*関連項目→〔記憶〕
『オデュッセイア』第9巻 トロイアから故国イタケへ帰るオデュッセウスの船は、漂流の後、ロトパゴイ人の国に着く。様子をさぐるため三人の部下を送ると、ロトパゴイ人は彼らを歓待し、蓮の実を食べさせる。この実を食べた者は帰国の望みも何もかもすべてを忘れ、ロトパゴイ人のもとにとどまりたいという気になるのだった。オデュッセウスは三人を無理やり船に乗せ、航行を続けた。
*精神科の病棟で目覚めた「わたし」は、自分の名前をはじめとして、すべての記憶を失っていた→〔アイデンティティ〕1aの『ドグラ・マグラ』(夢野久作)。
『古事記』下巻 雄略天皇は、美和河で衣を洗う童女赤猪子に「やがて召すゆえ結婚せずにおれ」と言いつつも忘れてしまう。八十年後、迎えを待ちつづけた心の内を述べようと参上した赤猪子を見ても、天皇は気づかず「どこの老婆か」と問う→〔妻〕4b。
『古今著聞集』巻8「好色」第11・322話 後白河院の御前で、公卿や女房たちが過去の秘事を順次語る。小侍従が、生涯忘れられぬ思い出として、ある肌寒い月の夜の、高貴な人との逢瀬を語る。後白河院は「その相手の名を明かせ」と命じ、小侍従は「院が御在位の折のことです。お忘れですか」と笑う。一座はどよめき、後白河院はその場を逃げ出した。
『今昔物語集』巻10−6 美貌の上陽人は、十六歳で玄宗帝の女御となり後宮に入る。しかし他の女御たちの妨げによってか、国政の繁多のためか、帝は上陽人を忘れ、一度も召されぬまま上陽人は六十歳になる。ようやく帝は上陽人を思い出すが、彼女は白髪の身を恥じて召しに応じなかった。
『大和物語』第150段 美しい采女が、奈良の帝を深く慕っていた。帝はただ一度だけ采女を寝所に召したが、以後は召すことがなかった。采女は悲しんで、ある夜、猿沢の池に身を投げた。後にこれを知った帝は、池のほとりに行き、歌を詠んで采女を慰霊した。
『ヴォルスンガ・サガ』21・28 シグルズは眠りのイバラにさされたブリュンヒルドを目覚めさせ、二人は結婚を誓う。ところがグズルーンの母からすすめられた忘却の飲物を口にして、シグルズはブリュンヒルドを忘れる。彼はグズルーンと結婚する。
『ニーベルングの指環』(ワーグナー)「神々の黄昏」 ジークフリートは、ハーゲンの奸計によって忘れ薬を飲まされ、妻ブリュンヒルデを忘れ、別の女と婚約する。怒ったブリュンヒルデは、ジークフリートの弱点が背中であることをハーゲンに教え、ハーゲンは槍でジークフリートを突き殺す。
『しぐれ』(御伽草子) 中将さねあきらは、故三条中納言の姫君と契りを結ぶが、親どうしの決めた縁談で、右大臣家の婿になる。右大臣の北の方たちが、呪詛の人形を中将の衣服につけたため、中将は姫君のことをすっかり忘れてしまう。後、中将が正気に戻った時には、姫君はすでに帝の女御になっており、中将は悲嘆して出家する。
『シャクンタラー』(カーリダーサ)第4幕 ドゥフシャンタ王は狩りに出て、ヴィシュヴァーミトラ仙人と天女メーナカーの間に生まれた娘シャクンタラーに出会う。二人は愛し合い、シャクンタラーは身ごもるが、呪いによって(*→〔呪い〕8)、ドゥフシャンタ王はシャクンタラーを忘れる。後、シャクンタラーに与えた指輪を見て王は記憶を取り戻し、修行者の苦行林へ行って、シャクンタラーと息子を見出す。
★2e.男が、年月の経過につれて、しだいに恋人のことを忘れる。
『ゆく雲』(樋口一葉) 東京へ遊学中の野沢桂次は、寄宿先の娘お縫を恋する。しかし桂次は、故郷山梨へ帰って許婚お作と結婚せねばならなくなり、お縫に別れを告げる。桂次は「生涯絶えることなく手紙を送るから、十通に一度、返事を与え給え」と請う。はじめのうちは長い手紙が何度も来たが、しだいに手紙は短く、また間遠になり、ついには年始と暑中見舞いの葉書だけになった。
『多忙な仲買人のロマンス(忙しい株式仲買人のロマンス)』(O・ヘンリー) 多忙で、仕事以外のことはすべて忘れてしまう株式仲買人マックスウェルは、昼食前に僅かな空き時間を得て、事務所内の速記者レズリーに急いで求婚する。レズリーは驚き、「私たちは昨晩、教会で結婚したのよ」と言う。
★2g.王子が恋人を忘れるが、恋人が王子に自分を思い出させる。
『ペンタメローネ』(バジーレ)第3日第9話 フォンテキアーロの王子パオルッチオはトルコ大王に捕らえられるが、大王の娘ロゼッラと恋仲になり、脱出して祖国へ戻る。しかし大王妃の呪いにより、王子はロゼッラを忘れてしまう。ロゼッラが指輪を飛ばすと王子の指にはまり、王子はロゼッラを思い出す。
『ほんとうのおよめさん』(グリム)KHM186 美しい娘と結婚を約束した王子が、「父に承諾を得てくる」と言って家へ帰ったまま、娘を忘れる。娘は王子をたずねて旅をし、宮殿の舞踏会へ行って王子と三度踊り接吻をして、ようやく自分を思い出させる。
★3a.自分のした行動を忘れ、それを誰か他の人間のやったことだと思う。
『月長石』(コリンズ) フランクリンは阿片を飲まされ、無意識のうちに恋人レイチェルの部屋からダイヤモンド月長石を盗み出して、従兄弟ゴドフリーに手渡す。覚醒後、フランクリンは自分が盗みをしたことを忘れており、犯人は誰か、月長石はどこにあるか、突き止めようとする。
『天才バカボン』(赤塚不二夫)「ゆうかい犯人はオカシなのだ」 行方不明のバカボンを、パパとママが心配して捜す。パパが、空き地の土管の中に縛られているバカボンを発見して、助け出す。バカボンは「今朝パパと泥棒ごっこをして、パパが縛ったんじゃないか」と怒る。パパは「おしっこに帰って、そのまま忘れたのだ」と言う。
★3b.自分の考えたアイデアを忘れ、それを他人に教えてもらおうとする。
『穴のあいた記憶』(ペロウン) 劇作家が密室殺人ミステリーの素晴らしいアイデアを思いつき、嬉しさのあまり、酒場で出会った小男にアイデアを話す。直後に劇作家は自動車にはねられ頭を打って、アイデアを忘れてしまう。劇作家が死んだと思った小男は、その夜早速、劇作家のアイデアを使って密室殺人を行なう。そうとは知らぬ劇作家は小男を捜し出し、「私が話したアイデアを覚えているだろう。それを教えてくれ」と請う。小男は劇作家を殺す。
『千一夜物語』「アリババと四十人の盗賊の物語」マルドリュス版第854夜 アリババから「開け胡麻」の呪文を教えられた兄カシムは、洞穴へ入り財宝の山を見て心を奪われ、呪文を忘れる。「麦」「豆」「粟」などと叫んでいるうちに、四十人の盗賊が戻って来る。
『茗荷宿』(落語) 茗荷を食べると物忘れする、と言われる。安宿に泊まった客が、大金を帳場に預けた。宿の主人はこの金に目がくらみ、「預けた金を忘れて行くように」と、茗荷をたくさん客に食べさせる。しかし客は、預けた金は忘れなかった。その代わり、宿賃の支払いを忘れて行ってしまった。
*→〔乗客〕9aの『薩摩守』(狂言)。
★5.長期間に渡る習慣ゆえに、その習慣が期限つきであることを忘れる。
『サザエさん』(長谷川町子)朝日文庫版第27巻139ページ サザエが訪問した家で、皆が楽しく談笑する中、受験生の息子は腕時計を見て「じゃ、僕は失礼」と言い、今夜もまた一人勉強部屋にこもる。しかし机の前に座った時、彼は叫ぶ。「ア!そうだ。俺合格したんだった」。
『放心家組合』(バー) 詐欺師たちが、忘れっぽい顧客を選んで、家具や貴重本など高価な商品を分割払いで売る。顧客たちは毎週いくばくかの金額を集金人に払うが、数年して代金を払い終わった後も、そのことを忘れ、余分な金を払い続ける。それが詐欺師たちの収入になるのだった〔*『吾輩は猫である』(夏目漱石)11で、迷亭が「この間ある雑誌を読んだら、こういう詐欺師の小説があった」と言って、この話をする〕。
『疑惑』(江戸川乱歩) 「おれ」は庭の松の枯れ枝を切るために、斧を持って木に登る。真下の石には、父親が腰をかけて休む習慣があったので、「おれ」は、ふと「ここから斧が落ちれば父親に当るだろう」と考え、あわててその思いを打ち消す。そして「おれ」は、斧を木の股に置き忘れる→〔落下〕1b。
『精神分析入門』(フロイト)「間違い」第4章 技師が、弾性に関する実験を始めようとした時、同僚のF君は、家の用事のため早く帰りたがった。技師は「機械が壊れればね」と冗談を言ったが、実験最中、F君のちょっとしたミスで連結管が破裂し、実験は中止になった。後日この出来事を話し合った時、F君は、技師が言った冗談をまったく覚えていなかった。
『愛人ジュリエット』(カルネ) 獄中の青年ミシェルは愛人ジュリエットを捜して、夢の世界へ行く。そこは「忘却の国」で、住民たちは記憶というものを持たず、誰もが自分の過去を知りたがり、自分の思い出を持ちたがっていた。ジュリエットも、ミシェルのことを思い出せぬまま、貴族の「青ひげ」(*→ペロー『青ひげ』)と結婚式をあげる。ミシェルは目覚め、釈放されるが、現実の世界でもジュリエットが「青ひげ」そっくりの初老の男と結婚することを知る。
『竹取物語』 月の世界から迎えに来た天人が、かぐや姫に天の羽衣を着せる。すると、かぐや姫の心から「翁をいとおし、かなし」と思う気持ちが消え失せてしまった。天の羽衣を着た人は、すべての物思いがなくなるのであった〔*→〔記憶〕8の『時をかける少女』(大林宣彦)では、未来から来た少年は、彼に関わった人々の記憶を消し、彼自身の記憶も消して、帰って行く〕。
★9.死後の世界へ行った人は、現世に生きていた時の心を忘れてしまう。
