『仮名手本忠臣蔵』10〜11段目「天河屋」「討入り」 堺の商人天河屋義平は、塩冶浪士たちに味方して、討入りのための武器を調達した。しかし義平は町人ゆえ討入りに参加できず、そのことを彼は残念に思う。そこで塩冶浪士たちは、天河屋義平の姓の「天」と「河」を合言葉とし、討入りの夜、「天」「河」と声をかけあって、味方か敵か判断した。後にこれが、「山」と「川」というように誤り伝えられた。
『お熱いのがお好き』(ワイルダー) 禁酒法時代のアメリカ。葬儀場の奥の秘密の酒場へ、警察の男が客となって潜入する。客「ばあさんの葬式に来た」、受付係「当葬儀場のご利用は初めてですね」、客「旅に出ていた。今日は棺運びだ」という合言葉のやりとりの後、客は席へ案内される。数分後、警官隊が扉を破って乱入し、経営者であるギャングたちを逮捕する。
『恐怖の谷』(ドイル)第2部 ピンカートン探偵社のエドワーズは、マクマードと名を変え、犯罪結社スコウラーズに潜入する。「暗い晩はいやなものだ」という合言葉に「不慣れな他国の者には」と答えて、彼は結社の一員と認められる。
『戦争と平和』(トルストイ)第4部第3篇 ドーロホフはペーチャを連れ、フランス将校の軍服を着て、フランス軍陣地の様子を探りに出かける。歩哨が怪しんで「合言葉は?」と聞くが、ドーロホフは「将校が戦線を巡視しているのに哨兵が合言葉を聞くという法はない」と叱りつけて、通り抜ける。
『日本書紀』巻28天武天皇元年7月 田辺小隅の軍が田中臣足摩侶の軍営を襲った時、敵味方を区別するため人に出会うたびに「金」と言わせ、そう言わぬ者を斬った。攻撃された足摩侶の軍は混乱したが、一人足摩侶のみは、とっさに合言葉と悟り、「金」 と言って脱出した。
『二人の友』(モーパッサン) 普仏戦争のさなか、時計屋のモリソと小間物屋のソヴァージュが、パリ郊外で釣りをする。プロシャ軍が二人をスパイと見なして捕らえ、「フランス陣地へ入る合言葉を教えたら、放免してやる」と言う。しかし合言葉など知らぬ二人は何も答えられず、銃殺される。二人の釣った魚を、プロシャ兵はフライにして食べる。
★1.吉報か凶報かを示す。意図的に、あるいは手違いにより、正しくない合図が送られることがある。
『妹背山婦女庭訓』3段目「吉野川」 吉野川を隔てて住む恋人同士の久我之助・雛鳥に対し、帝を僣称する蘇我入鹿が、出仕と入内を求める。双方の親は、互いの息子・娘が入鹿の命令に従うなら花盛りの枝を、命令を拒否して死ぬなら花を散らした枝を、川に流して知らせ合うことにする。久我之助も雛鳥も死を選ぶが、一方の死を知ったら他方も生きてはいないので、双方の親は相手方の息子・娘を生かすために、偽ってそれぞれ花盛りの枝を流す。
『ギリシア神話』(アポロドロス)摘要第1章 アイゲウス王は息子テセウスに、クレタ島の迷宮から生きて帰れたら、船の黒帆を白帆に張り替えて合図するように命ずる。しかしテセウスは、冒険を終えて港に帰着する時、白帆を張るのを忘れてしまう。父王は黒帆を見て、テセウスは死んだものと思い、身を投じて死ぬ。
『国性爺合戦』 3段目「甘輝館」 和藤内の明国再興の企てに、夫甘輝将軍が助勢してくれるならば、その妻錦祥女は白粉を溶いて遣水に流し、叶わなければ紅粉を流して合図をする。城外で待つ和藤内は、紅が流れるのを見て凶報と知るが、実はそれは錦祥女が自害して流した血であった。
『トリスタンとイゾルデ』(シュトラースブルク)終章 トリスタンは毒槍で深手を負い、王妃イゾルデだけがこれを癒す術を知っている。トリスタンは、王妃イゾルデを迎えに行く友人に、「王妃が来てくれるなら船に白帆を揚げ、来ないなら黒帆をマストから垂らして、合図せよ」と請う。王妃イゾルデはトリスタンを救うべく船に乗り、白帆が揚がる。しかし、トリスタンの妻「白い手のイゾルデ」が、「黒帆が見える」と偽りを告げる。トリスタンは絶望して死ぬ→〔立ち聞き(盗み聞き)〕2。
★2.秘密の重要な合図。当事者以外には合図の意味はわからない。
『サムエル記』上・第20章 サウルが「ダビデを殺そう」と考え、ダビデは野原に隠れる。サウルの息子ヨナタンがダビデを救うべく、野に放った矢を子供に捜させて、安全か危険かを合図する。「矢は手前にあるから取って来い」と言ったら安全、「矢は向こうにある」と言ったら危険を意味し、ダビデは身の危険を知ってその地を去る。
『新版歌祭文』「野崎村」 お染と久松とは、互いの恋をあきらめることを久作に告げつつも、目と目で心中の覚悟をひそかに知らせあった。
『曾根崎心中』「天満屋」 徳兵衛は、友人九平次に大金をだまし取られ、死なねばならなくなる。愛人の遊女お初が、座敷で客の相手をしながら、縁の下に隠れている徳兵衛に足先で合図を送る。徳兵衛はお初の足首をとって自分の喉をなで、自害の覚悟を示す。
『椿三十郎』(黒澤明) 悪人一味の屋敷に捕われた椿三十郎は、見張りの男達に「赤い椿を遣水に流したら、大勢の侍がこの屋敷に斬りこむ。白い椿を流したら攻撃中止の合図だ」と教える。見張り達は恐れて、たくさんの白い椿を流す。実は、色の赤白にかかわらず、椿を流せば攻撃開始の合図になるのだった。
『平家物語』巻5「咸陽宮」 荊軻が秦の始皇帝を襲い、刺し殺そうとした時、始皇帝は最愛の后の琴をもう一度聞くだけの猶予を請うた。花陽夫人が琴で「七尺の屏風は高くとも、躍らばなどか越えざらん・・・・」と弾き、始皇帝に逃げる方法を教えた。
*→〔川〕7の『トリスタンとイゾルデ』(シュトラースブルク)第22章・〔接吻〕4の『マタイによる福音書』第26章。
『サザエさん』(長谷川町子)朝日文庫版第42巻18ページ サザエが訪問した家の主婦が盛んにタバコをふかすので、サザエは「癌のもとよ」と注意する。主婦は、「それならサインを変えなきゃ。煙を口から出したら店屋物を取らない客、鼻から出したら店屋物を取ってもてなす客、と決めて夫に合図しているの」と説明する。
『醒睡笑』巻之2「吝太郎」6 住職が、「手を額に当てたならば客に上の酒を、胸をさすったら中の酒を、膝を叩いたら下の酒を出すように」と弟子に言いつける。何度もそうしているうちに、檀家の人々もそれに気づく。ある時、例のごとく住職が膝を叩いて合図すると、客は「どうせなら額をなでて下され」と言う。
『十二人兄弟』(グリム)KHM9 王と妃の間に、男児ばかり十二人が生まれる。王は「もし十三人目に女児が生まれたら、その子に王国を与え、十二人の息子は全員殺そう」と考える。妃は十二人の息子を森へ避難させ、「私が男児を産んだら白い旗を、女児を産んだら赤い旗を、物見櫓(やぐら)に上げましょう」と告げる。やがて赤い旗が物見櫓に上がったので、十二人兄弟は城へ帰らず、森の奥の小さな家に隠れ住む〔*生まれた女児は成長後、旅に出て兄たちを捜し出す〕。
『ペンタメローネ』(バジーレ)第4日第8話 七人息子が、「もし次にまた男が生まれるなら、自分たちは家を出よう」と決める。生まれたのが男児ならペンとインキ壺を、女児ならスプーンと糸巻き棒を窓に置いて合図することにするが、女児が生まれたにもかかわらず、産婆が間違えてペンとインキ壺を置く。七人息子はそれを見て、旅に出る。
『ローランの歌』 シャルルマーニュ大帝の大軍がスペイン遠征を終え、フランスへ帰還しようとする。大帝の甥ローランが二万の騎兵を率いて、殿軍(しんがり)を受け持つ。異教徒十万が、ロンスヴォーの谷でローランたちを襲う。ローランが角笛を吹き鳴らせば、すぐにシャルルマーニュ大帝の本隊が駆けつけるはずだった。しかし誇り高いローランが角笛を吹いたのは、味方の残りが六十人になり、ローラン自身も致命傷を負ってからだった。
『幸福(しあわせ)の黄色いハンカチ』(山田洋次) 中年男の勇作は喧嘩のあげく人を殺して、網走刑務所で服役する。勇作は、最愛の妻光枝に離婚を申し出る。しかし彼は光枝を忘れられず、六年の刑期を終えて出所した日に、「もしまだ自分を待っていてくれるなら、家の前に立つ竿に、黄色いハンカチをぶらさげてくれ」と書いたハガキを、夕張の自宅へ出す。勇作は、途中で知り合った青年と娘に励まされ、夕張へ向かう。家の前の高い竿には、何十枚もの黄色いハンカチが風に吹かれていた。
*合図の意味を誤解する→〔人柱〕2のおとめ桜の伝説。
★1.遊女が悪人をあざむくために、わざと夫や恋人に冷たい態度をとる・愛想づかしをする。
『伊勢音頭恋寝刃(いせおんどこいのねたば)』三幕目「古市油屋の場」 福岡貢(みつぎ)は、名刀青江下坂(あおえしもさか)の折紙(=鑑定書)を捜している。その折紙を持つのは、悪人・徳島岩次である。貢の恋人・油屋の遊女お紺が、折紙を手に入れるために岩次に近づき、大勢の前で、わざと貢に愛想づかしの言葉を述べる。貢は怒って去り、岩次はお紺に心を許して、彼女に折紙を預ける。お紺は、折紙に自分の本心を記した手紙を添えて、貢に渡す。
『曽我綉侠御所染(そがもようたてしのごしょぞめ)』(河竹黙阿弥)序幕「五条坂甲屋の場」 御所の五郎蔵の妻さつきは、生活のために廓へ身売りして花魁になる。星影土右衛門がさつきに横恋慕し、五郎蔵が百両の金策に苦労していることにつけこんで、「五郎蔵と別れたら百両やろう」と言う。さつきは、やむなく大勢の前で五郎蔵に愛想づかしの言葉を述べ、手切れ金だと言って百両を渡す。事情を知らぬ五郎蔵は怒り、百両を投げ返して立ち去る。
