得たものである。
『銭形平次捕物控』(野村胡堂)「金色(こんじき)の処女(おとめ)」 銭形平次は難しい捕り物に出くわすと、二〜三間飛びすさって腹巻から鍋銭を取り出し、曲者の面体めがけて投げつける。そして、相手がひるんだところにつけ入って捕らえる。将軍家光(=実は与力笹野新三郎の変装)が毒を飲まされそうになった時には、平次は小判を投げて茶碗をくつがえした〔*銭形平次シリーズの第1作〕。
『雁』(森鴎外)22 不忍池の雁に石を投げて打ち当てよう、と石原が言うので、岡田は「かわいそうだから逃がしてやる」と言って、雁に当らぬように石を投げる。ところが、案に相違して石は当り、雁は死ぬ〔*その頃、無縁坂ではお玉が、岡田に言葉をかけ家へ招き入れるべく、彼の散歩の帰りを待っていた〕。
『城の崎にて』(志賀直哉) 「自分」は、致命傷になるかもしれぬ怪我の養生で(*→〔温泉〕2c)、城の崎温泉に滞在する。ある夕方、「自分」は小川沿いを歩き、対岸の石上のいもりを見る。いもりを驚かせて水に入れようと思い、「自分」は石を投げる。当てるつもりがなかったのに、石はいもりに当り、いもりは死ぬ。いもりが死んだのも、「自分」が死ななかったのも、ともに偶然だ、と思われた。
『西鶴諸国ばなし』(井原西鶴)巻1−7「狐四天王」 米屋門兵衛が山道を通った時、白い小狐が集まっていたので、何気なく石を投げると一匹に当り、死んでしまった。仲間の狐たちは「お姫様を殺した者はただでは置かぬ」と怒り、門兵衛と家族を丸坊主にした→〔坊主頭〕2。
*→〔因果応報〕4の『日本霊異記』下巻序文。
★3.婚礼の夜、その家に近隣の人が石つぶてを打ちつける風習。
『懐硯』(井原西鶴)巻1−4「案内しつてむかしの寝所」 淡路島の漁民の妻が、同じ浦の木工兵衛と再婚した夜、酒宴の最中に、近隣の人々が、みすぼらしい板戸に何度も石つぶてを投げつけて驚かした。悋気はどこの国でも変わらぬものだった→〔夫〕7。
『懐硯』(井原西鶴)巻3−1「水浴は涙川」 半僧半俗の旅人伴山が伊勢の山田に泊まった夜、人々が五十鈴川の小石を拾い、婚礼のあった家の門口・蔀に投げつけて、天の岩戸も破れるほどの音がした。「イザナキ・イザナミの神婚以来、人は皆悋気からこのようにつぶてを打つのだ」と伴山は笑った。
『ギリシア神話』(アポロドロス)摘要第3章 トロイア戦争時のギリシア軍陣中。オデュッセウスはパラメデスを恨み(*→〔兵役〕3b)、彼を「裏切り者」と思わせる手紙を造って、落としておく。そして、パラメデスのテント内に金を埋める。総大将アガメムノンが手紙を読み、金を見つける。アガメムノンは、パラメデスを石で打ち殺すよう、部下たちに命じる。
『使徒行伝』第7章 十二使徒が、信者たちに食物を分配する七人の執事を選び、その一人がステパノ(ステファノ)だった。ステパノは信仰と精霊に満ちた人で、ユダヤ教徒が預言者を迫害したこと・イエスを殺したことを、公然と非難した。民衆は怒り、石を投げつけてステパノを殺した〔*ステパノは、キリスト教の最初の殉教者である〕。
*→〔くじ〕2bの『くじ』(ジャクスン)。
*多くの石つぶてを投げつける→〔うちまき〕4。
*凶兆と見なされるつぶて→〔凶兆〕4の『宿直草』巻1−8。
『第四の夫から』(芥川龍之介) 日本人の「僕」は支那人になりすましてチベットに住み、他の三人の男と、一人の妻ダアワを共有している。二年前、妻が商人の手代と過ちを犯した時、「僕」たち四人の夫は協議して、手代の鼻を削ぎ落とし、妻には処罰を加えなかった。以来、妻は貞淑に四人の夫を愛している。
『マハーバーラタ』第1巻「序章の巻」 ドラウパディーの婿選びの競技に、パーンドゥ王の五人兄弟(ユディシュティラ、ビーマ、アルジュナ、ナクラ、サハデーヴァ)の三男アルジュナが勝つ。五人兄弟はドラウパディーを伴い帰宅して、「素晴らしい土産がある」と母クンティーに報告する。クンティーは、それを品物と誤解して「皆で分けなさい」と言う。そのためドラウパディーは五人兄弟共通の妻となる→〔処女〕6b。