『今昔物語集』巻4−41 七歳の子供を亡くした父親が、閻魔王の宮殿まで旅をして、死んだ子供に会わせてもらう。子供は宮殿の裏庭で、同じような童子たちに交じって遊んでいる。父は泣きながら、「お前が恋しくてならず、会いに来た。お前も同じ気持ちではないのか?」と子供に語りかける。しかし子供は嘆く様子もなく、父を無視して遊び続け、物も言わない。父はせっかく来た甲斐もなく、悲しんで帰って行った。
*忘却の川→〔川〕9a・9b。
*自分の名前を忘れる→〔名前〕2。
*悲しみを忘れる草→〔草葉〕4に記事。
*忘れてこそ、奥義を極めたといえる→〔弓〕1bの『名人伝』(中島敦)。
★1.処女が自分の純潔を犠牲にして、肉親の敵(かたき)である男を暴行犯に仕立て上げる。
『エンマ・ツンツ』(ボルヘス) 十八歳の女工エンマ・ツンツは、無実の父を横領罪に陥れた工場主レーヴェンタールに、復讐しようと考える。エンマは街へ出、行きずりの男と関係して処女を捨て、その足で工場二階のレーヴェンタールの部屋へ行く。彼女はレーヴェンタールを射殺し、警察に「レーヴェンタールさんが私を呼びつけて、辱めました。私は彼を殺しました」と電話する。
『霧の旗』(松本清張) 柳田桐子の兄は、無実の罪で逮捕され獄死した。高名な大塚弁護士が弁護を引き受けてくれなかっために兄は死んだ、と桐子は考える(*→〔金貸し〕2)。彼女は、夜、大塚を自分のアパートへ呼び寄せ、酔わせ誘惑して関係を結び、処女を捨てる。その後で桐子は、検事あてに「私は大塚弁護士に暴行され、穢(けが)されました」との手紙を書く。大塚は弁護士の職を辞さねばならなくなる。
『野性の証明』(森村誠一) 越智朋子は暴走族によって輪姦され、さらに茄子(なす)で陵辱されて、殺された〔*彼女の恋人・味沢岳史は、暴走族のリーダーをつかまえて、生の茄子を無理やりいくつも食べさせた。その時、もと自衛隊秘密部隊の工作員だった味沢に野性がよみがえり、彼は斧をふるって大勢の暴走族たちを殺傷した〕。
*→〔不能〕4の『サンクチュアリ』(フォークナー)。
『アラバマ物語』(マリガン) 一九三〇年代のアラバマ州。白人の農夫ボブが「私の娘メイエラが、黒人トムに強姦された」と訴え出る。実際は、メイエラがトムを誘惑し、トムは誘惑を退けて逃げたのだった。白人弁護士アティカスが裁判でトムの無実を立証するが、陪審員たちはトムを有罪とした。アティカスは「控訴すれば、勝つ可能性が高い」とトムを励ます。しかしトムは移送中に脱走し、射殺された。
『乾燥の九月』(フォークナー) 南部の町ジェファソン。白人女性ミニーが黒人のウィルに強姦された、との噂が広がる。それは事実ではなく、四十歳近くまでずっと独身だったミニーの、欲求不満に起因する妄想だった。しかし、町の人々は白人の言葉を信じ、黒人の言葉は信じなかった。九月の夜。白人の男たち数人が、「殺してしまえ」と叫んでウィルを襲った。
『死と処女(おとめ)』(ポランスキー) 女子学生ポーリナは、反政府運動をしていて逮捕された。彼女は身体の自由を奪われ、目隠しをされて、シューベルトの『死と処女』が流れる中で、一人の男から繰り返し陵辱された。やがて彼女は解放され、心に深い傷を残して結婚し、十数年がたつ。ある夜、帰宅途中の夫の車が故障し、親切な男が彼の車に乗せて夫を家まで送ってくれた。ポーリナはその男の声を聞いて、それが、かつて彼女を犯した男であることに気づく。ポーリナは男に拳銃をつきつけ、男の過去の悪行を白状させる。
★5a.夫の目の前で、妻が悪人に暴行される。その後の妻の言葉。
『今昔物語集』巻29−23 夫が妻を馬に乗せて、京から丹波まで旅をする。途中、大江山で出会った若い男が弓で夫を脅し、木に縛りつける。男は、夫が見ている前で妻を犯し、馬を奪って逃げ去る。その後に妻が夫の縄を解くと、夫は呆然自失の状態だった。妻は夫に向かって、「貴方は本当に頼りない人だ。そのような御心では、今後もろくなことはないだろう」と言う。夫は無言のまま、妻とともに徒歩で丹波へ向かう。
★5b.『今昔物語集』巻29−23にもとづく『藪の中』(芥川龍之介)では、若い男(盗賊多襄丸)、夫(金沢武弘)、妻(真砂)の言い分が食い違う。
『藪の中』(芥川龍之介) 盗賊多襄丸「私は金沢武弘の目の前で、その妻・真砂を犯した。真砂は泣き叫んで、『二人の男に恥を見せるのは、死ぬよりつらい。あなたか夫か、どちらか一人死んでくれ。生き残った男に私は連れ添いたい』と言った」。 真砂「私は夫に『一緒に死んで下さい』と言った」。 死霊となった金沢武弘「妻は多襄丸に『あなたについて行くから、夫を殺して下さい』と言った」。
★5c.『藪の中』(芥川龍之介)にもとづく『羅生門』(黒澤明)では、事件を目撃した木こりが最後に「真相」を語る。
『羅生門』(黒澤明) 多襄丸は真砂を犯した後、「俺の妻になってくれ」と請う。真砂は、多襄丸を夫と闘わせ、勝った男のものになろうと考える。夫は「俺はこんな女のために命をかけるのは御免だ」と多襄丸に言い、「二人の男に恥を見せて、なぜ自害せぬ」と真砂を詰(なじ)る。多襄丸も醒めた心になり、真砂を見捨てて去ろうとする。真砂は二人の男を「腰抜け」と罵り、大声で嘲笑う。夫と多襄丸は斬り合い、多襄丸が勝つ。しかし真砂は逃げてしまう〔*だが、これもどこまで本当かわからない〕。
★6.暴行された人妻が、そのことを夫に知られたくない、と思うこともある。
『雨の訪問者』(クレマン) 一人で留守番する若妻メリーが、侵入して来た男に殴られ、気絶している間に犯される。意識を取り戻したメリーは警察に電話するが、夫が夜帰って来ることを考え、何も言わずに電話を切る。男がまだ家の中に隠れていたので、メリーは「誰にも言わないから、出て行って」と訴える。男がメリーを脅すようなそぶりをしたため、彼女は銃で男を撃ち殺し、死体を海へ捨てる。メリーは何事もなかったかのように、夫を出迎える。
『ヴィルヘルム・テル』(シラー)第1幕第3場 オーストリア統治下のスイス。代官ゲスラーが、村の中央広場に高い竿を立て、てっぺんにオーストリアの帽子を載せて、「この帽子を敬うこと、代官を仰ぎ見るがごとくにせよ。ここを通る者は、膝を曲げ帽子をぬいで、敬礼すべし」と命ずる〔*ところが、ヴィルヘルム・テルと息子ヴァルターは、帽子を無視して通り過ぎたため、捕らえられる〕→〔弓〕1a。
『三角帽子』(アラルコン) 大きな三角帽子をかぶった初老の市長が、水車小屋の粉引きルーカスの若妻フラスキータを、手に入れたいと思う。市長は、フラスキータの甥の就職を世話することと引き換えに、彼女を口説く。しかしフラスキータは、市長の申し出をはねつける。市長夫人が夫の悪行を知り、「今後一切、私の寝室に入らないで下さい」と禁ずる。
『伊豆の踊子』(川端康成) 二十歳の秋、「私」は一人で伊豆を旅した。高等学校の制帽をかぶり、紺がすりの着物に袴をはき、学生カバンを肩にかけた姿だった。天城峠で旅芸人一行と出会い、「私」は美しい踊子に心ひかれて、彼らと道連れになる。制帽はカバンに押し込み、共同湯の横で買った鳥打帽をかぶった。彼らと数日間行動をともにして下田に着き、別れる時が来た。「私」は、踊子の兄栄吉に鳥打帽を与え、カバンから制帽を取り出してかぶった。
『青いガーネット』(ドイル) シャーロック・ホームズのもとへ、古ぼけた山高帽子が持ち込まれた。ホームズはその帽子を見ただけで、「帽子の主は知能のすぐれた人物だ」「二〜三年前までは裕福だったが今は落ちぶれている」「毎日ほとんど坐りきりの生活で運動不足」「年齢は中年で髪は半白」「奥さんに愛想をつかされた」「男の家にはガスが引いてなくて獣脂蝋燭(ろうそく)を使っている」、などのことを推理した。
『星の王子さま』(サン=テグジュペリ) 「ぼく」は六歳の時、はじめて絵を描いた。うわばみが象を丸呑みした絵だ。ところが大人たちは皆、それを帽子の絵だと思った。それで「ぼく」は絵描きになることをあきらめ、飛行士になった。飛行機がサハラ砂漠に不時着し、「ぼく」は星の王子さまに出会う。星の王子さまは「ぼく」の描いた絵を見て、すぐ、うわばみが象を丸呑みした絵だ、とわかった。
『たのしいムーミン一家』(ヤンソン) ムーミンとスニフとスナフキンが、山の頂上で黒いシルクハットを見つけ、家へ持ち帰る。パパがかぶってみるが、似合わないので、くずかごとして使う。ところがそれは、飛行おにの魔法の帽子だった。ムーミンがかくれんぼ遊びをして帽子の中に隠れると、姿が変わってしまい、皆から「お前はにせものだ」と言われる。ママが蔓(つる)草を帽子の中へ捨てると、蔓はどんどん成長し、家中ジャングルになった〔*ママは帽子を、森の化け物モランばあさんに与える〕。
『ボウシ』(星新一『きまぐれロボット』) うらぶれた老奇術師が、帽子の中から兎や鳩や花や旗などを出す手品の練習をしていた。宇宙人がこれをのぞき見て、「何でも出てくる装置だ」と誤解し、帽子を奪い取る。商売道具を失った老奇術師がひどく嘆くので、宇宙人は少し気の毒に思い、別の星で拾った緑色の石ころを、老奇術師に与える。それは大きなエメラルドだった。
『大鏡』「実頼伝」 小野宮の大臣・実頼は、屋敷の南面(=表座敷)に出る時には、必ず冠や烏帽子をかぶった。南面からは稲荷神社の杉の神木があらわに見えるので、「稲荷明神がご覧になっているのに、どうして無作法な姿で出られようか」と言って、身を謹んでいたのである。しかしそれを忘れて南面へ出てしまうこともあり、その時には、袖を頭にかぶって、うろたえ騒いだ。
『西遊記』百回本第84〜85回 滅法国の王は、かつて僧に誹謗されたことを恨み、「一万人の僧を殺そう」と願を立て、九千九百九十六人まで殺す。孫悟空が腕の毛で百人の小悟空を作り、夜のうちに、眠る国王・皇后・文武百官らの髪を剃って、皆を坊主頭にしてしまう。国王らは、「僧形になったのは仏罰か」と恐れ、そこへ現れた三蔵・悟空・八戒・悟浄一行に帰依する。悟空は、「滅法国を改めて、『欽法国』とせよ」と教える。