*→〔遊女〕2の『五大力恋緘』。
★2.愛する男の家族からの頼みにより、遊女が、男と別れる決心をする。
『心中天の網島』上之巻「河庄」 遊女小春は、紙屋治兵衛と深い馴染みであった。しかし治兵衛女房おさんからの頼みで、小春は心ならずも治兵衛と別れる覚悟を固める。治兵衛と別れるための良い方法を、小春は侍客に相談する。それを立ち聞きした治兵衛は、怒って格子の隙間から抜き身を突きこみ、小春を刺そうとする→〔心中〕2。
*→〔娼婦〕8aの『椿姫』(デュマ・フィス)。
★3.妻が、夫の決心を鈍らせないように、夫に冷たい態度を見せる。
『武家義理物語』(井原西鶴)巻5−3「人の言葉の末みたがよい」 細田梅丸は、「重病の殿に万一のことあらば殉死する」と、妻に打ち明ける。妻は嘆く様子もなく平然と殉死を勧め、「貴方の死後は再婚する」とまで言う。梅丸は女の薄情さに恨みを抱くが、実はこれは、夫が未練を残さぬよう、ことさらつれない態度を取ったのだった。夫の死後、妻もすぐあとを追って腹を切った〔*原拠の『列女伝』巻5−5「蓋将之妻」では、いつわりの愛想づかしのモチーフはなく、妻が夫に、妻子にかまわず殉死すべきことを説く〕。
『ブリタニキュス』(ラシーヌ)第2幕 皇帝ネロン(ネロ)は、正統な皇位継承者ブリタニキュスの恋人ジュニーを監禁し、求愛するが拒否される。ネロンは、彼女がブリタニキュスに愛想づかしを言うことを強要し、「さもなくばブリタニキュスの命はない」と威す。やむなくジュニーは、訪れたブリタニキュスをわざと冷たくあしらい、彼は絶望して去る。
『ルイザ・ミラー』(ヴェルディ) ワルター伯爵は、息子ロドルフォが村娘ルイザと恋仲になったことを怒り、ルイザの父ミラーを捕らえる。伯爵の秘書ウルムが、ミラーの釈放を条件に、ルイザに「私が愛しているのは秘書ウルムであり、ロドルフォではない」という手紙を書かせる。手紙を見せられたロドルフォは絶望し、毒入りの水を飲み、またルイザにも飲ませて、二人は死ぬ。
*愛想づかしの手紙→〔書き間違い〕4の『おぼえ帳』(斎藤緑雨)1。
『ドグラ・マグラ』(夢野久作) 一切の記憶を失い精神病棟で目覚めた「わたし」は、大学生呉一郎の婚約者絞殺事件の記録を読み、自分が呉一郎ではないかと思うが、目前の狂人解放治療場に呉一郎が立っているのを見て、呉一郎と「わたし」は別人であった、と安心する。しかし正木博士が「君は離魂病にかかっており、君自身の姿をあそこに幻視しているのだ」と言う。「わたし」は自分が誰なのかわからなくなり、現実の世界にいるのか夢を見ているのかも判断できない。
『人間そっくり』(安部公房) 「火星人」と称する男と議論したあげく、精神病院に入れられた「ぼく」に、毎日医者が問う。「ここは地球?それとも火星? 君は人間?火星人? 私は人間かな?火星人かな?」。この医者が正常な人間かどうかわからず、今いる場所も、火星に占領された地球かもしれず、逆に地球に占領された火星かもしれない。「ぼく」は地球人とも火星人とも言い得るのだ→〔宇宙人〕3。
*鋳掛け屋スライは、「自分は殿様なのか」と思う→〔夢〕3の『じゃじゃ馬ならし』(シェイクスピア)「序劇」。
*自分が自分であることに、しだいに自信を失う→〔乗っ取り〕1bの『自信』(星新一)。
『粗忽長屋』(落語) 浅草の雷門の前に、行き倒れの死体がある。それを見た八五郎が「これは長屋の熊公だ」と思い、「お前が死んでるぞ」と熊公を呼んで来る。熊公も死体を見て「なるほど、これは俺だ」と認め、死体を引き取る。そして「死んでるのは確かに俺だが、それを抱いてる俺はいったい誰だろう?」と、首をかしげる〔*→〔橋〕6の『永代橋』(落語)にも、同様の場面がある〕。
『ナスレッディン・ホジャ物語』「ホジャ奇行談」 ホジャが旅に出る時、腰に紐で南瓜をくくりつけておいた。ある夜の宿で、いたずら者がホジャの紐をほどき、南瓜を自分の腰につける。翌朝ホジャは、腰に南瓜をつけた男が前を行くのを見て驚き、「わしは、あの男のはずだ。じゃあ、このわしは一体誰だ?」と言った。
*他人の行為を、「自分の行為だ」と誤認する男→〔靴(履・沓・鞋)〕3cの『笑府』巻6「認鞋」。
*自分を「他人だ」と誤認する男→〔坊主頭〕1bの『笑府』巻6「解僧卒」。
『一千一秒物語』(稲垣足穂)「自分を落としてしまった話」 昨夜、電車からとび下りたはずみに、自分を落としてしまった。タバコに火をつけたのも、電車にとび乗ったのも、窓から街を見たのも、向かい側に腰かけたレディの香水の匂いも、ハッキリ頭に残っている。しかし気がつくと、自分がいなくなっていた。
『シンデレラの罠』(ジャプリゾ) 火事のため「私」は大火傷をして記憶を失い、「私」の幼な友達は焼死する。「私」は二十歳の娘ミシェールで、莫大な遺産の相続人だと教えられるが、実は「私」はミシェールの幼な友達ドムニカで、ミシェールを殺し、彼女になり代わって遺産を得ようとしたのかも知れなかった。しかしミシェールは素行不良のため、遺産の受取人がドムニカに変更されたことが明らかになり、とすれば「私」はミシェールで、ドムニカを殺したのかも知れなかった。「私」は、自分がミシェールなのかドムニカなのか、わからない。
『知恵者エルゼ』(グリム)KHM34 エルゼが麦刈りをせずに畑で眠ってしまうので、夫ハンスが、多くの鈴つきの鳥網をエルゼにかぶせる。夜に目覚めたエルゼは、歩くたびに鈴が鳴るので驚き、果たして自分はエルゼなのかどうか疑わしくなる。家へ帰ると、ハンスから「エルゼならもう家にいる」と言われ、エルゼは「それなら私はエルゼではないんだ」と悲観し、村を出て行く。
『不思議の国のアリス』(キャロル) 不思議の国を訪れたアリスは、「今日はどうして何もかも変なのだろう。昨夜寝ているうちに、私が変わってしまったのだろうか」と首をひねる。「私が昨日の私と同じでないなら、私は誰だろう。私はエイダに変わってしまったのだろうか。それともメーベルになったのだろうか。きっとそうに違いない」とアリスは考え、泣き出す。
*自分の頭と他人の頭の区別ができない女→〔坊主頭〕1bの『坊主の遊び』(落語)。
『円環の廃墟』(ボルヘス) 一人の男が円形の神殿廃墟で長期間に渡って夢を見、夢の中で若者を創造し現実化して、遠方の神殿に送り出す。若者が「自分の実体は幻だ」と気づくのではないかと、男は懸念するが、やがて老いた男に死が訪れた時、男は、自分もまた誰かに夢見られている存在にすぎぬことを悟る〔*→〔夢〕12の『ユング自伝』11「死後の生命」に類似〕。
『ボルヘス怪奇譚集』「物語」 王がクシオスに「汝ではなくクシオスを死に処する」と宣告して、他国に追放する。その国でクシオスは名前を変えられ、新しい過去、新しい妻子が与えられる。クシオスが昔の生活を思い出すと、まわりがそれを打ち消して、「狂っている」とか何とか言い聞かせる。要するに皆が皆、クシオスに「お前はお前ではない人間だ」と告げるのだった(ポール・ヴァレリー『未完の物語』)。
『八月の光』(フォークナー) ジョー・クリスマスは、クリスマスの夜、孤児院の玄関先に棄てられていたので、そのように名づけられた。彼は見かけは白人だったが、五歳の時に「チビの黒ん坊」と言われ、自分は白人と黒人の混血ではないか、と疑うようになる。彼は白人としてのアイデンティティも、黒人としてのアイデンティティも持てぬまま、三十六歳で殺人を犯したあげく、捕われて虐殺される〔*虐殺の折、彼は去勢され、男としてのアイデンティティも奪われる〕。
*化け物が、自分の素性を知らない→〔器物霊〕3の『徳利(とっくり)の化け』(アイヌの昔話)。
*自分が人間かアンドロイドかわからない→〔人造人間〕1の『アンドロイドは電気羊の夢を見るか?』(ディック)。
『黄金伝説』3「聖ニコラウス」 聖ニコラウス(=サンタ・クロース)は、生まれたその日、産湯をつかわせようとすると、盥の中にすっくと立った。
『ジャータカ』「因縁物語」 ボーディサッタ(釈迦)は、誕生の日に大地に立ち、北へ七歩あゆんで「私は世界の第一人者である。最年長者である。最優者である。これは最後の生存である。いまやふたたび生存に入ることはない」に始まる言葉(誕生偈)を発した〔*『今昔物語集』巻1−2に類話〕。
『ヘルメスへの讃歌』 ヘルメスは、生まれたその日に揺りかごを抜け出し、アポロンの飼っている牛五十頭を盗み出した〔*『ギリシア神話』(アポロドロス)第3巻第10章に同記事〕。
『神仙伝』巻1「老子」 老子の姓は「李」である。一説に、母親が李(すもも)の木の下に行った時に、老子を産み落とした。老子は生まれるとすぐものを言い、李の木を指さして「これを我が姓となすべし」と言った。
『天才バカボン』(赤塚不二夫)「しゃべりハジメなのだ」「ボロショイサーカスの天才児」 バカボンの弟ハジメちゃんは天才児で、生後三週間で話をするようになる。パパは感心して、「わしゃ十三ではじめてしゃべったのに」と言う〔*ただし「わしの生まれたはじめなのだ」では、パパは生まれてすぐ歩き「天上天下唯我独尊」と言うなど、ハジメ以上の天才児だったことになっている〕。