★1c.前世の五人の夫が、現世では五人の子供に生まれ変わる。
『沙石集』巻9−10 山寺の犬が、五匹の子犬を産んだ。彼らは前世では、遊女とその五人の夫だった。五人の夫のうち一人はわがまま勝手で、遊女を苦しめた。そのため、遊女の生まれ変わりである母犬は、五匹の子犬(=前世の夫たち)のうち一匹には乳を飲ませず、牙をむいて噛みついた。
『ちょうと三つの石』(小川未明) 心優しい女が、三度結婚して三度とも夫に先立たれる。やがて女も老いて死に、極楽への山道を登ると、峠に三人の夫が待っている。仏さまが女に「なぜ何度も結婚したのか。三人の夫の誰をいちばん愛しているか」と問うが、女は答えられない。仏さまは「下界へ戻ってよく考えよ」と言い、女を蝶に変える。三人の夫は、峠で幾百年も女を待つうちに、石になる。
『マタイによる福音書』第22章 サドカイ人が問うた。「七人兄弟の長男が妻をめとったが、子を残さずに彼は死んだ。律法にしたがい、次男、三男と、つぎつぎにその女を妻にしたが、七人とも子がないまま死に、最後に女も死んだ。復活の時には、その女は七人の夫のうち、誰の妻になるのか?」。イエスは答えた。「復活の時には、めとることも嫁ぐこともない。天使のようになるのだ」〔*『マルコ』第12章・『ルカ』第20章に同記事〕。
*サラは七人の夫と結婚式をあげたが、夫たちは皆、新婚の夜に悪魔に殺された→〔心臓〕2の『トビト書』(旧約聖書外典)。
『閲微草堂筆記』「ラン陽消夏録」56「父親の幽霊」 ならず者の王禿子(とくし)が、夜の墓場で大勢の幽霊に出会う。禿子が幽霊の一人と格闘すると、幽霊は「不孝者め。おれはお前の父親だ。父を殴っていいのか」と言う。他の幽霊たちも口々に「おれはお前の父親だ」と言い、そのわけを禿子に教える。「お前が、死んだ母親の供養をしないので、母親の霊は飢えて流れ者になり、おれたちの妻になった。だから、おれたちは皆お前の父親なのだ」。
★4.何人もの男と関係を持ったので、生まれた子供の父親がわからない。
『神の骨』(川端康成) 四人の男が、喫茶店の女給弓子から同文の手紙を受け取る。「生後すぐ死んだ赤ん坊の骨を送ります。赤ん坊はどなたにも似ていませんでした」と書かれてあり、紙包みが同封されていた。一ヵ月後、四人のうちの一人が弓子に「君は御骨をどうしているんだ」と問うと、弓子は「皆さんに分けたから私は持っていない」と答えた。
『ナナ』(ゾラ)12 女優ナナが、妊娠三ヵ月で流産した。そのニュースを聞いてナナの大邸宅へやって来た十二人ほどの紳士たちは皆、「誰が父親なのだろう」と考えつつ、ぼそぼそと話をしていた。互いに弁解しあっているようだった。
『氏子中(うじこじゅう)』(落語) 夫が商用で遠方へ出かけ、一年半ぶりに帰って来ると、妻が妊娠している。妻は「氏神様の神田明神にお参りして授かった」と言って、ごまかそうとする。町内の若い衆が五〜六人、妻の所に入りびたっていたから、そのうちの誰かの子に違いない。生まれた子の胞衣(えな)を御神酒で洗えば誰の子かわかるというので、洗ってみる。すると、妻の言ったとおり「神田明神」の文字が浮かび上がる。しかし続いて出てきた文字が「氏子中」。
『町内の若い衆』(落語) 熊さんの家に赤ん坊が生まれたので、弟分がお祝いに行く。弟分は「この景気の悪いのに子供をこしらえるとは、兄貴はさすがに働き者だね。イヤ恐れ入った。偉いよ」と、盛んに誉める。熊さんの女房は謙虚に受け答えしようと思い、「いいえ、ウチの人の働きじゃないわ。町内の若い衆の皆さんのおかげよ」。
★1.一人の男が大勢の女を妻として、自分の邸内に住まわせる。