『六人僧』(狂言) 男が、連れ二人と仏詣にでかける。途中、男が疲れて眠り、連れ二人がいたずら心から、男の髪を剃って坊主頭にする。目覚めた男は家へ戻り、連れ二人の女房に「お前たちの夫は川で水死した。私は二人の菩提を弔うべく坊主になった」と嘘を言う。女房たちは嘆いて剃髪し、尼姿になる。そこへ連れ二人が帰って来て、仕返しに男の妻の髪を剃る。「六人の坊主頭ができたのは、仏様の『後世(ごせ)を願え』とのお告げであろう」と彼らは考え、皆で念仏を唱える〔*『大山詣り』(落語)の原話〕。
★1b.眠っている間に坊主頭にされたため、それが自分だと認識できない人。
『笑府』巻6−296「解僧卒」 兵卒が、罪を犯した坊主を護送する。途中、坊主は酒を用いて兵卒を眠らせ、兵卒の頭髪を剃り落として逃げ去る。目覚めた兵卒は坊主を捜し、自分の頭をなでて叫ぶ。「坊主はここにいる。しかし俺はどこへ行ったのだ?」。
『坊主の遊び』(落語) 坊主頭の隠居が吉原へ行くが、女郎は「いやな坊さんだ」と言って、尻をむけて寝る。怒った隠居は、眠る女郎の髪を剃り、丸坊主にして帰る。遣り手婆が「お客様のお帰りだよ」と女郎を起こすと、寝ぼけた女郎は自分の頭をなでて、「まだ、ここにいるじゃないか」と言う。
『西鶴諸国ばなし』(井原西鶴)巻1−7「狐四天王」 米屋門兵衛の屋敷に僧が訪れたので茶でもてなすと、役人たちが来て「お尋ね者の僧をかくまったな」と咎め、門兵衛と妻を丸坊主にする。また、門兵衛の家の嫁の所へ、旅先にいるはずの夫が現れ「お前は不義をした」と言って、嫁の頭を剃る。翌日、門兵衛の老親のもとへ、門兵衛死去の虚報がもたらされ、老親は嘆いて坊主になる。これらはすべて狐のしわざだった→〔石つぶて〕2。
『短夜』(内田百閨j 「私」は他人の赤ん坊を、狐の化けたものだと誤って死なせてしまう。「私」は住職に連れられて山寺へ行き、頭の毛を剃ってもらい、赤ん坊の冥福を祈って念仏を唱える。夜が明けると、「私」は禿山の天辺に坐っており、髪の毛を噛みむしられた頭の地が、ぴりぴりと痛んだ→〔狐〕2b。
『あしたのジョー』(高森朝雄/ちばてつや) ボクサーくずれの丹下段平は、浮浪児・矢吹丈の腕っぷしの強さに惚れ込み、丈を一人前のボクサーに育て上げようと、世話をする。丈は鑑別所や少年院に収容されるが、段平はハガキに「あしたのために」と書き、パンチの打ち方の基本を記して、丈のもとへ送る。丈はプロボクサーになり、強烈なパンチでライバルの力石徹を殺してしまうという事故を乗り越え、やがて世界チャンピオン、ホセ・メンドーサに挑戦するまでになる。
『チャンピオン』(ロブソン) 貧しい青年ミッジと兄は、旅行中に暴漢に金を奪われ、無一文で歩いているところを、ボクサーのジョニーの車に乗せてもらう。やがてミッジもボクサーになり、ジョニーと対戦して彼をノックアウトする。連戦連勝のミッジは金銭と女性への欲望をむき出しにし、ジョニーの愛人と関係を持ち、マネージャーの妻に手を出し、兄の婚約者をも誘惑する。ミドル級チャンピオンとなったミッジは、ジョニーの挑戦を受け、死闘の末ふたたびジョニーをノックアウトするが、ミッジ自身も脳内出血で死ぬ。
『若者のすべて』(ヴィスコンティ) 貧しい青年にとって、プロ・ボクサーは手っ取り早く大金を稼げる魅力的な職業だった。五人兄弟の長男ヴィンツェンツォはボクサーを志すものの素質がなく、次男シモーネはボクサーとしていったんは成功を収めるが、身を持ち崩し、借金や盗みをする。心優しい三男ロッコは、シモーネの借金や盗みの償いをし、さらに他の兄弟たちや母の生活の面倒を見るために、心ならずもボクサーとなって収入を得る。しかしロッコがチャンピオンになった日、シモーネは殺人を犯してしまう→〔五人兄弟〕1。
『ロッキー』(アヴィルドセン) ヘビー級世界チャンピオン、アポロの対戦相手が怪我をしたため、試合ができなくなった。アポロは一計を案じ、無名のボクサー、ロッキーを、タイトルマッチの挑戦者に指名する。「誰にでもチャンスはある」という、話題作りをしたのだ。ロッキーは猛訓練をして試合に臨む。予想を裏切り、ロッキーはKOされることなく十五ラウンドを闘い抜き、判定に持ち込む。結果はアポロの勝ちだったが、ロッキーにはもはや勝ち負けなどどうでもよく、彼はひたすら恋人エイドリアンの名を呼び続けた。
『俺は待ってるぜ』(蔵原惟繕) 島木譲次は新進気鋭のボクサーだったが、酒場で喧嘩を売られ、相手を殴り殺してしまったため、引退した。譲次は「一年前にブラジルへ渡った兄の所へ行き、新しい生活を始めよう」と考える。しかし渡航していたはずの兄は、日本を発つ直前に、ヤクザに金を奪われ殺されていた。そのことを知った譲次は、ヤクザたちの経営するキャバレーへ乗り込み、ヤクザの親分と一対一の格闘をして、これを倒した。
『静かなる男』(フォード) 米国のボクサー、ショーンは、試合で相手を殴り殺してしまったため引退し、幼少時を過ごした故郷アイルランドに帰る。ショーンは村の娘メアリーと結婚しようと思うが、彼女の兄ダナハーは、よそ者のショーンが気に入らない。腕自慢のダナハーがショーンに勝負を挑むので、ショーンは「二度と闘わない」との誓いを破り、ダナハーと殴り合いの喧嘩をする。村人たちは、どっちが勝つか賭けをして、見物する。喧嘩は引き分けで、二人は仲直りし肩を組んで、メアリーの待つ家へ戻って来る。
『傷だらけの栄光』(ワイズ) 世界タイトルをねらうボクサーのロッキーに、ペッポという男が、十万ドルの報酬で八百長試合をもちかける。断れば、ロッキーが刑務所で服役していたこと、軍隊から脱走したことなどを公にする、とペッポは脅す。ロッキーは「怪我をした」という名目で、試合を中止する。にもかかわらず、ロッキー自身が八百長に関わりがあるように見なされ、ボクサー資格を剥奪され、新聞に彼の犯罪者としての過去が報道されてしまう〔*しかしロッキーはこれに屈せず、後に世界チャンピオンになる〕。
『罠』(ワイズ) ストーカーは三十五歳のボクサーである。マネージャーは、対戦相手ネルソンを勝たせる八百長試合を仕組みながら、それをストーカーに知らせず、貰った金を独り占めする。「年寄りのストーカーはどっちみち負ける」と考えたからである。しかし予想に反してストーカーが健闘するので、マネージャーは「負ける約束なんだ」と教える。ストーカーは怒り、ネルソンをノックアウトする。試合後ストーカーは、ならず者たちに襲われ、レンガで右手をつぶされる。妻が彼を助け起こし、「新しい生活を始めましょう」と言う。
『ミリオンダラー・ベイビー』(イーストウッド) 貧窮な家庭に育ったマギーはボクシングに情熱を燃やし、名トレーナーのフランキーに頼み込んで指導を受ける。マギーはめきめきと腕を上げ、百万ドルのファイトマネーを賭けて、世界ウェルター級チャンピオン、ブルーベア・ビリーに挑戦する。試合はマギーが優勢だったが、ラウンド終了後に、ブルーベア・ビリーは背後からマギーにパンチを浴びせる。マギーは倒れて頚椎を損傷し、全身麻痺の身体になる。マギーは死を望み、フランキーは彼女の人工呼吸器を外す。
『アルゴナウティカ』(アポロニオス)第2歌 ベブリュキア人の王アミュコスは力自慢で、国を訪れる者に必ず拳闘の試合を挑んだ〔*彼が拳闘の発明者、と言われることもある〕。アルゴ船の一行が上陸し、彼らの代表としてポリュデウケス(=双子座のポルックス)が、挑戦を受けて立つ。二人は牛の皮紐を腕に巻き、拳をふるって激しく闘う。ポリュデウケスがアミュコスの頭蓋を打ち砕き、アミュコスは倒れて死んだ。
『天衣紛上野初花(くもにまごううえののはつはな)』(河竹黙阿弥)「河内山」 御数寄屋坊主河内山宗俊は、上野東叡山寛永寺法親王の御使僧、北谷の道海に化けて松江家へ乗りこむ。しかし松江家の重役北村大膳が、江戸城内で河内山を見知っており、頬のほくろを証拠として、道海が実は河内山であることを見破る。
『武家義理物語』巻1−2「ほくろは昔の面影」 明智光秀の婚約者が疱瘡にかかり醜い顔になったため、両親は相談して、容貌の似た妹娘を代わりに嫁がせる。しかし姉にあったほくろが妹にはないので、別人であると光秀は知る。光秀は妹を親里に帰し、あらためて姉を娶り睦まじく暮らす。
『日本霊異記』下−39 善珠禅師は、あごの右に大きなほくろがあった。延暦十七年(798)、善珠は、「私は桓武天皇の夫人丹治比嬢女(たぢひのをみな)の胎に再誕する。ほくろがその証拠になる」と遺言して死んだ。翌延暦十八年(799)、丹治比の夫人が産んだ大徳親王は、善珠と同様に、あごの右に大きなほくろがあった→〔憑依〕2。
『豊饒の海』(三島由紀夫) 大正の初め、松枝清顕は友人本多繁邦に「また会う」と言い残して、二十歳で病死する(『春の雪』)。昭和初期、本多は、清顕と同じく左脇腹に三つのほくろを持つ飯沼勲に出会うが、勲は二十歳で自刃する(『奔馬』)。昭和二十年代、タイの王女ジン・ジャンの左脇腹に三つのほくろがあるのを本多は確かめ、ジン・ジャンは二十歳でコブラに咬まれて死ぬ(『暁の寺』)。昭和四十年代、左脇腹に三つのほくろを持つ少年安永透を、本多は養子にするが、透は二十歳をすぎても死なず、「清顕の生まれ変わりではないのだ」と本多は思う(『天人五衰』)。