『日本書紀』巻22推古天皇元年4月 聖徳太子は、母の皇后が宮中を巡行して厩(うまや)の戸口に到った時、誕生した。聖徳太子は生まれてすぐものを言うことができ、優れた智恵があった〔*成人すると、一度に十人の訴えを聞き分けた〕。
『仮面の告白』(三島由紀夫)第1章 「私」は自分が生まれた時の光景を見た。産湯を使わされた盥の内側から見ると、ふちにほんのりと光がさし、木肌がまばゆく黄金でできているようだった〔*しかし「私」は午後九時に生まれたのであり、さしてくる日光のあるはずがなかった〕。
『ブリキの太鼓』(グラス)第1部「蛾と電球」 オスカルは、精神の発育が誕生の時すでに完成していた。彼は生まれ落ちるとすぐ、産室の二個の六十ワット電球と、そこへ飛んで来た蛾を見、「この子が三歳になったらブリキの太鼓を買ってやろう」という父母の会話を聞いた。
『梅津忠兵衛のはなし』(小泉八雲『日本雑録』) 神の化身である女が、若侍・梅津忠兵衛に赤ん坊を抱かせる。赤ん坊はどんどん重くなって、二百五十キロ以上にもなる。赤ん坊の重さはお産の重さであり、陣痛に苦しむ某家の母親の、まだ生まれていない赤ん坊を、梅津は抱いているのだった。梅津が「南無阿弥陀仏」と唱えると、仏が助けに来て、某家では赤ん坊が無事に生まれた。同時に、梅津の手の中の赤ん坊は姿を消した。
子泣きじじいの伝説 山奥で「オギャー、オギャー」と赤ん坊の泣き声がする。旅人が「どうしてこんな所に赤ん坊がいるのだろう」と思って抱くと、赤ん坊はしがみついて離れない。逃げようとしても、重さが五十貫にも百貫にもなって、抱いた人は動けなくなってしまう(徳島県の伝説)。
産女(うぶめ)の伝説 お産で死んだ女の幽霊を「産女」という。ある男が、正月十四日の夜に便所に行くと、若い女の幽霊が現れ、「赤ん坊を抱いてくれ」と頼む。赤ん坊はだんだん重くなるが、男は我慢して抱く。女の幽霊は、「赤ん坊を抱いてくれた礼に、金が欲しいか、力が欲しいか」と問う(山形県最上郡豊田村)→〔選択〕1a。
『今昔物語集』巻27−43 暗夜に平季武が川を渡ると、川の中程に産女がいて「これ抱け」と言って赤子を渡す。季武は赤子を抱き、岸へ向かう。産女は「子を返せ」と言って追うが、季武は取り合わずに陸へ上がる。館へ帰って見ると、赤子は木の葉に変じていた。
★5.天界や異郷の存在が、男の赤ん坊の形で地上に派遣される。赤ん坊は地上で成長し、天界へは帰らない。
『古事記』上巻 高天原のアマテラスがアメノオシホミミに、「地上を治めよ」と命じた。アメノオシホミミが地上に降りる準備をしている間に、彼に新たな息子ニニギノミコトが誕生した。そこでアメノオシホミミに代わって、ニニギノミコトが地上に派遣された〔*嬰児の姿で降臨したと考えられる〕。ニニギノミコトは地上に降りた後、コノハナノサクヤビメと結婚し、そのまま地上にとどまった。
『失楽園』(ミルトン)第3巻 天上界の王座に神が坐し、自らが創造した世界を見下ろして、「悪魔が人間を堕落させるであろう」と予言する。神の右手に坐す御独子(おんひとりご)が、「私が地上に降りて、人間たちを救いましょう」と申し出る。神は御独子に、「受肉し、処女の子として地上に誕生せよ」と命ずる〔*御独子はマリアの胎内に宿り、そこから赤ん坊として出現し、イエス・キリストとして地上で生を終える〕。
『桃太郎』(昔話) ある所に爺婆がいた。婆が川で洗濯をしていると、川上(=異郷)から桃が流れて来る。桃の中からは男の赤ん坊が現れ、「桃太郎」と名づけられる。桃太郎は成長後、犬・雉・猿を供に鬼が島へ行き、鬼退治をする。桃太郎は宝物を土産に持って帰り、天子様からも褒美をもらい、爺婆に一生安楽な暮らしをさせた(青森県三戸郡)。
★6.天界から女の赤ん坊の形で地上に送られ、成長後も地上にとどまって、天界へは帰らない。
『瓜姫物語』(御伽草子) 子のない翁・媼がいた。翁が畑の瓜を取って「このようなかわいい子を持てば嬉しかろう」と言い、媼が瓜を塗桶に入れてしまっておく。後、翁・媼は、天のはからいで子を授かる夢を見、塗桶を取り出すと、美しい女児が生まれていた。女児は成長後、守護代の奥方となる。翁・媼は国の総政所(まんどころ)をたまわって、豊かに暮らした。
★7.天界から女の赤ん坊の形で地上に送られるが、成長後、地上にとどまることなく、天界に帰ってしまう。
『竹取物語』 翁が竹の中から、三寸ほどの大きさの女児を見つける。彼女は美しく成長し、「かぐや姫」と名づけられる。帝をはじめ多くの男たちが求婚するが、かぐや姫はすべて拒否する。実はかぐや姫は、天上で罪を犯したため地上に送られたのだった。その償いの期間が終了し、八月十五日の夜、月世界の天人たちが迎えに来て、かぐや姫は昇天した。
『紅楼夢』第2回 賈宝玉の満一歳の誕生日。「この子が将来、何に向くか試してみよう」と、父が、この世のありとあらゆる品々(=筆や硯などの文具、おもちゃの刀や弓、その他いろいろなもの)を並べた。すると賈宝玉は、文具や玩具には目もくれず、すぐさま手をのばして紅白粉(べにおしろい)・簪(かんざし)・腕輪などをつかんだ。父は「いずれ放蕩者になるのが落ちだ」と言って、ひどく立腹した。
『子連れ狼』(小島剛夕)其之9「刺客街道」 拝一刀は、赤ん坊の大五郎に「手毬と刀のどちらかを選べ」と命ずる。そして「手毬を選べば、裏柳生に殺された母親のもとへ送る。刀を選べば、父とともに刺客道を行くのだ」と語り聞かせる。大五郎にはまだ父の言葉は理解できないが、いったん手毬を見た後、大五郎は刀の方へ這い寄った。
*蛇を退治する赤ん坊→〔蛇退治〕2の『ギリシア神話』(アポロドロス)第2巻第4章。
*赤ん坊を川へ投げ捨てる→〔子捨て〕5。
*赤ん坊の取り替え・すりかえ→〔取り替え子〕に記事。
★1a.悪魔と人間の契約。悪魔が人間の望みをかなえ、その代償に人間は魂を悪魔に与える。
『悪魔と悪魔のおばあさん』(グリム)KHM125 兵隊三人が、一打ちすると欲しいだけのお金が出てくる鞭を、悪魔からもらう。引き換えに、彼らは七年後に魂を与える契約をする。ただし、「謎に答えることができれば、魂はもらわなくともよい」と悪魔は言う。悪魔の祖母が、謎とその解答を悪魔から聞き出し、兵隊たちに教えてくれる。悪魔は去り、兵隊たちは鞭のおかげで、死ぬまで裕福に暮らした。
『魔弾の射手』(ウェーバー) 狩人カスパールは悪魔ザミエルと契約し、何でも望むものに命中する魔法の弾丸を得ている。しかしその代償として魂を悪魔に与える期限が翌朝に迫ったので、カスパールはあと三年の猶予を請い、「自分の代わりに狩人仲間マックスとその恋人アガーテの魂を渡そう」と悪魔に提案する。
*→〔交換〕2の『影をなくした男』(シャミッソー)。
『手なし娘』(グリム)KHM31 悪魔が、貧乏な粉引き男に、「水車の後ろに立っているものをくれれば、お前を金持ちにしてやる」と言う。水車の後ろはりんごの木なので、男は悪魔の申し出を承諾する。ところがその時水車の後ろには、男の娘が立っていた〔*悪魔は娘を連れて行こうとするが、娘が身体をきれいに洗い清めたので、手を出せない。悪魔は、男に命じて娘の両手首を切り取らせ、あきらめて去る〕。
『ファウスト』(ゲーテ)「天上の序曲」〜第1部「書斎」 悪魔メフィストフェレスは、初老の学者ファウストを悪の道に誘いこめるかどうか、天上の神と賭けをする。メフィストフェレスはファウストの書斎を訪れて、「現世のあらゆる快楽を提供しよう」と申し出る。ファウストはメフィストフェレスの挑戦を受けて立ち、「もしも私が享楽に心奪われて向上の志気を失ったら、ただちに魂をお前に与えよう」と、約束する。
『ヨブ記』 ヨブに与えた恵みをすべて奪い、不幸のどん底に陥れても、彼は神への信仰を持ち続けるかどうか、悪魔と神が賭けをする。悪魔は神の許可を得て、ヨブの財産を奪い、子供を殺し、ヨブを病気にして苦しめる。
『イワンのばか』(トルストイ) 軍人のセミョーン・ほてい腹のタラース・ばかな百姓イワンの三兄弟を、仲違いさせようと三人の小悪魔が試みる。しかし無欲で勤勉なイワンのために、みな失敗する。イワンは国王になり、賢い人は皆外国へ去って、ばかな国民だけが残る。老悪魔が、手を使わず頭を使って働くことをイワンに勧め、高い櫓の上から、国民たちに演説する。やがて老悪魔は空腹のために倒れ、頭で梯子を一段一段たたきながら、地面まで落ちる。
『鏡』(星新一『ボッコちゃん』) 男が小さな悪魔をつかまえ、いじめてうさばらしをする。悪魔は絶対死なず、傷つけてももとどおり回復するので、男は妻とともに悪魔に針を突き刺し、ハサミで尻尾を少しずつ切り取って楽しむ。しかしある日悪魔は逃げ去り、うさばらしの対象を失った夫婦は、ののしり合い、喧嘩をして死ぬ。
『マタイによる福音書』第4章 荒野で四十日四十夜の断食をしたイエスに、悪魔が「あなたが神の子ならば、石をパンに変えてみよ。高所から飛び下りてみよ」と迫り、「私にひれ伏すなら、すべての国々と栄華を与えよう」と誘惑する。イエスは「人はパンのみで生きるのではない。主なる神を試みてはならない」と答え、「サタンよ退け」と命ずる〔*『ルカ』第4章に類話〕。
『失楽園』(ミルトン) サタンはもともとは大天使であったが、神に反逆して一味徒党もろともに地獄へ落とされた。神に復讐すべく、サタンはエデンの園に侵入し、神の被造物である人間を堕落させようと謀る。サタンは蛇の体内に入ってイヴを誘惑することに成功し、地獄へ帰還する。しかしたちまち神の罰が下り、サタンとその一味は蛇に変えられる。