『金瓶梅』 大金持ちの薬屋・西門慶は、正妻から第六夫人までを邸内に住まわせ、さらに女中や人妻にも手をつけていた。妻妾たちは相互に同盟関係を結んだり、対立したりする。西門慶が第六夫人李瓶児との間にもうけた息子は、第五夫人潘金蓮の飼い猫にひっかかれ、それがもとで死ぬ。李瓶児は怒りと悲しみで、まもなく病没する。西門慶も、潘金蓮に媚薬を多量に飲まされたため、おびただしい精液を排出し、三十三歳で死ぬ。
『源氏物語』「少女」〜「初音」 光源氏は三十五歳の八月に、故六条御息所の旧邸および隣接する敷地、あわせて四町を占める広大な六条院を完成させ、紫の上・明石の君・花散里とともに住んだ〔*六条御息所の娘・梅壺中宮も、六条院内に住んだ〕。翌年正月元日の夜は、光源氏は明石の君のもとで過ごした。彼はまた、旧邸二条東院に、空蝉・末摘花を住まわせた。
『王様と私』(ラング) 一八六二年。シャム王の子供たちの家庭教師として、イギリス人女性アンナが招かれる。驚くべきことに、王には百六人もの子供がいて、さらに近々あと五人誕生する予定だった。宮殿には何十人もの妃たちが、仲良く暮らしていた〔*シャム王国存続のためには西欧文明を受け入れねばならぬ、という葛藤の中で、王は心臓を病んで急死する。王の死後もアンナはシャムにとどまり、王子王女の教育にあたる〕。
『長恨伝』(陳鴻) 唐の時代。玄宗皇帝には、三人の夫人・九人の嬪(ひん)・二十七人の世婦(せいふ)・八十一人の御妻(ぎょさい)がおり、さらに後宮の才女たち・音楽隊の妓女たちもいた。しかし楊貴妃を宮殿に迎えてからは、玄宗皇帝は彼女一人をもっぱら寵愛し、他の女たちには見向きもしなくなった。
『黒い十人の女』(市川崑) テレビ局プロデューサー・風松吉には、妻・双葉の他に、未亡人・三輪子、女優・市子など九人の愛人がいた。女たちは風を愛しつつも「いっそ風が死ねば良い」と思い、十人の女が集まったところで、双葉が風を射殺する。女たちは驚き、気の弱い三輪子は後追い自殺する。しかしこれは空砲を用いての芝居で、風は無事だった。双葉は風と離婚し、市子が風を譲り受けて同棲する。女たちは風に未練があり、皆で風の生活費を出そうと言う。風は仕事にも行けず、市子の家に閉じ込められて泣く。
『続玄怪録』(定婚店) 「夫婦となるべき男女は赤い糸で結ばれている」と言われる。ただし古くは糸でなく、縄であった→〔老翁〕2。
*→〔くじ〕1の『南総里見八犬伝』第9輯巻之51第180回下。
*赤い糸でつながれている貝と蟹→〔貝〕3の『聊斎志異』巻9−384「蛤(こう)」。
『デカメロン』(ボッカチオ)第7日第8話 ベッドの中の人妻が、足の親指に長い細紐の一端を結び、他端を寝室の窓の外に垂らして、地面に届くようにしておく。愛人がやって来てその細紐を引くのが密会の合図で、人妻は、夫が眠ったか否かを、細紐の動きで愛人に伝える。ところがある夜、夫は細紐を見つけ、愛人の存在を知ってしまう→〔髪〕4。
★2a.謎の夫の着物に長い糸をつけ、それをたどって正体を知る。
『古事記』中巻 美しい男がイクタマヨリビメのもとを訪れ、彼女は身ごもる。父母の教えにしたがって、彼女は麻糸を通した針を男の衣の裾に刺す。翌朝見ると、糸は戸の鍵穴を抜けて外へ出ていた。糸は三輪山の神の社までのびており、男が神の化身であることがわかった。
『三国遺事』巻2「紀異」 第2・後百済 甄萱(キョンフォン) 娘のもとに、紫色の衣を着た男が夜ごとに来て共寝する。娘は長い糸を通した針を男の衣に刺す。翌朝糸をたどると、塀の下の大蚯蚓(みみず)の横腹に針が刺さっていた。娘は男の子を産む。その子は十五歳になると自分を「甄萱」と呼び、後に国王になった。
『袋草紙』「雑談」 赤染衛門の姉妹である女のもとへ、恋人藤原道隆をよそおった怪しい男が訪れる。女が、男の直衣に糸を通した針をつけておくと、翌朝、糸は南庭の木の上にかかっていた。これは庭木の精のしわざであった(*『今物語』第26話には、同話が、藤原教通に化けた 桜木の精と小式部内侍とのこととして載る)。