足の裏などに文字(松谷みよ子『現代民話考』) 「私」の夫の弟は、九歳で水死した。祖父が「生まれ変わって来いよ」と言って、弟の左の足の裏に墨をつけた。それから何年かして「私」は夫と結婚し、昭和五十年に男の子が生まれた。その子の足の裏に小さなほくろがあり、しだいに大きくなって、今では七〜八ミリになっている。祖父が墨をつけたのと同じ部位なので、夫の姉たちは「この子は弟の生まれ変わりだ」と言っている(千葉県松戸市)。
*転生した子の掌に文字→〔掌〕2bの『力(りき)ばか』(小泉八雲『怪談』)。
『恋がたき』(星新一『妖精配給会社』) 鬼は死者を棒の前後にぶらさげ、肩にかついで冥府に運ぶ。そのため誰かが死ぬと、同じ部位にほくろのあるもう一人が頓死する定めだった。張は、恋がたきの李を直接殺せば、すぐに怪しまれるので、李と同じ部位にほくろのある人物を探して殺そうと考える。しかし、李と同じほくろを持つのは張自身だった。
『シンベリン』(シェイクスピア)第1幕〜第2幕 ポステュマスが愛妻イモジェンの貞節を誇るので、ヤーキモーが「奥様を口説きおとしてみせよう」と挑戦する。ヤーキモーはイモジェンの寝室へ忍び入り、眠るイモジェンの腕から腕輪を抜き取り、胸もとのほくろを見る。ポステュマスは、ヤーキモーから腕輪を見せられ、ほくろのことを聞かされて、イモジェンが不義をしたと思いこむ。
『カター・サリット・サーガラ』「『ブリハット・カター』因縁譚」 贋ナンダ王の皇后の肖像画を、宰相ヴァラルチが見、帯の部分にほくろがもう一つあれば完全な瑞相になる、と考えて描き加える。皇后には実際そこにほくろがあったので、王は、衣服におおわれた個所のほくろを宰相が知っているのは、皇后を犯したゆえであろう、と思う。宰相は、王の疑いが晴れるまで身を隠す→〔魂〕5a。
『平家物語』(延慶本)巻2−6「一行阿闍梨流罪事」 一行阿闍梨が楊貴妃の肖像画を描いた時、筆を落として楊貴妃の臍のあたりに墨をつけた。楊貴妃の膚のちょうどそのあたりにはほくろがあったため、肖像画を見た玄宗皇帝は、阿闍梨と楊貴妃の仲を疑った。
『新可笑記』(井原西鶴)巻2−2「官女に人のしらぬ灸所」 武烈天皇は、寵愛の后が胸の病で死んだのを悲しみ、仏師に命じて后の木像を作らせた。ところが彩色をする時、仏師は筆を落として、木像の胸のあたりに墨がついてしまった。ちょうどそこは、后の胸痛を鎮めるための灸点の部位だったので、天皇は后と仏師の密通を疑った。
『古今著聞集』巻11「画図」第16・通巻386話 絵師が性空上人の姿を描いた時、上人の顔に小さなあざがあるのを見落として、描かなかった。ところがその時、地震が起こったため(*→〔地震〕2b)、絵師は筆を落とし、ちょうど上人の顔のあざのある箇所に墨がついた。その墨のあとは、あざそっくりであった。
『双蝶々曲輪日記(ふたつちょうちょうくるわにっき)』4幕目「八幡の里引窓の場」 相撲取りの濡髪長五郎は、人を殺して指名手配中の身の上である。彼の義理の兄弟である南(なん)与兵衛は、郷代官に取り立てられ、濡髪捕縛を命じられる。しかし与兵衛は濡髪を逃がそうと思い、逃走用の路銀を投げつける。金包みは濡髪の顔に当たったため、彼の人相の特徴である頬のほくろが取れる。濡髪は与兵衛の温情に感謝しつつ、落ちのびて行く。
『三国志演義』第34回 劉備玄徳の子劉禅は、幼名を阿斗といった。母の甘夫人が、北斗星を呑んだ夢を見て身ごもったからである。
『三国史記』巻2「新羅本紀」第2 新羅第十四代の王儒礼尼師今(じゅれいにしきん)の母は、夜歩いている時、星の光が口に入って身ごもった。
『捜神後記』巻3−2(通巻27話) 天から流星が落ちて来て、水甕に飛び込む。三人の妓女が「吉兆だ」と言って、柄杓ですくおうとする。二人は失敗し、三人目の妓女がうまくすくい上げて、そのまま飲み込む。やがて彼女が生んだ子・桓玄は、後に東晋の帝になった。
『マタイによる福音書』第2章 東方の学者たちが、メシア(=救世主)誕生を示す星を見て、ユダヤの地までやって来る。「メシアはベツレヘムに生まれる」との預言があったので、学者たちはベツレヘムへ向かう。星が天空を移動して、学者たちを先導する。星は、幼子(おさなご)イエス=キリストと母マリアのいる家の上にとどまった〔*他の福音書には、この物語は見られない〕。
『今昔物語集』巻28−22 空をあおぐのが癖の中納言忠輔を、左大将済時が「天に何事があるか」とからかう。忠輔は不快に感じ「今、天に大将を犯す星が現れた」と言う。その後まもなく、左大将済時は没した。
『三国志演義』第104回 重病の諸葛孔明は北斗を仰ぎ、遥かに一つの星を指さして「あれがわしの将星だ」と言った。その星は色暗く、ゆらゆら揺れて、今にも落ちそうであった。その夜、司馬仲達は、赤色の光に角のある大きな星が東北から西南に流れ、蜀の陣地に落ちて二度三度跳ね上がるのを見て、諸葛孔明の死を知った。
『捜神記』巻3−6(通巻54話) 「若死の相だ」と言われた少年が、観相家に教えられて、桑の木蔭で碁を打つ二人の男の所へ行く。北側の男は死をつかさどる北斗星、南側の男は生をつかさどる南斗星だった。少年の差し出す酒食を、碁に夢中の二人は口にしてしまい、その返礼として、閻魔帳に記された寿命「十九歳」に上下転倒の印をつけ、「九十歳」に直してくれた。
『マッチ売りの少女』(アンデルセン) 大晦日の夜、マッチ売りの少女は流れ星を見て、「誰かが死ぬんだわ」とつぶやく。死んだ祖母から、「星が一つ落ちるたびに、一つの魂が神様のところへ昇って行くんだよ」と、少女は聞かされていた。マッチをすると光の中に祖母の霊が現れ、少女の魂を神様のもとへ導いた〔*→〔人魂〕1aの『曾根崎心中』に類似〕。
『曽我物語』巻2「兼隆聟にとる事」 けいしゃう国の伯陽・遊子夫婦は、常に月を愛でて暮らしていた。夫伯陽は九十九歳で死に、妻遊子もやがてそのあとを追った。夫婦は天に上って、牽牛・織女の二星となった。
すばる星の話 なまけ者の六人娘がいた。働き者の三人兄弟が「畑を耕して働け」と、六人娘に言う。六人娘は舟に乗って逃げ、三人兄弟も舟を出して後を追うが、追いつけない。六人娘はすばる星になり、三人兄弟はオリオン座の三つ星になった。すばる星は畑の忙しい夏は隠れており、冬になってから東の空に現れる。それを追って、オリオン座の三つ星が昇って来る(アイヌの伝説。北海道釧路川上郡弟子屈町屈斜路)。
『ラーマーヤナ』第1巻「少年の巻」 トリシャンク王が祭祀を行なって、「生きたまま天界に赴きたい」と願う。インドラ神たちはいったん反対するものの、トリシャンク王の住む天の位置を南方に定め、頭を下にしてとどまるよう、はからった。トリシャンク王は南十字星になった。
*カリストとアルカスの母子は、大熊座と小熊座になった→〔見間違い〕3dの『変身物語』(オヴィディウス)巻2。
★3b.人間が一時的に天界を訪れる。地上から見ると、新しい星が現れたように見える。
『荊楚歳時記』7月 海は、天の川とつながっている。ある人が筏で海へ乗り出し、十余ヵ月を経て、機を織る婦と牛を牽く男のいる所へ到った。その人が「ここは何処か?」と、牛を牽く男に聞いたところ、「帰ってから厳君平を訪ねればわかる」と教えられた。その人は地上へ帰って、厳君平に問う。厳君平は、「某年某月に、客星が牽牛の宿(しゅく)を犯した」と言った〔*逸文に「張騫が天の河の源を尋ねた」と記す〕。
『今昔物語集』巻10−4 張騫が浮木に乗り、天の川の水源までさかのぼって、織女と牽牛に会った。その時、地上からは、天の川のほとりに見知らぬ星が現れたのが観測された。
★3c.宇宙飛行士が、宇宙空間から地球の大気圏へ落下する。地上からは流れ星に見える。
『万華鏡』(ブラッドベリ) 宇宙船が破裂し、宇宙服を着けた乗員たちが、生きたまま四方八方の空間へ投げ出される。一人は地球へ向かう。彼は思う。「大気圏へ突入したら、おれは流星のように燃えるだろう。誰かにおれの姿が見えないものだろうか」。田舎道を歩く少年が叫ぶ。「あ!流れ星!」。母親が言う。「願い事をなさい」。
『イシスとオシリスの伝説について』(プルタルコス)21 エジプトの神々は不死ではない。神々の遺体は祭司らの手で葬られ、魂は星となって空に輝いている。イシスの星はシリウス、ホルス(=ホロス)の星はオリオン、セト(=テュポン)の星は熊(=大熊座)である。
『黄金伝説』143「聖フランキスクス(フランチェスコ)」 聖フランキスクスが死んだ時、ある人は、聖人の魂が月のように大きく、太陽のように明るい星となるのを見た。
*カエサルの魂は箒星になり、神と見なされた→〔神〕12の『変身物語』(オヴィディウス)巻15。
西郷星の伝説 西郷隆盛は西南戦争に敗れ、明治十年九月二十四日に討死した。それからまもなく、「天の一角に毎晩、西郷星が出る」との噂が広がった。西郷の無念の思いが星になって顕れたというので、大勢が戸外へ出て夜空を仰いだ。どの星が西郷星なのかは、はっきりしなかった。遠眼鏡で見ると、大礼服を着て馬に乗った西郷隆盛が星の面に見える、と言われた。
『よだかの星』(宮沢賢治) 醜いよだかは他の鳥たちから嫌われ、鷹からは「よだかという名を変えなければ殺す」と脅される。よだかは辛さのあまり空高くどこまでも飛び続け、その体は青く燃えて星になる。
*蠍(さそり)が星になる→〔井戸〕3cの『銀河鉄道の夜』(宮沢賢治)。
『変身物語』(オヴィディウス)巻8 酒神バッコス(=ディオニュソス)が、ナクソス島のアリアドネの頭から冠を取って、空高く投げ上げる。虚空を飛ぶうちに、冠の宝石は燃え輝く星となり、冠の形をとどめたまま、ヘラクレス座と蛇使い座の中間に場所を占めた〔*かんむり座の由来〕。