『神曲』(ダンテ)「地獄篇」第34歌 地獄の最下層コキュトスは氷の国で、三つの顔を持つ巨大な悪魔ルチーフェロが、胸から下を氷漬けにされている。ルチーフェロの三つの口は三人の大罪人をくわえ、歯で噛み砕いている。その三人とは、キリストを裏切ったユダ、カエサルを暗殺したブルータスとカシウスである。
『ヨハネの黙示録』第12章・第20章 世界の終末の時、大天使ミカエルとその使いたちが、悪魔である龍及びその使いたちと、天で戦う。悪魔たちは敗れ、天に居場所がなくなって、地上に投げ落とされ、深淵に封印される。千年の後、再び悪魔は人々を惑わせ、神に反逆させようとする。天からの火が彼らを焼き、悪魔は火と硫黄の池に投げこまれる。
『イワンのばか』(トルストイ) 三人の小悪魔が百姓イワンの仕事を邪魔するが、皆イワンにつかまえられる。小悪魔たちは逃がしてもらう代わりに、病気を治す木の根をイワンに与え、麦束から兵隊を作る方法や、樫の葉を揉んで金貨にする方法を教える。イワンが小悪魔たちを祝福して「神さまがお前をお守り下さるように」と言うと、小悪魔たちは地面の中に飛び込んで、小さな穴だけが残った。
『幼年期の終わり』(クラーク) 二十世紀後半の地球を、宇宙から高度な知性体が訪れる。彼らの力で、人類は有史以来初めての完全な平和と繁栄を享受するようになる。しかし知性体は悪魔そっくりの姿をしていたので、五十年の間、その姿を人間たちに見せなかった→〔記憶〕5。
『オーメン』(ドナー) 外交官ロバートの息子ダミアン(*→〔同日・同月〕1c)が五歳になった時から、さまざまな凶事が起こり始める。誕生パーティの最中に、子守の女が首吊り自殺する。「ダミアンは悪魔の子だ」と警告する神父、ロバートの妻キャサリン、ダミアンに不審を持つカメラマンが、次々に殺される。ロバートは教会の祭壇上で、ダミアンを刺し殺そうとする。しかし一瞬早く、警官がロバートを射殺する。ダミアンは生き残り、ロバートの友人であるアメリカ大統領に引き取られる。
『ローズマリーの赤ちゃん』(ポランスキー) 新婚夫婦のガイとローズマリーが、マンハッタンの古いアパートに入居する。隣室のカスタベッタ老夫妻が親切にしてくれるが、ローズマリーは彼らに違和感を持つ。ある夜ローズマリーは、悪魔に犯される夢を見る。その夜、悪魔がガイに乗り移り、ローズマリーに悪魔の子をはらませたのだった。やがてローズマリーは赤ん坊を産み、カスタベッタ夫妻をはじめ大勢の魔族たちが集まって、誕生祝いをした。
*悪魔が人間の子をさらう→〔取り替え子〕5の『ドイツ伝説集』(グリム)82「取り替えっ子」 。
*悪魔が人間に憑依する→〔憑依〕5。
*策略をもって悪魔との戦いに勝つ→〔傷あと〕7の『パンタグリュエル物語』第四之書(ラブレー)第47章・〔名当て〕1の『煙草と悪魔』(芥川龍之介)。
*男性器を「悪魔」と呼ぶ→〔性器〕5の『デカメロン』(ボッカチオ)第3日第10日。
*悪魔の接吻→〔接吻〕9bの『悪魔』(レールモントフ)。
『イシスとオシリスの伝説について』(プルタルコス)62 アメン(=ゼウス)は、生まれた時二本の足がくっついていたので歩くことができず、それを恥じて一人で暮らしていた。女神イシスが彼の下半身を切って二本に分け、楽に歩けるようにした。
『オデュッセイア』第8巻 鍛冶の神ヘパイストスは、生まれつき跛足であった→〔密通〕1a。
『日本書紀』巻1・第5段本文 イザナキ・イザナミ二神の間に生まれた蛭子は、三年たっても脚が立たない不具者だった。そこでアマノイハクスブネに載せ、風にまかせて棄ててしまった。
*→〔冥婚〕6の『イシスとオシリスの伝説について』(プルタルコス)。
*片足・一本足の神→〔片足〕1。
『オイディプス王』(ソポクレス) テーバイのライオス王は、「自分の息子に殺される」との神託を得ていた。それで王は、生まれた息子の両足のくるぶしを留め金で刺し貫いて、キタイロンの山奥に捨てた。その子は羊飼いに拾われ、コリントス王に育てられて、「オイディプス(=腫れた足)」と呼ばれた。
『弘法様の麦盗み』(昔話) 弘法大師が唐の国ではじめて麦を見、日本へ持ち帰ってふやしたいと思うが、誰も種子を売ってくれない。そこで弘法大師は自分の腓(こむら)を切り裂き、麦の種を隠した。弘法大師は棒をつき、痛む足でようやく日本に帰った。
『創世記』第32章 何者かがヤコブと一晩中格闘するが、その人はヤコブに勝つことができなかった。そこでその人は、ヤコブの腿の関節を打ってはずした。その人は「もう去らせてくれ。夜が明けるから」と言い、自分が神であることを告げて、ヤコブに祝福を与えた。ヤコブは腿を痛め、足を引きずって歩いた。
『人間失格』(太宰治)「第三の手記」 「自分(大庭葉蔵)」は、むやみに世の中を恐れていた。それはたとえば、「裸足で歩くと足の裏からガラスの小さい破片が入って、その破片が体内を駆けめぐり眼玉を突いて失明させることがある」などの、「科学の迷信」をこわがるようなものだった〔*「足の傷から失明」という展開は、『オイディプス王』(ソポクレス)を連想させる。赤ん坊オイディプスの両足を、父が留め金で貫く(*→〔足〕1b)。オイディプスは成人後、自らの両眼を、母の着物の留め針で突き刺す(*→〔盲目〕2)〕。
『カンガルー・ノート』(安部公房) 「ぼく」の脛に、かいわれ大根が生え出し、皮膚科の医者は「私の手には負えない」と言って、「ぼく」を自走ベッドに寝かせて追い出す。「ぼく」はベッドとともに賽の河原へ行き、病院へ行き、最後に廃駅にたどり着く。かいわれ大根は脛に密生し、やがて「ぼく」は駅構内で死ぬ→〔後ろ〕3。
『人間の足音』(川端康成) 彼は膝の関節を病み、右足を切断した。彼は退院後、多くの健康な両足が地を踏む音を聞こうと、珈琲店の露台に座る。しかし、両足の音が健やかに揃っているものは一つもなく、皆、彼と同様のびっこの足音に聞こえる。彼は妻に「二本の足で立って歩くようになった時に、人間の魂の病気が始まった。足音が揃わないのも当然かもしれない」と語った。
『荘子』「秋水篇」第17 燕の寿陵の町の若者が、趙の大都会・邯鄲まで出かけ、都会風の歩き方を学ぼうとする。しかし若者は、それを会得できないどころか、もとの歩き方をも忘れてしまった。若者は、四つん這いになって帰って行った。
『ギリシア神話』(アポロドロス)摘要第5章 アキレウスの唯一の弱点は、足の踵(かかと)だった。彼はトロイア戦争の折に、パリス(=アレクサンドロス)とアポロンによって、矢で踵を射られ、死んだ→〔弱点〕2。
『バーガヴァタ・プラーナ』 ヴィシュヌ神の化身として地上に誕生したクリシュナは、多くの悪魔たちと戦ってこれらを退治した。彼は無敵の英雄であった。しかし猟師ジャラが、獣と思い誤って射た矢が、クリシュナの唯一の急所である踵に当たったため、クリシュナは死んだ。
*神武天皇の兄・五瀬の命は、足ではなく、手を矢で射られて死んだ→〔太陽〕6の『古事記』中巻。
『アルゴナウティカ』(アポロニオス)第4歌 タロスの身体は青銅でできているが、くるぶしの腱の下に赤い血管があり、そこだけは薄い膜で覆われていた。彼がメディアやイアソンたちに岩を投げようとした時、岩の尖った先端がくるぶしを傷つけ、そこからイーコール(=体液)が流れ出したため、タロスは倒れた〔*『ギリシア神話』(アポロドロス)第1巻第9章に類話〕。
『クマルビ神話』(ヒッタイト)2「ウルリクムミの歌」 クマルビ神を父、岩を母として生まれ、全身岩のウルリクムミは、成長して背丈が天上にまで達し、天候神をおびやかした。天候神はウルリクムミを迎え撃ったが、苦戦した。そこで智恵の神エアの教えにしたがい、天候神は剣でウルリクムミの足を切って、ようやく倒すことができた。
『赤いくつ』(アンデルセン) カレンのはいた赤いくつは、足にくっついてぬぐことができず、彼女は死ぬまで踊り続けなければならない。カレンは首切り役人に頼み、赤いくつごと両足を切り落としてもらう。カレンは罪(*→〔踊り〕1)を後悔し、牧師館の女中となって、松葉杖をついて働く〔*カレンは最後には罪を許され、魂は神のもとに召される〕。
『灰かぶり』(グリム)KHM21 「灰かぶり(=シンデレラ)」の二人の異母姉は、王子が持って来た靴に合うように、足の指や踵を切り落とした。王子が彼女らを城へ連れて行こうとすると、家鳩が「血が靴にたまっている。本当の嫁御はまだ家にいる」と教えた〔*『サンドリヨン』(ペロー)では、姉たちは靴に足が入らないので諦め、足は切らない〕。
和泉式部の伝説 和泉式部は鹿から生まれたので、足先が二つに割れていた。これを隠すために作ったのが足袋である(佐賀県杵島郡などの伝説。*愛知県三河地方では、同様の話が浄瑠璃御前のこととして伝えられている)。
大宮姫の伝説 大宮姫は鹿から生まれたので、足先が二つに割れ、鹿の爪同様だった。姫は都の天子様の奥方となって寵愛されたが、鹿の爪を隠すため、夏でも足袋をはいていた。しかし女中たちが姫をねたんで無理やり足袋を脱がせたので、姫は恥ずかしさと悔しさで、故郷へ逃げ帰った(鹿児島県揖宿郡開聞町)。