*→〔蛇婿〕1aの『肥前国風土記』松浦の郡褶振の峰・『平家物語』巻8「緒環」。
★2b.無関係な像に糸を結びつけ、「像に犯された」といつわる。
『閲微草堂筆記』「ラン陽消夏録」26「神罰」 娘が妊娠し、「毎夜、黒い顔の巨人が来て身体の上に乗る」と、母親に嘘を言う。母親は「今度巨人が来たら、色つきの糸を足に結びつけよ」と教える。娘の恋人が、その糸を関帝廟の周将軍(=関羽の部下周倉)の像の足に結ぶ。母親は糸を捜し歩いてこれを見つけ、像の足を叩いて罰する。後、娘と恋人は密会中に周将軍に腰を叩かれ、足腰立たぬ身体になった。
★2c.糸をたどって、目指す人のあとを追う。その居所をつきとめる。
『妹背山婦女庭訓』4段目 烏帽子折の求女(=実は藤原淡海)は、春日明神の巫女(=実は蘇我入鹿の妹橘姫)の袖に赤糸をつけてあとを追う。その求女の裾に白糸をつけて、杉酒屋の娘お三輪がさらにあとを追う。
『海道記』 山寺の僧のもとへ毎夜女が訪れて法華経を聴聞し、朝になると姿を消す。僧が女の衣の裾に糸をつけ跡をたどると、糸は海上を渡り、ある山の岩穴に入って龍の尾についていた。この神龍を祭ったのが江の島神社(江尻の大明神)である。
『蛙の王女』(ロシアの昔話) イワン王子が、地の果ての国へ去った妻ワシリーサを捜して、旅に出る。途中で出会った老人が糸玉を与え、「これがころがる方へついて行け」と言う。イワン王子は、糸玉を追って歩く。彼は熊・鴨・兎・かますに助けられ、ヤガー婆さんに教えられて、不死身のコシチェイを退治する。イワン王子はコシチェイの家からワシリーサを救い出し、二人はいつまでも幸せに暮らした。
『塵袋』所引『常陸国記』 田を植える妹が雷に蹴殺される。怒った兄が、雷神の居所を知ろうとして雉の尾に麻糸をつける。雉は伊福部の丘に飛んで行き、兄は糸をたどって雷神のいる岩屋をたずねる。
『ギリシア神話』(アポロドロス)摘要第1章 テセウスがクレタ島の迷宮に踏みこむ時、彼に恋心を抱くアリアドネが糸玉を手渡す。テセウスは糸を扉に結びつけて迷路に入り、奥にいる牛頭人身の怪物ミノタウロスを退治して、ふたたび糸をたどりつつ出てくる〔*『変身物語』(オヴィディウス)巻8に類話〕。
『ギリシア神話』(アポロドロス)摘要第1章 ミノス王が、「巻貝に糸を通した者に多くの褒美を与えよう」と諸方にふれまわる。シシリアのカミコスの領主が巻貝と糸を受け取って名工ダイダロスに渡す。ダイダロスは、蟻に糸を結びつけて貝の下穴から入れ、上に開けた穴から出させて糸を通す。
『神道集』巻7−38「蟻通し明神の事」 印度へ渡る玄奘三蔵が、流沙の河岸で出会った美女から、八坂の玉の七曲りの穴に緒を通すよう言われる。三蔵が考えこんでいると、木の枝の機織り虫が「蟻腰着糸向玉孔」と鳴き、彼は糸の通し方を悟る。
『枕草子』(蟻通し明神) 七曲りにくねった小さな玉の中に穴が通っており、両端に口が開いている。「これに緒を通せ」と、唐土の帝が日本に要求する。隠れ住む老人の教えにより、一方の穴の口に蜜を塗って、糸をつけた蟻を他方の穴から入れる。蟻は蜜の香をかぎ、穴を通り抜けて出てくる。
『赤い繭』(安部公房) 帰る家のない「おれ」の、靴の破れ目に糸があり、引っ張るといくらでも出てくる。「おれ」の身体は糸になってほぐれていき、糸は「おれ」を包みこみ、やがて「おれ」は消滅して糸は中空の繭になる。家はできたが、そこへ帰る「おれ」はいない。
『今昔物語集』巻26−11 白犬が一匹の蚕を食べ、くしゃみをすると鼻の穴から二筋の白い糸が出る。糸は引っ張ればいくらでも出てきて、百数十キログラム以上も巻き取った後、糸が尽き、犬は倒れて死ぬ。