平将門の伝説 平将門は、愛人・桔梗の前に裏切られ、怒って彼女の首を斬る。俵藤太秀郷が哀れに思い、桔梗の前の首飾りを空へ投げ上げると、高く舞い上がって「くびかざり座」の星になった〔埼玉県秩父郡吉田町。*この地方では、かんむり座を「くびかざり座」と呼ぶ〕。
『星の銀貨』(グリム)KHM153 貧しい孤児の女の子が、パンを一つだけ持って野原を歩く。飢えた男や寒さに震える子供たちに出会い、女の子はパンを与え、帽子を与え、上着を与え、スカートを与え、襦袢(じゅばん)を与えて、とうとう丸裸になる。その時、空から星がばらばら降ってきて、地面に落ちると銀貨になった。女の子は銀貨を拾い集め、一生涯お金持ちで暮らした〔*流星は幸運をもたらすという民間信仰の昔話、といわれる〕。
*→〔冥界行〕1aの『イナンナの冥界下り』(シュメールの神話)では、女神イナンナが冥界へ下る時、装飾や衣服を次々にはぎとられて素裸になる。
『捜神記』巻4−2(通巻72話) 漢の武帝が甘泉宮の祭りに向かう途中、渭水で水浴する女がいたが、女の乳房は七尺もあるように見えた。女は天上の星の化身で、祭主の身の清め方がまだ不十分であることを注意しに来たのだった。
『捜神記』巻8−9(通巻235話) 三国時代の永安三年(260)二月に、背丈四尺余、年齢六〜七歳、青い着物を着た少年が現れ「三国は司馬氏のものになる」と予言し、「自分は火星である」と告げて天へ昇り、姿を消した。それから二十一年後に予言は実現した。
*七人の童子・八人の童子の姿をした星→〔海〕6aの『丹後国風土記』逸文(水の江の浦の嶼子)。
『星女房』(昔話) 北斗七星は、天女の七人姉妹だった。七つ星の一番上の長女が地上へ降り、親孝行な青年の妻になって、男の子が一人できた。ところが、北斗七星の一番上の星が消えたので、王様が「地上に降りた天女を捜して捕らえよ」と命ずる。長女は男の子を連れて天へ帰り、「私は結婚して身体がけがれたから、一番上にいる資格はない」と言って、妹と位置を交替した。長女のそばには、その子供である小さな星が見える〔*北斗七星のミザールとアルコルのことである〕(沖縄県石垣市登野城)。
『酉陽雑俎』巻1−34 一行という僧が下僕に命じて、日暮れに廃園にやって来る豚七匹を捕らえさせ、甕に入れて封印した。すると、空の北斗七星が消えた。玄宗帝の下問に、一行は「天の警告であるゆえ、大赦を行い囚人を釈放すべし」と進言した。これは、一行が恩人の息子を獄から救うために、したことであった。
『醒睡笑』巻之1「鈍副子」16 夜、小僧が長い棹を持ち、空の星を打ち落とそうとして庭を走り回った。和尚がそれを見て、「そこからは棹が届くまい。屋根へ上がれ」と言った〔*この物語の変型である『一千一秒物語』(稲垣足穂)「A MOONSHINE」(→〔月〕7c)では、竹竿で三日月を取る〕。
『後漢書』列伝第73「逸民伝」 後漢の厳光が光武帝と一緒に寝た時、足を帝の腹上に乗せた。その翌日、天文官が「客星が玉座の星を犯しました」と奏上した。光武帝は笑って、「旧友の厳光とともに寝ただけだ」と答えた。
『日本霊異記』下−38 延暦三年(784)十一月八日の夜、戌の刻から寅の刻まで天の星がことごとく動いて、入り乱れ飛び交った。これは、同月十一日に桓武天皇が早良皇太子とともに、奈良の宮から長岡の宮へ移ることの前兆であった。
『故郷七十年』(柳田国男)「布川(ふかわ)時代」 「私(柳田国男)」が茨城県布川に住んでいた十四歳の時のこと。いたずら心から、小さな祠の扉を開けて御神体の珠を覗いた。「私」は妙な気持ちになり、しゃがんだまま、よく晴れた青空を見上げた。すると、昼間なのに数十の星が見える。突然、鵯(ひよどり)がピーッと鳴いて、「私」は正気に戻った。鵯が鳴かなかったら、あのまま気が変になっていただろう(*柳田国男とは対照的に、福沢諭吉は御神体の石を捨てても何事もなかった→〔禁忌〕9の『福翁自伝』)。
『地球防衛軍』(本多猪四郎) かつて火星と木星の間には、惑星ミステロイドがあった。十万年前、ミステロイドの住民ミステリアンどうしの大原子兵器戦争(=核戦争)によって、惑星は粉砕され、現在の小惑星群になった。ミステリアンの一部は惑星滅亡の直前に脱出し、宇宙空間を放浪した後に、地球へやって来た。住むべき土地を求め、ミステリアン人口の増加を目ざしてのことだった→〔宇宙人〕5。
『2010年』(ハイアムズ) フロイド博士をはじめとする米ソの科学者たちが宇宙船に乗り組み、木星付近を探索する(*→〔旅〕3aの『2001年宇宙の旅』)。ボーマンの霊が現れ、フロイド博士に「これから、すばらしいことが起こる」と告げる。フロイド博士らが見る前で、木星は爆発して、新しい太陽になる。その頃、地球上では米ソの対立が激化し、世界大戦寸前だった。しかし空に出現した第二の太陽を見て、米ソ首脳は、超越的存在からの警告と恩恵を読み取り、戦争を回避した。
『さよならジュピター』(小松左京) 二十二世紀。木星(ジュピター)を太陽化して、土星以遠に大きなエネルギーを供給し、太陽系開発を推進する計画があった。ところが、ブラックホールが太陽系に近づいて来ており、二年後に太陽と衝突する可能性が高くなる。ブラックホールは木星のそばを通過するので、地球人類は木星を爆破し、ブラックホールの進路を変えた。太陽系最大の惑星を犠牲にすることによって、人類は滅亡を免れたのである。
*→〔地球〕3の『妖星ゴラス』(本多猪四郎)では、地球の軌道を変えて、黒色矮星と地球の衝突を回避する。
『妖魔伝』(バルザック) 異端糾問所長コルニーユが、悪魔の化身である美少女ヅルマと交わる。媾合の最中、ヅルマはコルニーユを宇宙空間へ導く。太陽と地球の性交が見える。その巨大なる性交からは、精液が群星となってあふれ出ていた。恒星も惑星も、雄天体は雌天体と交わり、愛の嘆声として嵐や雷鳴や稲光を発する。コルニーユはさらに上昇し、森羅万象の雌性が、宇宙運行の王子と交わっているのを見る。天の川は、交接に耽る諸世界の精液の滴りだった。
『ムーミン谷の彗星』(ヤンソン) おさびし山の天文台の学者が、「四日後の八月七日午後八時四十二分に、彗星が地球に衝突する。四秒遅れるかもしれんが」と警告する。ムーミン一家と仲間たちは、森の洞窟へ避難する。八月七日午後八時四十二分四秒。真っ赤に燃える彗星が地球へ突っ込む。大きな音がし、地面がふるえ、やがて静かになる。スナフキンが「地球は壊れなかった。彗星は、しっぽで地球をかすっただけだ」と言う。
星高山の伝説 星高山は標高四七〇メートルで、島の星山とも呼ばれる。貞観十六年(874)九月八日、流星(=隕石)がこの山に落ちた。鴨に似た形の隕石で、高さが六十センチ、幅が三十センチ〜十センチである。今も山腹の冷昌寺に祀られている。小石で叩くと、金鉄のような音がする(島根県江津市。*別伝もある。昔、江津がまだ海だった頃、天から火の雨が降り、一個の火の石が水中に落ちて光を放った。火の石=星は、ある人の夢枕に立って「私をどこかに祀れ」と告げた。早速祀ると、また夢枕に立って「ここは気に入らない」と言う。こんなことが幾度か繰り返され、最後に落ち着いたのが冷昌寺だった)。
*星界への旅→〔旅〕3a。
『うつほ物語』「内侍のかみ」 七月の相撲の節会後の夜宴に、朱雀帝が俊蔭女を召す。俊蔭女は参内し琴を奏して、尚侍(ないしのかみ)に任ぜられる。以前から俊蔭女に心を寄せていた帝は、何とかして彼女の美しい姿を見たいと思う。帝は蛍を直衣の袖に隠し、几帳の陰にいる俊蔭女の顔を、蛍の光で照らし見る。
『源氏物語』「蛍」 五月雨の頃。兵部卿宮(=光源氏の異母弟)が玉鬘を訪れ、几帳ごしに思いを訴える。夜になって、源氏が多くの蛍を几帳の中に放つ。その光で、兵部卿宮は玉鬘の姿をほのかに見る。
『蒙求』194所引『晋書』列伝53 晋の車胤の家は貧しく、いつも油を買うわけにはいかなかった。車胤は夏には絹の袋に数十の蛍を入れ、その光で書物を照らして勉強した。
『狗張子』(釈了意)巻1−5「島村蟹のこと」 治承の昔、源三位頼政が謀反を起こし、宇治川を隔てて源平両軍が戦った。討たれた武者たちの亡魂は蛍となり、今もなお四月・五月には、平等院の前に数千万の蛍が集まり、光を争って戦う。
『古本説話集』上−6 和泉式部は、丹後守保昌との関係が終わった頃、貴船神社に詣でた。御手洗河に蛍の飛ぶのを見て、彼女は「物思へば沢の蛍も我が身よりあくがれ出づる魂かとぞ見る」の歌を詠んだ→〔歌〕12。
『細雪』(谷崎潤一郎)下巻の4 雪子の見合いのため、幸子は娘悦子、妹妙子とともに大垣まで出かけた。彼女たちは蛍狩りに招かれたが、その夜、床の中で幸子は、自分の魂もあくがれ出して、蛍の群れに交じって飛ぶように思った。
『蛍』(小泉八雲『骨董』) 冬の夜、松江の若い士族が、自宅前の小川に蛍が一匹飛んでいるのを見る。士族は、雪の降る冬に蛍が飛ぶことを怪しみ、杖で打つ。蛍は隣屋敷の庭へ逃げこむ。翌朝、士族が隣家を訪問すると、彼の許婚である娘が、「昨夜、わたくしは夢の中で空を飛び、あなたに出会って杖で打たれました」と語った。
『伊勢物語』第45段 昔、男がいた。ある家の娘がこの男に思いを寄せた。娘は告白できぬまま病気になって死ぬ間際に、男への恋心を打ち明けた。親が泣く泣く知らせたので男はやって来たが、娘は死んでしまった。男は娘の家で服喪した。時は六月(陰暦)の末日で、夜になって、蛍が高く飛んだ。男は「ゆく蛍雲の上までいぬべくは秋風吹くと雁に告げこせ」と詠歌した〔*男は蛍を、娘の魂のように思ったのであろう〕。