*片足が動物の脚→〔片足〕4の『ファウスト』(ゲーテ)第1部「ライプチヒなるアウエルバッハの酒場」。
『日本霊異記』下−7 大真山継は妻とともに、観音菩薩の木像を供養し、敬っていた。後に山継が罪を得て刑場に引かれた時、観音が足をあげて、山継の首から踏み通し、山継の身体を観音の脚絆とするように見えた。そこへ赦免の使者が来て、山継は死罪を免れた。
『富美子(ふみこ)の足』(谷崎潤一郎) 六十歳の塚越老人は十六歳の芸者富美子を妾にし、彼女の美しい足に接して悦びを感ずる。病を得て六十三歳で臨終を迎えた時、塚越老人は「息を引き取るまで、ずっとお前の足で私の顔を踏んでいてくれ」と命じ、富美子の足の下で無限の歓喜のうちに死ぬ〔*→〔見立て〕1の『瘋癲老人日記』は、『富美子の足』から四十三年後の作品〕。
『とはずがたり』(後深草院二条)巻5 後深草院に寵愛された二条は、二十六歳で院の御所を退出、三十一歳頃に出家した。二条が四十七歳の嘉元二年(1304)七月、後深草院は六十二歳で崩御された。二条は御所にたたずみ、夜になって葬送の車が御所を出る時、縁先から走り下り、履物が見当たらぬまま、裸足で後を追う。足が痛く、葬列から遅れてしまうが、泣く泣く一人歩き続け、明け方に深草での火葬の煙を拝むことができた。
『モロッコ』(スタンバーグ) モロッコに駐屯する外人部隊が、サハラ砂漠の戦線に向けて出発する。兵士たちの妻や恋人が一団となって、ついて行く。酒場の歌手アミーは、兵士の一人トムを愛している。アミーはフランスの富豪から求婚されるが、それをふりきって、トムの後を追う。彼女は靴を脱ぎ捨て、裸足になって砂漠を歩いて行く。
『跡隠しの雪』(昔話) 弘法大師が、貧しい老女の家を訪れ宿を請う。老女は隣家の稲木から稲を盗んで来て、ご飯を炊いて大師をもてなす。老女は足が悪く、足跡で盗みが発覚するだろうと考えた大師は、その夜雪を降らせて、老女の足跡を消す。それが十一月二十三日の夜だったので、毎年その日には雪が降る(京都府船井郡和知町細谷)。
『今昔物語集』巻4−24 若き日の龍樹菩薩と友人たちが、隠形薬で姿を隠し、王宮の后たちを犯す。王が床に粉をまいたため、龍樹たちの足跡がつき、居場所がわかってしまう〔*『青年と死』(芥川龍之介)の原作〕。
『風流志道軒伝』巻之4 浅之進(志道軒)が姿を消して清国乾隆帝の後宮に忍び入る。警護の者たちが床に細かい砂を散らしておくと足跡がつくので、松明を投げかける。着物が燃え丸裸になった浅之進が現れ、捕らえられる。
*灰を床にまいて、足跡を取る→〔灰〕5aの『ダニエル書への付加』(旧約聖書外典)。
『ドイツ伝説集』(グリム)457「エギンハルトとエマ」 青年エギンハルトがカール大帝の娘エマの居室を訪れ密会する。翌朝には雪が積もっており、男の大きな足跡があっては密会が露顕するので、エマがエギンハルトを背負って彼の宿所まで運ぶ〔*父帝はそのありさまを見て、二人の中を許す〕。
『トリスタンとイゾルデ』(シュトラースブルク)第24章 マルケ王は后イゾルデと騎士トリスタンの仲を疑い、寝室の床に穀粉をまいて出かける。トリスタンは、足跡をつけぬよう、イゾルデのベッドまで跳ぶ。
*箒で、灰の上の足跡を消す→〔灰〕5bの『ジャン・クリストフ』(ロラン)第9巻「燃ゆる荊」。
『空家の冒険』(ドイル) シャーロック・ホームズとモリアティ教授がライヘンバハ滝の断崖まで行って決闘し、ホームズが生き残る。ホームズは自らの生還を隠すため、帰りの足跡を残さぬようにしたいと考える。そこで、滝から帰る小道を、靴を前後逆にはいて戻ろうかと思うが、そうすると滝へ向かう足跡が三人分できてしまい、かえって怪しまれるので、小道を諦めて危険な崖を攀じ登る。
『イソップ寓話集』(岩波文庫版)142「老いたライオンと狐」 老ライオンが洞穴で病気のふりをし、見舞いに来る動物たちを食った。狐が遠く離れて挨拶するので、ライオンが「中へ入らないのか?」と問うと、狐は「洞穴へ入る足跡は多く、出て行く足跡が一つもないのを見ていなかったら、入ったでしょうがね」と言った。
『ジャータカ』第20話 蓮池に羅刹(=デーヴァダッタの前世)がいて、水辺に下りて来るものを食った。猿の王(=ボーディサッタの前世)が見ると、池へ行く足跡はあるが、帰って来た足跡がないので、家来の猿たちに「池に下りて水を飲むな」と命じた。そして、岸辺にすわり葦の茎で水を吸って飲む方法を教えた。羅刹はがっかりして去った。
『伊予国風土記』湯の郡(逸文) スクナヒコナは、大分の速見から引いた温泉の湯につかって蘇生し、立ち上がって足踏みをした。その足跡は、今も温泉の中の石の上にある→〔温泉〕2a。
*→〔湖〕1aの琵琶湖の起源の伝説。
『古今著聞集』巻17「変化」第27・通巻590話 延長七年(929)四月二十五日の夜、宮中の所々に鬼の足跡が見られた。大きな牛の足跡に似て、そのひづめの跡には青く赤い毛が混じっていた。一〜二日の間に足跡は次第に消えた。
『古今著聞集』巻17「変化」第27・通巻594話 天慶八年(945)八月十日の朝、紫宸殿前の左近の桜の下から永安門まで、鬼の足跡・馬の足跡などが数多く見えた。
*→〔天狗〕1の『太平記』巻5「相模入道田楽をもてあそぶ事」。
『史記』「周本紀」第4 堯の時代、姜原は、野で巨人の足跡を踏み妊娠した。一年後に彼女は子供(=周の后稷)を産み、不吉なことと思って路地うらに捨てた→〔動物傅育〕。
『歴史』(ヘロドトス)巻4−82 スキュティアには、岩に印されたヘラクレスの足跡がある。人間の足跡に似ているが、その長さは二ペキュス(=約90センチ)もある。
*→〔巨人〕5の『常陸国風土記』那賀の郡。
『遠野物語』(柳田国男)57 川岸の砂の上に、しばしば河童の足跡がある。雨の日の翌日などには、特によく見られる。猿の足と同様に親指は離れているが、全体は人間の手の跡に似ている。長さは三寸(=約9センチ)足らずである。
『義経記』巻5「吉野法師判官を追ひかけ奉る事」 天竺の王が戦争に負けた時、沓を前後逆さに履いて逃げた。不思議な足跡を見た敵軍は、「何か計略があるのか?」と疑い、追跡をやめた。雪の吉野を逃げる源義経主従が、この故事に倣って沓を逆に履く。しかし、追手に見破られる。
『ギリシア神話』(アポロドロス)第3巻第10章 ヘルメスは生まれてすぐ活動を始め、アポロンの飼う牝牛を盗んだ。足跡をごまかすために、牝牛の足には靴をはかせた。
*人を導く足跡→〔馬〕5の『捜神記』巻13−9(通巻327話)。
*足跡のない虎→〔虎〕2の『傾城反魂香』(近松門左衛門)「土佐将監閑居の場」。
*犯人の足跡がない→〔雪〕3の『本陣殺人事件』(横溝正史)。
『あきみち』(御伽草子) あきみちは、父の仇金山八郎左衛門を討つため、 北の方を遊女に仕立てて、金山のもとへ送る。北の方と金山八郎左衛門との間には子まででき、用心深い金山も北の方に心を許して、秘密の岩穴の寝所を教える。あきみちは寝所に待ち伏せし、金山八郎左衛門を討ち取る。
『捜神記』巻11−4(通巻266話) 父の仇楚王を狙う少年眉間尺(みけんじゃく)は、父の鍛えた名剣で自らの首をはね、その首と剣を旅人に託す。旅人は眉間尺の首を持って楚王に拝謁し、楚王は眉間尺の首を釜で三日三晩煮る。首がなかなか煮えぬので楚王が釜の中を見た時、旅人が剣で楚王の首を打ち落とす。つづいて旅人は自分の首も切る。眉間尺・楚王・旅人の三つの首が釜の中で煮えて、どれがどれだか区別がつかなくなる。
『曽我物語』 十郎が五歳、五郎が三歳の年、父河津三郎祐泰は工藤祐経の郎党に殺された。十郎・五郎は曽我祐信に養われ、父の死から十八年目に、富士の巻狩りの場で仇祐経を討った。
『ハムレット』(シェイクスピア) ハムレットは、父王の仇クローディアスを討とうとして、誤って大臣ポローニアスを殺す。ポローニアスの娘オフィーリアは父を失った衝撃で正気を失い、水死する。オフィーリアの兄レアティーズは怒り、クローディアスにそそのかされて、毒剣でハムレットに致命傷を負わせる(*→〔剣〕5b)。ハムレットは、クローディアスを剣で刺し毒を飲ませて、父王の仇を討つが、自らも力尽きて死ぬ。
*→〔眠り〕6の『古事記』下巻(目弱の王)・〔母〕1aの『エレクトラ』(エウリピデス)。
『恩讐の彼方に』(菊池寛) 実之助が三歳の時、父の旗本中川三郎兵衛は奴僕の市九郎に殺された。実之助は十九歳で仇討ちの旅に出る。二十七歳の春、彼は九州に到って市九郎と出会う。市九郎は出家し名前を「了海」と変えて、洞門を掘っていた。老い衰えた了海を見て、実之助は、洞門貫通の日まで仇討ちを延期し、自らも掘削を手伝う。一年半後の秋の夜、洞門は貫通するが、もはや実之助に了海を討つ意志はなかった。
★1c.父が殺されそうなことを知った子供たちが、先回りして父の敵を討ち、父の命を救う。
『沙石集』巻7−6 武蔵の国でのこと。人妻と間男が共謀し、「筑紫から帰って来る夫を、待ち伏せて殺そう」とたくらむ。七歳と五歳の二人の子供がこれを知り、「間男を殺して、父の命を救おう」と相談する。二人とも幼くて力がないので、五歳の弟が、昼寝する間男の胸に刀の尖端を当て、七歳の兄が槌で刀を打ちこんで殺した。