『栄花物語』巻30「つるのはやし」 病重く死を覚悟した藤原道長は、法成寺の阿弥陀堂内にこもり、ひたすら極楽往生を願った。道長は、阿弥陀如来像の手に通した糸(=青・黄・赤・白・黒の五色)を握り、北枕で西向きに臥して臨終を迎えた。後、道長の娘威子は、「道長が極楽の下品下生(げぼんげしょう)に生まれた」との夢を見た。
『今昔物語集』巻15−12 比叡山横川の僧・境妙は、自らの死期を予知していた。病臥した境妙は、阿弥陀如来像の手に五色の糸をつけ、その他端を握って、西に向かい念仏を唱えて息絶えた。その後ある僧が、「境妙が極楽往生した」との夢を見た。
死んだ自分を見る(現代民話) 昭和四十四年頃のこと。「私」は危篤状態になり、病院のベッドに寝かされていた。「私」は空中にふわりと浮かび、「私」の肉体を見下ろした。肉体の額の真ん中あたりから細い糸が出ており、「私」はその糸とつながっていた。もし誰かが糸を切ったら、「私」はおしまいになっていただろう(神奈川県)。
*蜘蛛の糸→〔蜘蛛〕1。
『鏡の乙女』(小泉八雲『天の川物語その他』) 斉明天皇の御代に百済から渡来した鏡が、保元の頃、京極辺の屋敷の井戸に棄てられた。鏡の精が、井戸の主である毒龍に仕え、美女の姿となって、人々を井戸の中へ誘いこんだ。足利時代に到り、毒龍は井戸を去って、信濃の鳥井の池に移り住んだ。そこで神官松村兵庫が井戸から鏡を引き上げ、将軍義政に献上した。
皿屋敷の伝説 女中お菊は、主家秘蔵の十枚の皿のうち一枚を、誤って割る。主人が怒ってお菊を斬殺し、死骸を屋敷内の井戸に投げ入れる(*もしくは、お菊自らが井戸に身を投げて死ぬ)。以後、毎夜お菊の亡霊が井戸から現れて皿を数え、「ああ、一枚足りない」と嘆く〔*この後日譚を語るのが→〔禁忌〕7bの『皿屋敷』(落語)〕。
静御前の伝説 静御前は吉野山で源義経と別れた後、西生寺境内の井戸に身を投げた。その後、静御前の亡霊が火の玉となって、井戸から現れるので、蓮如上人が済度した。七日間の法会の満願の夜、静御前の亡霊は「迷いから脱して、成仏できました」と、蓮如上人に夢告した(奈良県吉野郡吉野町菜摘)。
★1c.テレビに映る井戸から亡霊が現われ、テレビの外へ出て来る。
『リング』(中田秀夫) 念じるだけで人を殺す超能力を持つ少女・山村貞子は、井戸に突き落とされて死んだ。テレビ画面に、その井戸が映し出される。見ていると、井戸の中から、長い髪で顔を隠した白装束の貞子の亡霊が、這い出て来る。貞子の亡霊はだんだん近づき、ついにテレビ画面から外へ出る。見た人はその場で死ぬ。
『青いあかり』(グリム)KHM116 魔女が、青いあかりを空井戸に取り落とす。旅の兵隊が魔女に頼まれてあかりを探すが、魔女はあかりだけ受け取って、兵隊を井戸に落とそうとする。魔女と兵隊は争い、兵隊は青いあかりを持ったまま井戸の底に残される。兵隊が青いあかりでパイプに火をつけると、黒い小人が現れ、兵隊の命ずる仕事をしてくれる〔*兵隊は小人の助けで井戸から出、魔女をしばり、王女と結婚する〕。
『三国志演義』第6〜7回 董卓が洛陽に火を放って長安に遷都する。呉の孫堅が洛陽に入って消火活動をし、夜、宮廷の南の井戸から五色の光が昇るのを見て水中を探り、「受命於天、既寿永昌」と印した伝国の玉璽を得る。「これは天子の位に登る吉兆」と孫堅は喜ぶが、翌年彼は戦死する。
『聴耳草紙』(佐々木喜善)163番「長い名前(その2)」 某家で、子供が長生きするようにと、「チョウニン・チョウニン・・・・」で始まる百文字ほどもある長い名前をつける。ある日この子が井戸に落ち、目撃者が家に知らせるが、名前が余りに長いため、報告し終わらないうちに、井戸の中の子は水を飲んで死んでしまった。
『竹斎』(仮名草子) ある家の幼児が井戸に落ち、皆が騒いでいるところへ、藪医者竹斎が通りかかる。竹斎は、膿を吸い出す膏薬を井戸の蓋に貼り、「すぐ吸い上げるから待ち給え」と請合うが、幼児はそのまま井戸の底で死に、竹斎は皆から袋叩きにされる。
★3b.井戸に落ちて現世では死ぬが、死後の世界では幸せになれる。