『うたかたの記』(森鴎外) 画工の巨勢(こせ)と美少女マリイが、スタルンベルヒの湖で舟遊びをする。そこへ狂王ルードヴィヒ二世が現れたのを見てマリイは失神し、舟から落ちて水死する。折しも、芦間から岸辺へ高く飛び行く蛍があり、マリイの魂が抜け出たのか、と思われた→〔母と娘〕。
『感想』(小林秀雄)1 母が死んで数日後の夕方、「私(小林秀雄)」が家の門を出ると、行く手に大きな蛍が一匹飛んでいた。おっかさんは今は蛍になっている、と「私」は思った。「私」は蛍の飛ぶ後を歩き、曲がり角の手前で蛍は見えなくなった。男の子が二人、「私」を追い越して踏切りの方へ駈けて行った。彼らは「本当だ。火の玉が飛んで行ったんだ」と、踏切番に訴えていた。
『サザエさん』(長谷川町子)朝日文庫版・第36巻131ページ ワカメもタラちゃんも「蛍を見たことがない」と言うので、マスオは、蛍がどんなものか教えようと、紙を切って大きな羽根を二枚作る。その羽根を波平が腰につけて、四つん這いになる。マスオが電灯で波平の禿げ頭を照らし、「こっちがお尻なんだ」と説明する。ワカメもタラちゃんも「わかんなーい」と言う。
*関連項目→〔心〕
★1.人の死・動物の死に接して現世の無常を観じ、発心して仏道へ入る。
『今昔物語集』巻19−2 大江定基は愛人が病死しても葬らず、抱いて共寝をしていたが、何日も経て、愛人の口を吸うと異臭がしたので、この世を憂きものと思い道心を起こした。さらに、生きながら料理される雉の苦痛を見て道心を固め、髻を切って法師となった。
『今昔物語集』巻19−6 生侍が、産後の妻に食べさせるため、美々度呂池(=みぞろが池)の雄鴨を弓で射殺す。ところが雌鴨が、あとを慕って生侍の家までやって来て、雄鴨の遺骸に寄り添う。これを見た生侍は道心を起こし、愛宕護山の寺へ登り、法師になる。
『西行物語』 北面の武士佐藤義清(=後の西行)は、二十五歳の初冬の夕べ、二歳年長の友人憲康とともに鳥羽離宮を退出し、「翌朝も誘い合って出仕しよう」と約して別れる。ところが、その夜のうちに憲康は急死し、義清は現世の無常を観じて発心、出家する。彼は煩悩の絆を断ち切るため、四歳の娘を縁から蹴落とすことさえした。
『かるかや』(説経) 筑紫六ヵ国を知行する重氏は、花見の宴の折、山おろしの風に、桜の枝の開いた花は散らず、つぼみの花が先に散って杯に浮かんだのを見て、まざまざと老少不定を観ずる。彼は二十一歳の若さで、懐妊中の十九歳の妻と、三歳の娘を捨てて遁世する。
『発心集』巻1−6 筑紫の男が秋八月のある朝、自家の田地の広さに満足しつつ稲穂の波を見るうち、俄にこの世の無常を観じた。彼はそのまま家へも帰らず、止める娘を振り切って、高野山へ登り、やがて徳高い聖人となった。
★3.仏の教えを聞く・すぐれた僧に出会うなどして、発心し仏道に入る。
『今昔物語集』巻19−14 殺生を業とする讃岐の源太夫は、鹿狩りの帰途に立ち寄った法会の講師から、「『阿弥陀仏』と唱えれば、罪人も救われる」と聞く。彼は発心してその場で剃髪し、阿弥陀仏を求めて西へ西へと歩く。源太夫は、海をのぞむ峰で木の股にまたがり、阿弥陀仏を呼びつつ息絶える。その口からは、蓮華が生え出た。
『春雨物語』「樊噌(はんかい)」 父・兄殺しの盗賊樊噌が、旅僧に有り金を要求する。僧は金一分を渡して去るが、まもなく戻って来て、「物惜しみの心から偽りをして、気持ちがさっぱりしない。実はもう一分あった」と言って与える。樊噌は心中に寒さを覚え、心改まって、「弟子にしてほしい」と旅僧に請う。後に樊噌は大和尚となって、八十余歳で遷化する。
盤神岩(ばんず)の伝説 盤二・盤三郎兄弟は、山道で追いはぎを働いていた。ある時、彼らは一人の坊さんを捕らえる。坊さんは「わしは殺されれば仏果を得るが、お前たちは地獄へ堕ちるぞ。因果応報の理をわきまえぬとは、気の毒な」と説く。盤二・盤三郎兄弟は非を悟り、弓矢を捨てて坊さんの弟子になった(宮城県名取郡)。〔*逆に、殺人の加害者が天国へ行き、被害者が地獄へ落ちる、という話もある→〔天国〕3の『ある抗議書』(菊池寛)〕。
*妻の欲心を見て発心する→〔妻〕7の『恩讐の彼方に』(菊池寛)・『高野物語』(御伽草子)第3話・『三人法師』(御伽草子)。
*関連項目→〔宿〕
『グランド・ホテル』(グールディング) ベルリンのグランド・ホテルに滞在する客たちの人生模様。経営危機の会社の社長が、速記係の女を愛人にしようとする。「男爵」と自称する泥棒が、バレリーナと恋仲になる。病気で余命僅かの会社員が、最後の贅沢をしようと連泊する。「男爵」は社長の部屋へ盗みに入り、殴り殺される。社長は逮捕され、バレリーナには「男爵」の死は知らされない。会社員は、残りの人生を速記係の女と過ごそうと考え、二人でパリへ旅立つ。
*高級ホテルに滞在して休暇を楽しむ人々→〔同性愛〕1の『ヴェニスに死す』(マン)・〔二者同想〕4の『桃源境の短期滞在客』(O・ヘンリー)。
『雪』(川端康成) ここ四〜五年、野田三吉は正月元日の夕方から三日の朝まで、家族と離れ、東京高台のホテルに一人隠れて過ごす。彼はホテルを「幻ホテル」、部屋を「雪の間」と呼んでいる。今年五十四歳の三吉は、ベッドに入って目を閉じ、幻の雪が舞い始めるのを待つ。しばらくして目を開けると、部屋の壁が雪景色になっている。雪の中に父が現れ、三吉を愛してくれた女たちが現れる。三吉は自由に彼らを呼び出し、会うことができるのだ。
『どん底』(ゴーリキー) 底辺の労働者、犯罪者、売春婦、病人などが暮らす木賃宿の地下室。巡礼ルカがやって来て、アル中の役者に無料の病院を教え、肺病の人妻に死後の平安を説く。木賃宿の亭主の妻ワシリーサは、泥棒ペーペルを愛人とする。しかしペーペルは、ワシリーサの妹ナターシャを口説いている。ワシリーサがナターシャを折檻し、騒ぎの中でペーペルは木賃宿の亭主を殴り殺す。前科者サーチンが酔って「人間は尊敬すべきものだ」と叫ぶ。その頃、外ではアル中の役者が首を吊っている。
『ここより他の場所』(大江健三郎) 夏の真昼。情人を連れてホテルへ入ろうとする青年に、老人が話しかけてくる。「いい船がある。それに乗って、ここより他の場所へ行かないかね?」。青年は老人を無視してホテルへ入る。青年と情人は、避妊について口論した末に、避妊具なしで交わり、婚約する。ホテルを出る時、老人の姿はなかった。青年は思う。「あの老人と仲間になっていたら、どこか遠い所へ行けたのだ。おれは一生、ここより他の場所へは行けない」。
『シャイニング』(キューブリック) 冬季は雪のため閉鎖され、無人になる山上のホテル。ジャックは、妻ウェンディ・息子ダニーとともに、一冬の管理人として住み込む。このホテルは、インディアンの墓地跡に建てられており、訪れる人を狂気に追いやるのだった。以前の管理人は、妻と二人の娘を斧で惨殺し、猟銃自殺した。ジャックも斧をふりかざしてウェンディとダニーに襲いかかるが、二人は雪上車でホテルから脱出する。ジャックは雪に埋もれて凍死する。
『誤解』(カミュ) 小さなホテルを経営する母と娘が、客の男を眠らせて殺し所持金を奪う。ところがその客は、かつて家出したこの家の息子であった。彼は二十年ぶりに母と妹に会うために、客をよそおってこのホテルへ来たのだった〔*『異邦人』第2部の2に、ムルソーが独房内で繰り返し読んだ古新聞の記事として、同様の物語が記される〕。
*イギリスにも同様の物語がある→〔宿〕6の『霊を鎮める』(イギリスの昔話)。
『影男』(江戸川乱歩)「断末魔の牡獅子」〜「隠形術者」 四方の壁と天井が鏡張りのホテルの一室で、全裸の五十男が四つん這いになり、そこに美女が馬乗りになって、男を鞭打つ。隣室のマジック・ミラーから、速水荘吉(=影男)が男の狂態をのぞき見、写真を撮影する。五十男はS県の大富豪であり、速水は彼に写真を送りつけ、大金をゆすり取るのだった。
『ロシアより愛をこめて』(ヤング) イスタンブールのホテル。夜、ジェイムズ・ボンドが部屋に戻ると、裸の美女がベッドで待っていた。女はソ連領事館職員タチアナで、これはボンドを陥れる罠であった。壁にはめこまれた大きな鏡はマジック・ミラーであり、隣室から二人の男が、ボンドとタチアナの情事を撮影していた→〔心中〕7b。
*ホテルの部屋の盗聴器→〔立ち聞き(盗み聞き)〕4bのシャンデリア(ブレードニヒ『ヨーロッパの現代伝説 ジャンボジェットのねずみ』)。
*ホテルと同様、長距離列車も、人々が出会い、また別れて行く舞台になる→〔乗客〕8の『夜行列車』(カワレロウィッチ)。
『宇治拾遺物語』巻1−16 「ぢざう」と呼ばれる童が小枝で額の皮を裂くと、地蔵菩薩の顔が見える。篤信の老尼が涙を流して拝み、極楽往生する。
『宇治拾遺物語』巻9−2 三人の絵師が宝志和尚の肖像を描く。和尚が「我が真の形を写せ」と言って額の皮を裂き、金色の菩薩の顔を現す。一人の絵師は十一面観音と見、一人の絵師は聖観音と見た。
『源平盛衰記』巻30「広嗣謀叛並玄ボウ僧正の事」 聖武帝の皇后と玄ボウ僧正が御簾の内にいるところを藤原広嗣が見ると、二人は共寝をしているので、広嗣は帝に訴える。しかし帝が見ると、皇后は十一面観音・玄ボウは千手観音と現じて、衆生済度の方便を語り合っていた。
『日本霊異記』上−20 捕らえられ朝廷に送られた僧が高貴な風貌なので、絵師たちにその肖像を描かせる。提出された絵を見ると、どの絵も皆観音菩薩の像であった〔*『今昔物語集』巻20−20に類話〕。
*→〔僧〕2の『古事談』巻3−95。
『今昔物語集』巻19−11 信濃国筑摩の湯の里人が「明日、午の時に観音が来て湯浴みをすべし」との夢告を得る。翌日、湯治に来た上野国の武者が、人々から「観音よ」と拝まれ、自らも「我は観音だったのか」と思ってその場で出家する〔*『古本説話集』下−69・『宇治拾遺物語』巻6−7に類話〕。