『敵討義女英(かたきうちぎじょのはなぶさ)』(南杣笑楚満人) 駿河の桂新左衛門・浅太郎父子と下総の舟木逸平・茂之介父子は 、伊豆の温泉で知り合い、親しく交際する。ところが息子同士がひそかに決闘し、浅太郎は討たれ、茂之介も傷を負って後に死ぬ。桂新左衛門は、舟木逸平が浅太郎を殺したと誤解し、帰国して次男岩次郎に「兄の仇を討て」と遺言して病没する。仇討ちの旅に出た岩次郎は美女小しゅんと恋仲になるが、彼女は舟木逸平の娘であり、岩次郎が闇の中で兄の仇と思って討ったのは小しゅんの首だった。舟木逸平と岩次郎の間の誤解がとけ、岩次郎は舟木逸平の養子になる。
*兄の仇を討とうとして、なかなか討てない→〔すれ違い〕1の『大菩薩峠』(中里介山)。
『真景累ケ淵』(三遊亭円朝) 少年怱吉は、新吉・お賤夫婦を父怱右衛門の仇と知らず対面する。新吉は前非を悔い、怱吉の兄怱次郎夫婦の仇安田一角の居所を教えて、お賤を殺し自害する。怱吉は関取花車の助力を得て、安田一角を討つ。
『謝小娥伝』(唐代伝奇) 謝小娥は、男装して父と夫の仇を討った→〔男装〕3a。
『黒衣の花嫁』(トリュフォー) 教会の尖塔の上の風見鶏をライフルで撃とうと、五人の男が戯れる。手元が狂って、結婚式を挙げて教会から出てきた花婿に銃弾が当たってしまい、花婿は死ぬ。花嫁ジュリーは夫の仇を討つため、五人の身元を調べて一人ずつ殺してゆく。四人まで殺したが、五人目は詐欺罪で収監されていたので、ジュリーはわざと逮捕されて刑務所へ入り、五人目の男を刺殺する。
『ニーベルンゲンの歌』 グンテル王の妹クリエムヒルトはジーフリト(ジークフリート)と結婚するが、ジーフリトは家臣ハゲネによって暗殺される。彼女は夫の仇を討つために、フン族のエッツェル王の後妻となる。クリエムヒルトは、ハゲネと兄王グンテルをはじめ、騎士・兵卒およそ一万人をエッツェル王の宮廷へ招き、フン族の戦士と闘わせて皆殺しにする。クリエムヒルト自身も、その残忍な所業を見かねた一人の武将の手で、斬り殺される。
★5b.夫を殺した人物でなく、夫の死の原因となった物を、敵(かたき)と見なして討つ。
『富士太鼓』(能) 宮中で管弦の催しがあり、楽人・浅間が、太鼓の役を命ぜられる。そこへ富士という楽人が、太鼓の役を望んでおしかけて来たので、浅間は富士を憎み、殺してしまう。夫の死を聞いた富士の妻は、「太鼓ゆえに夫は死んだ。太鼓が夫の敵(かたき)である」と言い、夫の形見の衣裳を着て、撥を剣代わりに、太鼓を打ちすえて恨みを晴らす。夫・富士の霊も来て、妻に力を添える。
『鏡山旧錦絵(かがみやまこきょうのにしきえ)』 お家横領を たくらむ局(つぼね)岩藤は、邪魔になる中老尾上に「名香蘭奢待(らんじゃたい)を盗んだ」との濡れ衣を着せ、満座の中で尾上を草履で打ちすえる。その恥辱で尾上は自害する。召使のお初が主人尾上の潔白を明らかにし、岩藤を斬り捨てて、仇を討つ。
『仮名手本忠臣蔵』 高師直の悪口雑言に堪えかねて、塩冶判官は殿中で刃傷に及び、そのため判官は切腹、塩冶家は断絶、所領は没収される。家老大星由良之助が浪士を率いて師直屋敷に討ち入り、主君の仇を討つ。
*槍持ちの男が主人の仇を討つ→〔酒〕9の『血槍富士』(内田吐夢)。
『イリアス』 トロイア戦争の十年目、アキレウスがアガメムノン王と対立して戦線を離れ、アカイア軍は劣勢になる。アキレウスの親友パトロクロスが、アキレウスから武具を借りてトロイア軍に攻め入るが、ヘクトルに倒される。アキレウスは怒り、戦場に出てヘクトルと一騎討ちして殺し、親友の仇を討つ。
★8.親の敵(かたき)と知らずに殺す。意図せずに行なわれた仇討ち。
『怪談牡丹灯籠』(三遊亭円朝) 飯島平左衛門は若き日に、酔って言いがかりをつける黒川孝蔵を斬った。十八年後、飯島の家に召し抱えた草履 取り孝助は、偶然にも黒川の子だったので、飯島は「いつか孝助に討たれてやろう」と思う。孝助は飯島を父の仇と知らず忠義を尽くし、ある夜屋敷に忍び込んだ悪者を槍で突くが、それはかねて覚悟の飯島であり、孝助は意図せずに父の仇を討ったのだった〔*後、孝助は、主人飯島に害をなした御国・源次郎をも討つ〕。
『仮名手本忠臣蔵』5段目「山崎街道」 斧定九郎は闇夜の道で百姓与市兵衛を襲って殺し、五十両入りの財布を奪う。そこへ与市兵衛の婿・早野勘平が来て、猪と間違えて鉄砲で斧定九郎を撃ち殺す。勘平は人間を殺してしまったことに驚き逃げ去るが、結果的に彼は、それと知らぬまま舅の仇を討ったわけであった→〔誤解〕4。
『三人吉三廓初買(さんにんきちさくるわのはつがい)』(河竹黙阿弥)「吉祥院本堂」 伝吉の息子十三郎が百両を落とし、それが何人かの手を経て、お坊吉三の所有になる。伝吉がお坊吉三に「百両を貸してほしい」と言うが、お坊吉三は断り、争いの末、お坊吉三が伝吉を斬り殺す。後にお坊吉三は、伝吉が父の敵(かたき)だったことを知る。かつて伝吉はお坊吉三の父安森源次兵衛から短刀庚申丸を盗み、そのため安森源次兵衛は切腹したのだった。
『かちかち山』(昔話) 狸が婆を殺し、婆汁を作って爺に食べさせ、逃げる。泣き悲しむ爺に、兎が「仇討ちしてやる」と言う。兎は狸の背負った柴に火をつけて火傷をさせ、傷口に辛子をすりこんで苦しめ、泥舟に狸を乗せて水に沈めてしまう。
『猿蟹合戦』(昔話) 猿が渋柿を投げつけ、蟹の甲羅を砕いて殺す。蟹の子が、親蟹の無残な死骸を見て仇討ちを誓い、石臼・焼栗・大蜂に助太刀を請う。彼らは計略をかまえ、「親蟹の初七日」と言って、猿を蟹の家へ招く。炉の中から焼栗が飛び出、庇から大蜂が刺し、石臼が猿の背中に乗る。蟹の子が、はさみで猿の首を切る〔*臼につぶされて猿が死ぬ、という形もある〕。
*虱の、人間に対する仇討ち→〔虱〕3の『古今著聞集』巻20「魚鳥禽獣」第30・通巻696話、『聊斎志異』巻8−304「蔵蝨」。
★10.日本および西欧の伝説・昔話などをもとに創作された、動物仇討ち物語。
『こがね丸』(巌谷小波) 里の荘官(しょうや)の番犬・月丸は、虎の金眸(きんぼう)大王に喰い殺された。月丸の死後まもなく生まれた子犬・黄金丸は、強くなって父の仇を討とうと、武者修行の旅に出る。旅の途中で知り合った猟犬の鷲郎が、黄金丸に力を貸す。彼ら二匹は、金眸の家来である狐の聴水を捕らえ、金眸の棲む洞の様子を聞き出す。黄金丸と鷲郎は洞に乗り込み、金眸と闘う。黄金丸は咽喉に噛みつき、鷲郎は睾丸に食いついて、ようやく金眸を倒すことができた。
『高田の馬場』(落語) 浅草の奥山で、若い姉弟が父の仇の侍と出会い、勝負を挑む。しかし、ここは観音様の境内だから血で汚すのは恐れ多いというので、双方が相談し、「明日、巳の刻に高田の馬場で果し合い」との約束をする。当日は大勢の見物人が高田の馬場に集まり、茶屋・料理屋は満員になる。実は、侍と姉弟は親子であり、「仇討だ」と言って人を集め、繁盛する店から礼金をもらって暮らしをたてていた。
*花見の趣向で仇討ちの茶番を演ずる→〔共謀〕5a・5b。
*殺される男が泡に仇討ちを請う→〔泡〕の『泡んぶくの仇討ち』(昔話)。
『鉄輪』(能) 女が、別の女に心を移した夫を恨み、貴船神社に日参して呪詛する。社人の教えにしたがい、女は身に赤い衣を着、顔に丹を塗り、髪に鉄輪(五徳)を逆さに載せて三つの足に火をともし、鬼神となる→〔藁人形〕1b。
『西遊記』百回本第14回 三蔵法師は、我儘勝手な孫悟空の頭に、金環をはめる。三蔵が呪文を唱えると金環は悟空の頭を締めつけるので、以後、悟空は三蔵の指図に逆らうことなく、西天取経の旅の供をする。
『徒然草』第53段 仁和寺の法師が宴席で、酔って三本足の鼎を頭に深くかぶり、舞う。ところが、舞い終えた後に鼎を抜くことができず、医者もさじを投げる。鼎の回りに藁しべを入れ、無理やり引くと、耳鼻が欠けながらも、ようやく抜ける〔*頭部にくっついたまま取れないという点で→〔面〕1aの『鉢かづき』・〔面〕3の『磯崎』と類縁の発想〕。
『八つ墓村』(横溝正史)「発端」 大正年間。田治見要蔵は妻子がありながら、十九歳の鶴子を犯して強引に妾にした。しかし鶴子は何度も実家へ逃げ帰り、ついに郷里を出奔して遠方の親戚に身をよせる。要蔵は逆上し、春の夜、つけっぱなしの棒型懐中電灯二本を、鬼の角のごとく白鉢巻で頭に結びつけた姿で村中を巡り、猟銃と刀で三十二人を殺す。
*→〔隠れ身〕2の『居杭』(狂言)・『ギリシア神話』(アポロドロス)第2巻第4章・〔鳥〕2bの『聴耳頭巾』(昔話)・〔箱〕6の『箱男』(安部公房)。
『ほらふき男爵の冒険』(ビュルガー)「ミュンヒハウゼン男爵自身の話」 ほらふき男爵は、弾丸を撃ち尽くしたので、桜んぼの種を銃にこめ、大鹿の両の角の間めがけて撃つ。大鹿は逃げ去るが、一〜二年後、十フィート余りの桜桃の木が頭から生えた大鹿に、男爵は出会う。おかげで男爵は、鹿の上肉と桜桃ソースにありつくことができた。
*→〔ウロボロス〕4aの『あたま山』(落語)。
『今昔物語集』巻2−34 バラモンの息子が沙門から仏法を学びながらも、師である沙門を罵り、「お前は愚かで智慧がない。頭は獣同然だ」と言った。この罪によって、息子は魚に生まれ変わった。その魚には、駱駝・驢馬・牛・馬・猪・羊・犬など、百の畜生の頭がついていた。