『沙石集』巻2−5 地蔵を信仰する一家があった。その家の幼い子供が井戸に落ちて死んでしまったので、母は地蔵に恨み言を言った。その夜の夢に地蔵が現れ、「これは前世から定まった寿命だ。しかし後世(ごせ)は助けてやるぞ」と告げる。そして井戸の底から、子供を背負って救い出した。この夢を見て、母の嘆きも少しやんだ。
『孟子』巻3「公孫丑章句」上 孟子が言った。「人間には皆、惻隠(=あわれみ)の心が生まれつき備わっている。たとえば、幼児が井戸に落ちそうになっているのを見かければ、誰でも駆けつけて助けるであろう。惻隠の心はすなわち『仁』の芽生えである」。
『ルカによる福音書』第14章 水腫をわずらう人がいた。安息日にもかかわらず、イエスはただちにその人の病気を治した。律法学者やパリサイ(ファリサイ)人たちにむかい、イエスは言った。「自分の息子か牛が井戸に落ちたら、安息日だからといって、すぐに引き上げてやらない者がいるだろうか」。
『伊曾保物語』(仮名草子)下−23 盗人が、子供の着物を剥ぎ取ろうと、寄って来る。それを察知した子供は、「井戸に黄金の釣瓶を落とした」と、嘘を言って泣く。盗人はこれを信じ、着物を脱いで井戸に下りて、釣瓶を探すが見つからない。その間に子供は、盗人の着物を奪ってどこかへ逃げてしまった。
『七賢人物語』「第二の賢人の語る第二の物語」 若妻が老騎士の夫に飽き足りず、愛人と姦通して深夜に帰館する。怒った老騎士が戸口に錠を下ろしたので、若妻は「井戸に身を投げる」と言って、大きな石を井戸に投げこむ。老騎士は驚いて外へ出、その隙に若妻は館内に入って、老騎士を締め出す〔*『鸚鵡七十話』第25話に類話があり、そこでは商人とその妻という設定〕。
『影男』(江戸川乱歩)「善良なる地主」 死体を隠すためにわざわざ穴を掘るのは、発覚しやすい。綿貫清二(=影男)は前もって古井戸つきの空き地を買っておき、井戸に死体を放りこんでから、業者に「土地を転売するので、整地して井戸も埋めてくれ」と頼む。これが、穴を掘らずにすみ、しかも公然と埋めることができる死体隠匿法なのだった。
『銭形平次捕物控』(野村胡堂)「招く骸骨」 両替屋主人の徳五郎を、甥・由兵衛と番頭・与市が共謀して殺し、死体を屋敷内の古井戸に捨てる。由兵衛は徳五郎に代わって両替屋の主人になるが、与市は別件で逮捕され三宅島へ流される。与市は島で重病にかかり、由兵衛だけがいい目を見ているのが癪にさわって、島で知り合った治郎助に「両替屋の古井戸に三千両隠してある」と言う。治郎助は三千両を得ようとして、古井戸から徳五郎の死体を掘り出してしまい、由兵衛の犯罪が発覚する。
『古事記』上巻 ホヲリ(山幸彦)が海神の宮を訪れ、井のほとりの桂の木に登った。水汲みの侍女がホヲリを見つけて、海神の娘トヨタマビメに告げ知らせ、トヨタマビメは外に出てホヲリを見、たいそう気に入った。ホヲリはトヨタマビメの婿になり、海神の宮で三年を過ごした。
『創世記』第24章 アブラハムが老僕に、「我が故郷ナホルへ行き、我が息子イサクの嫁とすべき娘を捜して来い」と命ずる。老僕はナホルの町はずれの井戸で、夕方、水汲みに来る女たちの中から美女リベカを見出す。老僕はリベカの父と兄から結婚の許諾を得て、彼女をイサクのもとへ連れて行く。
『毘沙門の本地』(御伽草子) 金色太子は、死後大梵王宮に転生した妻天大玉姫に逢うべく、金泥(金麗)駒に乗り、肉身のまま大梵王宮の黄金の筒井まで行って、井のもとの高さ一由旬の赤栴檀の木に登る。姫は水を汲みに来て、水に映る太子を見、二人は再会する→〔冥婚〕4。
★6a.井戸のもとで遊んでいた子供たちが、成長後、夫婦になる。
『伊勢物語』第23段 田舎暮らしの子供たちが、井戸の所で遊んでいた。幼なじみの男女は互いに思い合い、親の勧める縁談を断った。男は「かつて井筒で測った私の背丈は、今や井筒よりもすっかり高くなった」という歌を贈り、女もそれに返歌して、二人は結婚した。