『発心集』巻1−6 南筑紫上人が、堂供養の導師を求めかねている時「某日某時、浄名居士が来て供養すべし」との夢告を得る。当日、雨の中、蓑笠姿の賤しげな法師が来たので、堂供養を請う。この法師は、実は天台宗の明賢阿闍梨だった。
『日本霊異記』中−22 道行く人が、「痛きかな」と泣き叫ぶ声を聞き、声のする家を調べてみると、盗人が仏の銅像の手足を切り取り、鏨で首を切っていた。
『日本霊異記』中−23 勅使が夜間巡行中、尼寺の前の原で「痛きかな」と泣き叫ぶ声を聞いて駆けつけると、盗人が弥勒菩薩の銅像を石で壊していた。
『日本霊異記』中−26 禅師広達が橋を渡る時「痛く踏むなかれ」という声を聞き、怪しんで橋をよく見ると、それは仏像をまだ造り終わらぬまま捨てた木だった。
『日本霊異記』中−39 大井河の河べりの砂の中に「我を取れ」と声がするのを、旅僧が聞き、掘り出すと薬師仏の木像だった。僧はそこに堂を建て、仏像を安置した。
『日本霊異記』下−17 「痛きかな」とうめく声が沙弥信行に聞こえ、毎晩それがやまなかった。寺中を探すと、鐘つき堂にある未完成の弥勒菩薩の脇士二体のうめきであった。
『日本霊異記』下−28 優婆塞が寺中に「痛きかな」とうめく声を聞き、堂の中を探すと、弥勒の丈六の仏像の首が落ちてころがり、大蟻が千匹ほど集まって首を噛み摧いていた。
『宇治拾遺物語』巻8−6 愛宕山の聖が、毎夜普賢菩薩の現ずるのを尊び礼拝する。猟師もこれを見るが、「罪深き自分などにまで仏身が見えるのは怪しい」と考えて、矢を射かける。翌朝、血のあとをたどると大狸が死んでいた〔*『今昔物語集』巻20−13の類話では大猪。また、『宇治拾遺物語』巻13−9・『今昔物語集』巻20−12には、天狗の化けた阿弥陀仏にだまされ連れ出される僧の説話がある〕。
『今昔物語集』巻19−4 にわかに発心・出家した源満仲の道心を強めるため、源信僧都たちが相談し、笛・笙を吹く者十人ほどに菩薩の装束を着せて歩かせる。満仲は声を上げて泣き、板敷から転げ落ちて拝む。
『今昔物語集』巻20−3 天狗が金色の仏に化して五条の道祖神の柿の木の上に現れるが、源光に見破られる〔*『宇治拾遺物語』巻2−14に類話〕→〔目〕1a。
『十訓抄』第1−7 僧に助けられた鳶(天狗の化身)が、返礼に霊鷲山での釈迦説法の場をあらわして見せる。「幻術ゆえ、尊いと思い給うな」と注意されたにもかかわらず、その荘厳さに僧が思わず合掌礼拝すると、たちまちすべては消え失せる〔*『大会』(能)はこの説話にもとづく〕。
*にせの仏の夢告→〔妻〕8の『因幡堂』(狂言)。
★5.二人の仏。遠い仏国土の如来が訪れて、釈迦如来と対面する。
『法華経』「見宝塔品」第11 釈迦如来は入滅を前にして、霊鷲山で多くの弟子たちに法華経を説く。地面から巨大な宝塔が出現し、空中高くに静止する。釈迦如来も空中に昇ると、宝塔の大扉が開く。中には、法華経聴聞のために遠い東方宝浄国から来た多宝如来が坐していた。多宝如来は半座を譲って、釈迦如来を招き入れる。二人の如来は並んで結跏趺坐する。
*他宇宙の神が、この宇宙の神に会いに来る→〔神〕7の『人間万歳』(武者小路実篤)。
*人間が後に仏や神になる→〔神〕11。
*仏が人を助ける→〔神仏援助〕。
*関連項目→〔仏舎利〕
『創世記』第2章 神は土のちりで人(アダム)を造ったが、「人が一人でいるのはよくない。助ける者を造ろう」と言った。神はアダムを眠らせてあばら骨の一つを取り、そこから女(エバ=イヴ)を造った。目覚めたアダムはエバとともに暮らし、後に二人は結婚した〔*平田篤胤は、『日本のイザナキ・イザナミ神話が西洋に伝わって、アダムとエバの物語になった』と主張する→〔出産〕10b〕。
*死者の骨をつないで人を造る→〔人間〕3。
『唄をうたう骨』(グリム)KHM28 羊飼いが、橋の下の砂の中に小さな骨を見つけ、それで角笛の歌口を作って吹く。すると骨が「私は兄に殺されて橋の下に埋められた」と唄い出す。橋の下から髑髏が発見され、下手人の兄は袋詰めにして川に沈められる。
『士師記』第15章 サムソンはろばのあご骨一つを見つけ、それでペリシテ人千人を打ち殺した。彼があご骨を投げ捨てた所は「あご骨の丘」と呼ばれた。
『2001年宇宙の旅』(キューブリック) 人類の黎明期のアフリカ。ある朝ヒトザルたちは、背丈よりも大きい謎の黒石板(モノリス)を見る。それに手を触れた彼らは、「知」を獲得する。一頭のヒトザルが、動物の脚の骨をもて遊ぶうちに、骨が大きな破壊力を持つことに気づく。彼は、対立するグループの一頭を骨で打ち倒し、こうしてヒトザルは武器を使うことを覚える〔*ヒトザルは、敵を倒した骨を空高く放り投げ、その骨が、宇宙空間を進むスペースシャトルに重なる〕。
『ハムレット』(シェイクスピア)第5幕 イギリスへの旅から帰国したハムレットが墓場を通りかかると、墓堀り人夫たちが頭蓋骨を掘り出している。ハムレットは、「カインが人類最初の人殺しに使ったのは、ろばのあご骨だった」と、友人ホレイショーに語る〔*カインのアベル殺しを述べる『創世記』第4章では、凶器についての記述はない〕。
マウイの冒険譚(ニュージーランド・マオリ族の神話) 英雄マウイが、祖先である老女ムリランガのもとへ行き、「あなたの顎の骨をいただきたい」と請う。ムリランガは「持って行くがいい」と言って、その強力な武器となる宝をマウイに与える。マウイは、ムリランガの顎骨を使って、さまざまな冒険をし、難事をなしとげた→〔死神〕1c。
『日本書紀』巻24皇極天皇2年11月 蘇我入鹿が巨勢徳太臣らを遣わして、斑鳩宮の山背大兄王を襲った。山背大兄は、馬の骨を寝殿に投げ入れて脱出した。巨勢徳太臣らは斑鳩宮を焼き、灰の中に骨を見て、王は死んだと思い囲みを解いた。
『骨違い』(落語) 大工の熊五郎が、女房お光の所へ来た間男だと誤解して、隣家の息子を叩き殺す。困った熊五郎夫婦は、弟分の吉五郎と相談し、死体を吉五郎の家の床下に埋める。何年か後、熊五郎とお光が夫婦喧嘩をし、お光は興奮して、床下の死体のことを口走る。役人が調べに来ると、吉五郎は「埋めたのは長屋の犬の死骸だ」と言い、実際、出てきたのは犬の骨だった。吉五郎は万が一のことを考え、死体を大川に捨て、犬の死骸を埋めておいたのだった。
『沙石集』巻9−2 娘が寺の稚児を恋し、焦がれ死にした。娘は死後、蛇となって稚児を悩ませ、やがて稚児が死ぬと、蛇は棺の中の稚児に巻きついた。両親は、娘の骨を箱に入れておいたが、分骨するために箱を開けて中を見た。娘の骨は、すっかり小蛇に変わってしまったものもあり、半分ほど蛇になりかかっているものもあった。
『はだしのゲン』(中沢啓治) 中岡元(ゲン)の母は広島で被爆した(*→〔原水爆〕1)。母は被爆に起因する胃癌のため、昭和二十四年の晩秋に死んだ。火葬後、ゲンが母の骨を拾おうとすると、骨はまったく形をとどめておらず、白い粉のかたまりが残っているだけだった。「原爆の放射能は、骨まで取って行くのか」と言って、ゲンは泣いた。
『黄金伝説』111「殉教者聖ラウレンティウス」 聖ラウレンティウスの墓所が偶然開かれた。この時、聖人の遺骨を見た納室係や修道士たちは、十日後に全員死んでしまった。
『ギリシア神話』(アポロドロス)摘要第5章 アキレウスとパトロクロスは親友だった。トロイア戦争でパトロクロスは戦死し、アキレウスがその敵(かたき)を討つが、彼もまた戦死してしまった。ギリシア軍は、二人の骨を混合して「白島」に葬った。
『ノートル=ダム・ド・パリ』(ユゴー)第11編4 絞首刑になった人々の死体を棄てた穴の中に、奇妙な二体の骸骨があった。背骨の曲がった男の骸骨が、女の骸骨をしっかりと抱きしめているのだった(*→〔顔〕1b)。男の骸骨を女の骸骨から引き離そうとすると、男の骨はこなごなに砕け散ってしまった。
★9.生きた人間を見ても、「髑髏」や「白骨」に見えてしまう。不浄観。
『閑居の友』上−20 ある男が野原で死人の頭骸骨を見て、「死ねば皆こうなるのだ」と悟る。男は家へ帰り、妻の顔のあちらこちらを手さぐりして、野原で見た髑髏と同じであることを知る。以後、男はしだいに妻と疎遠になり、やがて出家遁世してしまった。
『無妙記』(深沢七郎) 六十歳過ぎの露天商の男が、用事で京都市街へ出かける。繁華街の大勢の男女は、何年か何十年かたてば、皆、白骨になるのだ。市電には、これから映画を見に行く白骨たちや、買い物に行く白骨たちが乗っている。食堂で天丼を食べると、客の白骨がいろんなことをしゃべっている。露天商の男は金の貸し借りのトラブルで、まもなくナイフで刺され、死んで火葬されて白骨になるのだ。そんなことは知らずに、男は歩いている。修学旅行の白骨集団がいる。土産屋で白骨の女店員が騒いでいる。
*望みのものが得られる骨→〔靴(履・沓・鞋)〕3aの『酉陽雑俎』続集巻1−875。
『悪霊』(ドストエフスキー) 知事レンプケは、時たま当てずっぽうに本をあけ、右のページを上から三行読んでみて、占いをすることがあった(第2部第10章)。老学者ステパンは、聖書売りのソフィヤに、偶然に目に入った一節を読んで欲しいと請い、「僕は聖書で僕らの未来を占っているんです」と言った(第3部第7章)。
『オリヴァー・トゥイスト』(ディケンズ)第3巻第44〜45章 悪漢サイクスの情婦ナンシーが、ある夜本を読んでいると、どのページにも「棺桶」という字が書いてあるので不吉に思う。翌日の早朝、ナンシーはサイクスに殴り殺される。