『神統記』(ヘシオドス) 原初の時、ガイア(大地)とウラノス(天)から生まれた多くの子の中に、コットス、ブリアレオス、ギュゲスという巨躯の三人(ヘカトンケイル)がいた。彼らの肩からは百本の腕が伸び、五十の首が生えていた。
『神道集』巻4−18「諏訪大明神の五月会の事」 光孝天皇の時代に、信濃国戸隠山に鬼王がいた。鬼婆国の乱婆羅王から五十二代の子孫で、官那羅といい、その本体は身長二丈・足九つ・顔は八つの姿だった。鬼王は戸隠山を出て浅間嶽にいる所を、満清将軍によって捕えられた。
*五十の頭、もしくは三つの頭を持つケルベロス→〔犬〕7aの『神統記』(ヘシオドス)。
*九つの頭を持つ水蛇ヒュドラ→〔封印〕1の『ギリシア神話』(アポロドロス)第2巻第5章。
*十の頭を持つ魔王ラーヴァナ→〔島〕6aの『ラーマーヤナ』。
『今昔物語集』巻3−11 釈迦族の男が国王となり、龍宮の王の娘を后に迎える。后はふだんは人間の姿をしていたが、眠る時と性交の時には、后の頭から蛇の頭が九つ出て、舌なめずりをした。国王は気味悪く思い、蛇の頭をすべて切り捨ててしまう。そのため国王の子孫である釈迦族の人々は皆、絶えず頭痛に苦しむようになった。
『百物語』(杉浦日向子)其ノ25 京に大雹が降った時のこと。ある寺の妻女が頭痛に苦しみ、額のあたりを揉んでいた。指先に何かがヌルリと触れるので、払いのけると小さな黒蛇だった。空から一筋の黒雲が降りて来て、蛇をすくい、天へ昇って行った。たちまち大雹は止み、妻女の頭痛も治った。
*院(法皇)の頭痛の原因→〔髑髏〕3a。
*頭からの誕生→〔誕生〕4。
『うつほ物語』「俊蔭」 仲忠は三条京極の廃邸で生まれ、幼い頃から山や川へ行って食料を求め、母(=俊蔭女)の世話をした。仲忠は六歳の時、母とともに北山の奥に入り、四本の杉が合わさって根もとが大きな空洞になっている所に、移り住んだ。猿たちが木の実や芋や果物などを持って来て、養ってくれた〔*仲忠が十二歳の時、父兼雅がたまたま山を訪れ、父子ははじめて対面した〕。
『オデュッセイア』第9巻 オデュッセウスと部下たちは航海の途中、一つ目巨人キュクロプス族の国に漂着する。オデュッセウスは部下の中から十二人を選び、キュクロプス族の一人ポリュペモスが住む洞窟の一つを、訪れる。ところがポリュペモスは洞窟に彼らを閉じこめて、毎日朝夕二人ずつ、オデュッセウスの部下を喰う。
『タンホイザー』(ワーグナー)第1幕 騎士タンホイザーは愛の女神ヴェヌスに誘惑されて、ヴェヌスブルクの洞窟で歓楽に耽るが、やがてそうした生活にも飽き、引き留めるヴェヌスをふりきって現実世界に戻る。
『トリスタンとイゾルデ』(シュトラースブルク)第27章 マルケ王によって追放されたトリスタンとイゾルデは、荒涼たる山中に向かい、大昔に巨人たちが愛の営みをする時の隠れ家として作られた「愛の洞窟」に住みつく。
『南総里見八犬伝』第2輯巻之1第12回 長禄元年(1457)の秋、八房は伏姫を背に乗せて、富山に入った。川を越えた所に南向きの洞(ほら)があり、八房はそこにとどまって前足を折り、伏した。伏姫は八房の心を悟って、背から下りた。伏姫は八房とともにその洞に住んだ〔*一年後、金碗大輔が富山に登り、八房と伏姫を銃で撃った〕。
*砂の穴の底にある家→〔宿〕7aの『砂の女』(安部公房)。
『鼠の浄土』(昔話) 爺が豆を一粒、鼠穴に落としてやる。すると鼠が礼に来て、爺を家へ招待する。爺が目を閉じて鼠の尻尾を持つと、爺の身体は小さな鼠穴を抜けて、鼠の家の座敷に着く。爺はごちそうを食べ、土産をもらって帰る。これをうらやんで隣りの爺も鼠の家へ行くが、猫の鳴きまねをして鼠たちをおどかしたために、鼠たちは皆逃げ、真っ暗な中に隣りの爺は取り残される(秋田県雄勝郡稲川町久保。*この昔話にもとづく『おむすびころりん』では、爺がおむすびを落として鼠の国へ行く)。
『不思議の国のアリス』(キャロル) 少女アリスは、チョッキを着た兎が走っていく後を追い、垣根の下の大きな兎穴に飛び込む。穴ははじめ水平だったが、突然下り坂になり、深い井戸のような所へアリスは落ち込む。長時間の落下の後、アリスは不思議の国に到る。アリスはそこで、気違いお茶会に行ったり、トランプの裁判に出たりする。
『幽明録』 男が山の深い穴に落ち、仙界に到る。男は、碁を打つ人に会い、帰り道を教えてもらい、仙薬を食べて飢えることなく半年後に現世に戻った。
*→〔異郷訪問〕3。
*枕の両端の穴を抜けて異郷へ行く→〔枕〕2の『枕中記』(唐・沈既済)。
*童子の耳の穴を抜けて異郷へ行く→〔耳〕5の『玄怪録』2「耳の中の国」。
*異郷へ通ずる井戸→〔井戸〕7。
*異郷へ通ずるトンネル→〔トンネル〕1a・1b。
『黄金のろば』(アプレイウス)第6巻 ラケダイモーン(=スパルタ)の片田舎タイナロス岬に、「冥王の息抜き穴」と言われる洞窟がある。プシュケは、洞窟内の荒れ道を歩いて、冥府の宮殿に到る。彼女は、冥王の妃ペルセポネから、美の小箱をもらって地上に戻る。
『東海道中膝栗毛』(十返舎一九)6編下「京」 大仏殿方広寺の柱に、四角に切り抜いた穴があり、くぐり抜ければ極楽往生できるといわれる。弥次郎兵衛が四つん這いになって穴をくぐろうとするが、肥っているので途中でつかえる。後戻りしようとしても、脇差の鍔が横腹につかえて動けない。喜多八が参詣の人たちの力を借り、弥次郎兵衛の身体を足の方から引き抜く〔*結局、穴をくぐり抜けられなかったわけである〕。
*「柱の穴をくぐり抜けて極楽往生」は、→〔針〕6の「針の穴を通って天の国に入る」(『マタイによる福音書』第19章)と、類似する発想である。
『聊斎志異』巻4−142「ホウ都御史」 ホウ都県城外に閻羅王の法廷と伝えられる深い洞窟がある。中で使われる刑具はすべてこの世のもので、枷や鎖などが古くなると 洞窟外に投げ出される。それを新品と取り替えておくと、翌朝にはなくなっている。
*→〔禁忌〕1の『富士の人穴』(御伽草子)。
『国家』(プラトン)第10巻 戦士エルの魂が身体を離れ、ある不可思議な場所に行くと、大地に二つの穴があり、天にも二つの穴が口を開けていた。前者は地下界への往路と復路、後者は天上界への往路と復路であり、正しい人は上に向かう道、不正な人は下へ向かう道を行くよう、裁判官が命じた→〔くじ〕1。
*天界への道と地獄への道→〔道〕1bの『天界と地獄』(スウェーデンボルグ)。
『今昔物語集』巻17−19 浄照が死んだ時、恐ろしい様子をした二人の者が来て、浄照を黒い山の中にある一つの穴に押し入れた。穴の中を落ちて行く間、激しい風が吹きつけて、堪え難かった。遥か下方に落ちて、浄照は閻魔の庁に到った。
『続古事談』巻5−49 能定という男が死後四日を経て蘇生し、冥府での体験を語った。能定は地獄へ送られたが、不動明王の化身である童子が「能定の寿命はまだ尽きていない」と閻魔王に告げ、救い出してくれた。大きな穴の口まで連れて行かれ、中へ押し入れられる、と思ったら、能定はこの世に生き返っていたのだった。
『おーい でてこーい』(星新一『ボッコちゃん』) 底なしの穴が見つかり、一人が「おーい、でてこーい」と呼びかけ 、小石を投げ入れる。ついで皆がさまざまなゴミ類を投げこみ、都市の汚染問題は解決する。年月がたち、ある日空から「おーい、でてこーい」という声が聞こえ、小石が一つ落ちてくる。
『録異記』(五代蜀・杜光庭撰)巻8 伏義・女カの廟所の隅に底知れぬ深い穴がある。旱魃の年には、金製や銀製の品物をこの穴に投げ入れると、雨が降る。
『大鏡』「序」 大宅世継は、ひさしぶりに夏山繁樹と対面し、話し合えることを喜ぶ。彼は「思うことを言わずにいると、腹のふくれる心地がする。だからこそ昔の人は、言いたいことがある時には、穴を掘ってその中へ言い入れたのだろう」と語る。
『変身物語』(オヴィディウス)巻11 ミダス王のおそばづきの理髪師が(*→〔理髪師〕3a)、地面に穴を掘り、その中へ「王様の耳はろばの耳」と小声でささやいて、穴を埋めた。やがてその場所に多くの葦が生え、そよ吹く南風にゆり動かされた葦たちは、「王様の耳はろばの耳」とささやくようになった。
『王書』(フェルドウスィー)第2部第7章「ロスタムの最期」 シャガードは異母兄ロスタムを殺すために、いくつもの落とし穴を作り、鋭い槍や剣を底に立てておく。ロスタムの乗る名馬ラクシュが、掘りおこされたばかりの土のにおいを怪しんで、歩みを止める。ロスタムはラクシュを前進させようと鞭打ち、穴に落ちて死ぬ。
『今昔物語集』巻1−12 勝蜜外道が仏を殺そうとたくらみ、屋敷の門内に深く広い穴を掘る。穴の底に火を置き、剣を立て並べ、上に薄板をしいて砂をかけ、仏を招待する。仏が門内に入ると、穴の中から大きな蓮華が咲き、仏はその上を歩いて無事であった。
『隅田川続俤』「向島三囲土手」 色と欲の破戒僧法界坊は、吉田家預かりの鯉魚の一軸を手に入れ、三囲土手で永楽屋の娘おくみを口説こうとする。邪魔者が現れたら落とし入れるべく、法界坊は落とし穴を掘るが、そこへ吉田家の旧臣甚三が来たので、法界坊は鯉魚の一軸を見せびらかして逃げるうち、自分が掘った穴に落ち、ついには甚三に斬られる〔*自業自得の物語。*→〔自縄自縛〕3に関連記事〕。