『井筒』(能) 旅の僧が在原寺を訪れ、里の女が筒井の水を汲んで業平の塚に手向けるのを見る。女は紀有常の娘の霊であり、遠い昔この井戸のもとで、子供時代の彼女と業平は仲良く遊び、語らい合っていたのだった。その夜、旅の僧の夢に、有常の娘の霊が現れ、業平の形見の衣を着て舞った。
★6b.『伊勢物語』第23段・『井筒』(能)の明治時代版。井戸端に落とした財布がきっかけで、男女が深い関係になる。
『耽溺』(岩野泡鳴) 「僕(田村義雄)」は妻と子供たちを東京に残し、脚本執筆のため国府津に部屋を借りる。ある日、「僕」が井戸端に落としたがま口を、隣の料理屋「井筒屋」の芸者吉弥(きちや)が拾ってくれる。その夜、「僕」と吉弥は関係を結ぶ。吉弥には大勢の男がおり、「僕」は身受けの金を工面するが、結局、吉弥と別れる。しばらくして浅草に住む吉弥を訪れると、彼女は梅毒性の眼病を患っていた。
『ホレのおばさん』(グリム)KHM24 継娘が糸巻きを井戸に落として継母から叱られ、「取って来い」と命ぜられる。継娘は井戸に飛び込んで意識を失い、気づくときれいな草原にいる。継娘は草原を歩いてホレのおばさんの家に行き、そこでしばらく奉公して、黄金を身体中につけて帰る。継母の実子が真似て井戸に入るが、怠け者だったので、黒いどろどろのチャンが身体につく。
『酉陽雑俎』巻15−580 百姓が井戸を掘るが、普通より一丈余り深く掘っても水がなかった。思いがけず、下方から人や鶏の声が聞こえ、壁ごしのように近かった。百姓は恐れ、掘るのをやめてしまった。
*異郷に通ずる穴→〔穴〕2。
『異苑』 蜀の国に、火を吐く井戸があった。漢帝室の隆盛時には火炎が燃え盛り、漢帝室が衰えると火も弱まった。諸葛孔明が一度その井戸をのぞいたら、また火勢が盛んになった。景耀元年(258)、ある人が蝋燭を投げこむと火は消え、その年、蜀は魏に滅ぼされた〔*蜀が滅んだのは正しくは炎興元年(263)〕。
*井戸(あるいは井)に姿を映す→〔水鏡〕1aの『パンチャタントラ』巻1−8・〔水鏡〕1dの『大和物語』第155段・〔水鏡〕3aの『古今著聞集』巻7「術道」第9・〔水鏡〕5の『天道さん金ん綱』(昔話)。
*井戸の中で命をねらわれる→〔継子〕5の『舜子変』(敦煌変文)。
『嵐が丘』(E・ブロンテ) エドガー・リントンとキャサリン・アーンショーの間の娘キャサリン二世は、父エドガーの妹イザベラとヒースクリフの間の息子、つまり父方の従兄弟リントンと結婚する。リントンの病死後は、キャサリン二世は母キャサリンの兄ヒンドリーの息子、つまり母方の従兄弟ヘアトンと結ばれる〔*ヒースクリフが愛したキャサリンの甥と娘とが、結婚したわけである〕→〔結婚〕4。
『カンディード』(ヴォルテール) ウェストファリアの伯父の城から追放されたカンディードは、リスボン・ブエノスアイレス・パリなど諸地方を遍歴し、途中、恋人の従妹キュネゴンド姫といったん巡り合ってまた別れる。何年かの後に、カンディードはコンスタンチノープルでキュネゴンド姫を見出し、彼女は外見も性質も醜く変わっていたが、かねての約束どおり二人は結婚する→〔追放〕2。
『虞美人草』(夏目漱石) 法科出身で外交官になる宗近一と、哲学を専攻する病弱な甲野欽吾とは、従兄弟同士でありまた親友でもある。一の妹糸子は従兄にあたる欽吾を慕い、二人は結婚する。
『源氏物語』「少女」「藤裏葉」 夕霧は生後すぐ母葵の上を失い、母方の祖母大宮のもとで従妹雲居の雁と一緒に育ち、やがて二人は相思相愛の仲となる。雲居の雁の父内大臣は娘を東宮妃にしたいと望むが叶わず、夕霧と雲居の雁は初恋を貫いて結婚する。
『苔の衣』 苔の衣の大納言(後に大将、そして出家)は、母前斎宮の妹西院の上の娘、すなわち母方の従妹にあたる姫君を恋慕し結婚する。二人の間に生まれた女児も、成長後、父大納言の姉藤壺中宮の息子、すなわち父方の従兄である東宮と結婚する。しかし東宮の弟兵部卿宮が、彼女に恋着する→〔兄弟〕5。