『月長石』(コリンズ)「物語」第1期「ベタレッジの手記」・第2期第8話「ベタレッジの寄稿」 七十歳を越した執事ベタレッジは、窮境に立った時・忠告が欲しい時には、愛読書『ロビンソン・クルーソー』の適当なページを開き、そこに書かれてある文章から、行動の指針と将来の予言を読み取るのだった。
『パンタグリュエル物語』第三之書(ラブレー)第12章 家臣パニュルジュが結婚の希望を持ちながらも迷っているので、パンタグリュエルはウェルギリウスの書物を三度開き、そこに現れる詩句をもとに結婚の吉凶を占う〔*しかし詩句の解釈がパンタグリュエルとパニュルジュで異なり、結局彼らは徳利明神の神託を求めて船出する〕。
『アベラールとエロイーズ 愛の往復書簡』第1書簡「厄災の記」 「私(アベラール)」の神学の論文は、他の学者たちには十分に理解されず、また、「私」を嫉妬し誹謗する人も多かった。「私」はソワソンの公会議に召喚され、審議もないままに、「私」の著書を自らの手で火中に投ずるよう強制された。「私」は、自著を焚書せざるを得なかった。
『華氏451度』(ブラッドベリ) 未来社会では、人々は超小型ラジオを耳にはめ、巨大なテレビ画面に没頭して、幸せに暮らしていた。人を思索に導く書物は危険視され、焼き捨てられた。焚書官モンターグは、書物を隠し持つ家を捜し、火炎放射器で書物を焼く職務に従事していた。
『史記』「秦始皇本紀」第6 始皇帝三十四年。丞相李斯が、「史官の所蔵する書籍のうち、秦の記録でないものはみな焼き捨てるべし。また、天下にある儒家・諸子百家の書をすべて提出させ、焼き捨てるべし」と建言した。始皇帝はこれを是とし、命を下した。
『一九八四年』(オーウェル) 一九八四年、世界は三つの超大国に分割されていた。その一つ、全体主義国家オセアニアでは、党の命令で、革命以前の書物の没収と焚書が徹底的に行なわれ、一九六〇年以前に発行された書物が残っている可能性はなかった。
『ドン・キホーテ』(セルバンテス)前編第1〜7章 騎士道物語を読みふけったドン・キホーテは、自らも遍歴の騎士をこころざして第一回目の旅に出、怪我をして三日後に帰る。友人たちは「本がドン・キホーテを狂わせた」と考え、百冊余りの蔵書を点検して、何冊かを自分たちのものにし、残りの本はすべて家政婦が焼き払う。
『聴耳草紙』(佐々木喜善)1番「聴耳草紙」 年の暮れに貧乏な爺が、死馬に群がる犬を追い払い、痩せたびっこの狐に馬肉を投げ与える。返礼に爺は、聴耳草紙という、古暦のような冊子をもらう。これを耳に当てると、鳥・獣・虫の声が人間の言葉に聞こえるのだった。
『砂の本』(ボルヘス) 「わたし」が手に入れた、未知の言語で書かれた聖書は、無限のページを有しており、初めも終わりもない本だった。表紙のすぐ次のページを開こうと試みても、開いたページと表紙の間に、何枚ものページがはさまってしまう。まるで本からページがどんどん湧き出てくるようだった。最後のページも同様であった。一度見たページは、いったん本を閉じると、二度と捜し出すことができなかった。
*呪いの本を開いた人が神隠しにあう→〔一人三役〕3の『古書の呪い』(チェスタトン)。
『ペルシア人の手紙』(モンテスキュー)第143信 三十五日間眠れぬ病人が、主治医の勧める阿片剤を断り、不眠症の特効薬として本屋に信仰書を注文する。コーサン神父の著書『聖廷』が届けられ、病人の息子が朗読するが、息子自身、早くも二ページ目で呂律が回らなくなり、周囲の人はいびきをかきはじめ、ついに病人もぐっすり眠りこむ。
『不思議な島』(芥川龍之介) 船の甲板にいる「僕」は、彼方に見えるサッサンラップ島について、英国の老人から説明を聞く。島では皆が野菜を作り、文芸作品の論評のごとくに、野菜についてのさまざまな品評が行なわれるという。老人の名刺に「ガリヴァー」とあったので「僕」は驚き、昼寝から目覚めると、読みかけの『ガリヴァー旅行記』が置炬燵の上にあった。
『光子の裁判』(朝永振一郎) 夢で「私(朝永振一郎)」は、波乃光子(なみのみつこ)という被告をさばく裁判を傍聴していた(*→〔分身〕1d)。「被告の弁護人はどこかで見た顔だ」と思ったら、それはイギリスの物理学者ディラックだった。目覚めると、「私」はディラックの『量子力学』の10ページあたりを読みながら、本に顔をおしつけてうたた寝をしていたのだった。
★4c.本を読んで眠ったが、本の内容とは全然関係のない夢を見る。
『小説の面白さ』(太宰治) 「私」は眠れぬ夜に、島崎藤村の『夜明け前』を、朝までかかって全部読み通したことがあった。そうしたら眠くなってきたので、その部厚な本を枕元に投げ出し、うとうと眠って夢を見た。その夢は、『夜明け前』とはまったく何の関係もない夢だった。あとで聞いたら、藤村は『夜明け前』完成までに十年間かけたということだった。
『金瓶梅』の伝説 『金瓶梅』の著者・笑笑生とは、明代の文豪・王世貞のことである。王世貞の父はある人物に殺され、王世貞は父の仇(かたき)を討つため、淫書『金瓶梅』を書いた。父の仇は、指をなめて本のページをめくる癖があったので、王世貞は『金瓶梅』のページに毒を塗って贈った。しかし塗った毒が薄く、仇を殺すことはできなかったという。
『千一夜物語』「イウナン王の大臣と医師ルイアンの物語」マルドリュス版第4〜5夜 イウナン王は医師ルイアンに病気を治してもらったが、悪人の讒言にまどわされて、医師を斬首しようとする。医師は王に秘密の本を贈り、「この本を三枚めくって左ページの第三行を読めば、私の斬られた首が、王様のあらゆる質問に答えます」と言う。王は本の内容をはやく知りたいと思い、医師の処刑前にページをめくる。ページには毒が塗ってあり、王は死ぬ。
*→〔笑い〕2の『薔薇の名前』(エーコ)。
『鳥の物語』(タゴール) 礼儀も作法も知らず、好き勝手に空を舞って歌をうたう鸚鵡がいた。王様が「こういう鳥は、ものの役に立たぬ」と言い、「あの鸚鵡に学問を授けよ」と、大臣に命じた。学者たちが多くの書物を積み重ね、ページをちぎって鸚鵡の口の中に押し込んだ。鸚鵡は歌うことをやめ、死んでしまった。
『ドラえもん』(藤子・F・不二雄)「のび太シンデレラ」 『浦島太郎』の絵本を読むたびに悲しくなる、とのび太が言うので、ドラえもんはのび太と一緒に「絵本入りこみ靴」をはいて、本の中に入り、タイムフロシキを浦島にかぶせて若返らせる。次にのび太が一人で『シンデレラ』の絵本に入るが、誤ってガラスの靴を割り、その上、自分の靴を片方落とす。王子は「この靴の主と結婚する」と言い、のび太は王子の花嫁になる。
『はてしない物語』(エンデ) 少年バスチアンは、古本屋で見た本『はてしない物語』に心引かれ、それを盗んで、学校の屋根裏の物置で読みふける。物語の中ではファンタージエン国が危機に陥り、作中人物たちが、外部世界の人の子の救いを求める。バスチアンは「今ゆきます」と叫び、本の中の世界であるファンタージエン国に入りこむ〔*ファンタージエンを救ったバスチアンは、高慢になり自分を見失うが、「愛」こそ最も重要なものであることを知り、人間世界へ戻る〕。
『処方』(星新一『ボンボンと悪夢』) 物語を読むと夢中になり、作中人物になりきってしまう女性がいた。読み終わって本を閉じると、われにかえるのである。ある時、女性は乱丁のある本を読み始めた。本の終わりの所に、初めの方のページがまぎれこんでいた。女性はそこまで読んでくると、また本の初めに戻り、作中人物になったまま、いつまでたっても本を閉じることができなかった。
*本の世界に入り込み、作中人物に殺される→〔作中人物〕5aの『続いている公園』(コルタサル)。
『聊斎志異』巻11−415「書癡」 三十男の玉桂は毎日、読書にふけっていた。ある夜彼は、読みかけの本の中に、紗を切り抜いた美女の姿が、栞としてはさまれているのを発見する。栞の背面には、細字で「織女」と書かれていた。何日かの後、栞の美女は動き出し、人間と同じ大きさになる。玉桂は美女と結婚し、子供も生まれる。しかし県知事が美女の噂を聞き、拘引しようとしたので、彼女はどこかへ身を隠してしまった。
『サミング・アップ』(モーム)66 東方の若い王が、「世界の知恵の書物を集めよ」と、賢者たちに命ずる。三十年後、賢者たちは五千冊の本を届ける。しかし王は国事に忙しく、それだけの本を読む暇がなかった。本は十五年後に五百冊に要約され、その十年後には五十冊に要約されたが、この頃には王は年をとり疲れていて、読めなかった。さらに五年が過ぎ、賢者たちは、世界の知恵を一冊に凝縮した本を持って来た。王は老齢で瀕死の状態にあり、その一冊さえ読む時間がなかった。
『吾輩は猫である』(夏目漱石)3 古代ローマ七代目の王の所へ、女が九冊の本を売りに来る。その本には、ローマの運命が記してあった。たいへん高価だったので王が値切ると、女は三冊を火にくべて焼き、「残りの六冊を前と同じ値段で買え」と言う。王が「それは乱暴だ」と言うと、女はまた三冊を焼き、「残りの三冊を、九冊分の値段で買え」と要求する。値切ればその三冊も焼いてしまうかもしれないので、とうとう王は、高い金を出して三冊の本を買った〔*苦沙弥が細君に話した物語〕。
『大導寺信輔の半生』(芥川龍之介)5「本」 学生の「彼(大導寺信輔)」は古本屋で、「彼」自身が二ヵ月前に売った『ツァラトストラ』を発見し、懐かしさを感じた。「彼」はその本を一円四十銭で買い戻した。それは、売った時の値段七十銭の倍額だった。
*本の中に遺言状が挟まれていることを知らない→〔遺言〕2の『失った遺産』(H・G・ウェルズ)。
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