『母のない子と子のない母と』(壺井栄) 小豆島に住むおとらおばさんは、空襲で夫を亡くし、事故で一人息子を失った。おとらおばさんのいとこ捨男さんは、ソ連に抑留されており、内地の妻は病死して、二人の子供(一郎と四郎)が残された。子供好きのおとらおばさんは、一郎と四郎を自分の子のように可愛がり、面倒を見る。やがて捨男さんが、解放されて小豆島へ帰って来る。周囲の人たちの勧めで、おとらおばさんは捨男さんと結婚する。
*→〔洪水〕1の『変身物語』(オヴィディウス)巻1。
『ウジェニー・グランデ』(バルザック) 吝嗇な金持ちグランデの家に、弟ギョームの手紙を持って甥シャルルが訪れる。手紙の中でギョームは、自らの破産と自殺の覚悟とを述べ、息子シャルルの将来をグランデに託す。グランデの一人娘ウジェニーは、従兄にあたるシャルルを一目見て心を奪われ、やがて二人は将来を誓い合う→〔妻〕4b。
『狭衣物語』 堀川関白の子狭衣は、兄妹のようにして育った従妹源氏宮を恋するが、彼女はこれに応えようとはしない。賀茂の神託が源氏宮を斎院と定め、彼女は狭衣の手の届かぬ禁忌の人となる。狭衣は、源氏宮によく似た式部卿宮の姫君を見出して結婚するものの、源氏宮への思いはやまない。
『シラノ・ド・ベルジュラック』(ロスタン) 近衛青年隊のシラノは醜い大鼻のために、従妹ロクサーヌへの恋を打ち明けることができぬまま、同僚クリスチャンとロクサーヌの仲を取り持つ。しかしクリスチャンは戦死し、ロクサーヌは尼僧になる。その後十四年間 、シラノは毎週土曜日に修道院を訪れてロクサーヌを慰めるが、ようやく彼女がシラノの恋を知った時、シラノは暗殺者の手にかかって瀕死の傷を負っていた。
『戯れに恋はすまじ』(ミュッセ) 男爵の一人息子二十一歳のペルディカンは学位を取得し、その従妹十八歳のカミーユは修道院での教育を終えて、それぞれ故郷に帰って来る。男爵は二人を結婚させようとするが、カミーユは従兄に心ひかれながらも、修道院で男性不信の教えを吹きこまれていたために、結婚を拒否する。二人の恋のかけひきの結果、村娘ロゼッタが死に、カミーユはペルディカンと別れる→〔演技〕5。
『野菊の墓』(伊藤左千夫) 政夫の母は病気がちで、従姉の民子が仕事の手伝いに来ている。二人は子供の時から大の仲良しだったが、政夫が十五歳、民子が十七歳になる頃には、口さがない周囲が良からぬ噂をし、二人の仲を裂く。すべてをあきらめた民子は他家へ嫁に行き、流産して死ぬ。政夫は、民子の好きだった野菊を墓に植える。
*→〔下宿〕1bの『浮雲』(二葉亭四迷)。
*→〔地名〕5の『武蔵野夫人』(大岡昇平)。
『紅楼夢』 賈宝玉と父方の従妹・林黛玉とは、前世からの因縁で恋し合う間柄だった(*→〔転生〕9b)。一方、母方の従姉・薛宝釵は、謎の僧から授かった「不離不棄・芳齢永継」の二句を彫った首飾りをつけており、それは、賈宝玉の頸にかけた美玉「通霊宝玉」に刻まれた文字「莫失莫忘・仙寿恒昌」と対になっていた。両親は賈宝玉を薛宝釵と結婚させ、林黛玉は病死した。それから一〜二年後、懐妊した薛宝釵を残したまま、賈宝玉は出家して行方知れずになった。
★4.従兄妹間の結婚の結果、子供にその影響が出ることがある。
『赤い風車』(ヒューストン) ロートレックは、代々続く貴族の家に生まれた。彼は子供の頃、自邸の階段を転げ落ちて、両脚を骨折した。治療をしても、骨はもとどおりにくっつかず、医者は「一生このままだろう」と告げる。医者はロートレックの両親に「お二人は従兄妹どうしでしたね?」と尋ね、「そのせいかもしれません」と言う。
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