『九郎蔵狐』(落語) 人を化かす狐を退治しようと、百姓九郎蔵が野原で見張っていると、狐がきれいな娘に化け、重箱に馬糞を詰める。娘は九郎蔵の家へ行き、妻に牡丹餅を勧める。九郎蔵は戸の節穴からのぞき見、「それは馬糞だ」と注意したとたん、馬に蹴られて目を回す。九郎蔵は、化かされて馬の尻の穴をのぞいていたのだった。
*のぞき見一般については→〔のぞき見〕。
『捜神後記』巻2−7(通巻18話) 天竺の人・仏図澄は、永嘉四年(310)に洛陽に来た。彼の脇腹には穴があり、綿で塞いでいた。夜、読書する時に綿を抜くと、穴から光が出て部屋を照らした。朝には流水の側まで行って、腹の穴から五臓六腑を引き出して洗い、また腹中に収めた。
『風流志道軒伝』巻之4 浅之進(志道軒)は、風来仙人から得た羽扇で空を飛び、穿胸 国に行く。この国では男女ともに胸に穴があり、貴人が出かける時も駕籠は用いず、胸の穴に棒を通して運ぶ。浅之進は国王の姫君の婿に選ばれるが、胸に穴のないことを知られ 、追い出される。
*のっぺらぼうの顔に穴を開ける→〔顔〕6の『荘子』「応帝王篇」第7。
『水滸伝』(120回本)第24回 蒸し団子売りの武大は醜い小男で性格もおとなしかったため、妻の潘金蓮は武大を馬鹿にしていた。武大の弟・武松は、兄とは対照的に背丈八尺の偉丈夫だったので、潘金蓮は武松に言い寄る。しかし武松はこれをはねつけて去る〔*潘金蓮はその後、薬屋の西門慶を情夫とする〕。→〔夫殺し〕1。
『二人兄弟の物語』(古代エジプト) アヌプとバタは、同じ母・同じ父から生まれた兄弟だった。兄アヌプには妻があり、弟バタは独身だった。ある日、バタは兄嫁から誘惑されるが、これを退けた。兄嫁は自分の行ないを夫に告げ口されることを恐れ、逆に「バタが私を誘惑した。私が拒否したのでバタは暴力をふるった」と夫アヌプに訴えた。アヌプはこれを信じてバタを追い、バタは逃げた。
*夫の弟のみならず、夫の部下を誘惑する物語(*→〔継子〕2b)・夫の子供を誘惑する物語(*→〔継子〕2a)もある。
★1b.兄嫁と夫の弟が一夜をともに過ごすが、何事も起こらない。
『行人』(夏目漱石)「兄」34〜38 「自分(長野二郎)」は、兄一郎の妻直(なお)とともに和歌山の宿に一泊する。暴風雨で停電し真っ暗になった部屋で、直は帯を解き浴衣姿になり化粧をする。そして「いつでも死ぬ覚悟がある」と「自分」に告げ、誘惑するかのごとき態度をとる→〔性交〕3c・〔妻〕6a。
『ハムレット』(シェイクスピア)第1幕 クローディアスは兄のデンマーク王を毒殺し、兄に代わって国王となる。彼は、兄王の妃であったガートルードと結婚する。デンマーク王の息子ハムレットは、母ガートルードが夫を殺した男に嫁したことを、激しく非難する。
*兄嫁との結婚を命ぜられるが、子供は作らない→〔精液〕5の『創世記』第38章(オナンの物語)。
『乱れる』(成瀬巳喜男) 昭和三十年代の静岡県清水市。礼子はこの地に嫁いですぐ、夫を戦争で失った。以来十八年間、礼子は夫の弟妹や姑の世話をしつつ、家業の酒屋を営んできた。亡夫の弟・二十五歳の幸司は、十一歳年上の兄嫁・礼子を思慕し、ある日、愛を告白する。礼子はいたたまれず、家を出て故郷・山形へ帰る。幸司は後を追い、二人は銀山温泉の宿に入る。しかし礼子は幸司の愛を受け入れることができない。幸司は一人で酒を飲みに出かけ、崖から転落死する。
『黒水仙』(パウエル他) ヒマラヤ山麓の寒村に、学校と診療所を作ってほしい、との依頼を受けて、イギリスから五人の尼僧が赴任する。しかしキリスト教国とは異なる環境で、尼僧たちの心も動揺する。病気の赤ん坊が診療所へ運ばれたが死んでしまい、「尼僧たちが赤ん坊を殺した」と村人は言う。尼僧の一人が、村にいる唯一の白人男性に恋い焦がれ、錯乱状態で転落死する。結局尼僧たちは、半年もたたぬうちに村を去る。
『尼僧物語』(ジンネマン) ベルギーの医師の娘ガブリエルは家族や恋人と別れ、修道院に入る。彼女はシスター・ルークの名を与えられ、神に仕えて沈黙と服従の日々を送る。彼女はアフリカのコンゴの病院での看護の仕事を志願し、外科医フォチュナティへの尊敬の念は恋心に近いものになる。しかし、やがてガブリエルはベルギーに呼び戻される。第二次大戦が始まり、父はナチスによって射殺される。ガブリエルは、尼僧として俗世に完全中立の立場を貫くことはもはや不可能であると悟り、修道院を出る。
『百物語』(杉浦日向子)其ノ88 ある人が泉の側を通りかかり、一人の尼僧が沐浴するのを見た。尼僧は短刀で自分の腹を切り裂き、内臓を取り出して洗っている。見た人は、その生臭さで気を失いそうになった。尼僧は、おそらく八百比丘尼の類だったのだろう。彼らは数百年も生き、時折、真水で内臓を洗わないと、腐れてしまうのである。
『捜神後記』巻2−5(通巻16話) 晋の大司馬・桓温(312〜373)の屋敷に一人の尼僧が逗留する。尼僧はいつも長時間入浴するので、桓温がのぞき見る。尼僧は刀で腹を裂いて臓物を取り出し、首を斬り落とし手足を刻んでいた。尼僧はもとの姿にもどって、桓温に「帝位を奪おうとする者は、あんなふうになる」と忠告する。桓温は帝位簒奪の計画を取りやめ、臣下として生涯を終える。
*悪魔が尼僧にとりつく→〔憑依〕5の『尼僧ヨアンナ』(イヴァシュキェヴィッチ)。
『黄金伝説』109「聖ドナトゥス」 旱天が三年続き、聖ドナトゥスが雨乞いをする。たちまち大雨が降って人々はずぶ濡れになるが、ドナトゥスだけは少しも濡れなかった。
『江談抄』第1−17 大僧都空海は、神泉苑で請雨経法を七日修して雨が降らず、二日のばして九日にすると、龍が神泉苑の池を破って昇天し、たちまち雨になった。大僧都元杲も七日間雨が降らず、九日目に雨が降った。少僧都元真は、七日間雨が降らず、二日のばしてもとうとう降らなかった。阿闍梨仁海は、寛仁二年六月四日に請雨経法を始め、五日間雨が降った。
『今昔物語集』巻14−41 弘法大姉が神泉苑で請雨経の法を七日間行なうと、天竺阿耨達智池に住む善如龍王が祈雨の壇上に現れ、にわかに黒雲が出て雨となった。
『西遊記』百回本第87回 天竺鳳仙郡の郡侯が天の祭りをないがしろにしたので、玉帝が怒り、十丈の米の山を雛鳥が食い尽くし、二十丈の粉の山を狆がなめ尽くし、金の錠前を小さな灯火が溶かすまで、雨を降らさぬようにする。孫悟空が天宮へ雨乞いに行き、「人々が善を行えばよい」と教えられる。鳳仙郡の人々は読経し念仏を唱え、たちまち慈雨が降りそそぐ。
『三国志演義』第29回 日照りに苦しむ民を救うため、于吉が天から三尺の雨を請い受けて、大雨を降らせる。しかし、彼は妖術使いとして孫策に首をはねられる。
『捜神記』巻1−25 民が雨乞いの泥人形を作るのを見た呉王孫権が、そのことを葛玄に相談する。葛玄は呪文を書いて氏神の社に貼り、たちまち大雨が降って水が地に溢れる。王は「この水の中に魚はいるか」と問い、葛玄が再び呪文を書き水中に投げると、数百匹の大魚が現れる。
『捜神記』巻8−2(通巻228話) 商の代に七年間の大日照りが続いたので、湯王は桑林で神を祀り、爪と髪を切り、自らを生贄として捧げる心で祈願した。するとたちまち大雨が降り、国中がうるおった。
『捜神記』巻20−1(通巻449話) 日照りが続き人々が龍の住む洞穴に祈ったが、龍が病気であったために、十分な雨が降らなかった→〔恩返し〕。
『日本書紀』巻24皇極天皇元年7月〜8月 七月二十七日、百済大寺の南庭で、仏菩薩像・四天王像を安置して衆僧に大雲経を読ませ、蘇我大臣蝦夷が手に香炉を取り、香を焚いて雨を願った。二十八日、微雨があった。八月一日、天皇が南淵の川上で跪き四方を拝し、天を仰いで祈ると、雷鳴がして大雨が降り、五日間続いた。
『日本書紀』巻29天武天皇5年夏 大旱魃があり 、諸神・三宝に祈ったが、雨は降らなかった。
『日本書紀』巻29天武天皇12年秋 七月から八月まで日照りが続いた。百済僧道蔵が雨乞いをして、雨が降った。
『日本書紀』巻30持統天皇2年7月 七月二十日、百済僧道蔵に命じて雨乞いをさせると、午前を過ぎぬうちに、天下にあまねく雨が降った。
『列王紀』上・第18章 イスラエルに旱魃が続く。バアル神を拝む預言者四百五十人と、主なる神に仕えるエリヤ一人とが、それぞれカルメル山上で雨を呼ぶ。バアルの預言者たちが祈ってもまったく雨は降らず、エリヤの祈りによって大雨が降る〔*エリアは民に命じてバアルの預言者たちを捕らえさせ、殺した〕。
*→〔わざくらべ〕2の『西遊記』百回本第45回。
『義経記』巻6 「静若宮八幡宮へ参詣の事」 百日の日照りで、百人の高僧が雨を請うが降らない。百人の美しい白拍子が舞えば龍神も納受し給うだろうというので、九十九人まで舞うが効験がない。百人目に静御前が舞うと、たちまち雷雲が起こり、三日間大雨が降った。
『夜叉ケ池』(泉鏡花) 日照りの折には、村一番の美女を裸体にして黒牛に載せ、夜叉ケ池へ送る。そこで牛を屠って村人が肉を共食すれば、三日の雨が降り注ぐという。鐘楼守萩原晃の妻百合が雨乞いの生贄にされそうになり、彼女は自害する→〔水没〕1。
*→〔誘惑〕3aの『今昔物語集』巻5−4。
『今昔物語集』巻13−33 龍エン寺の僧の法華講説を、龍が毎日聴聞していた。日照りが続いたので、天皇の命令で、僧は龍に雨を請う。龍は法華経聴聞の礼に、命を棄てて大梵天王に逆らい、雨の戸を開いて三日三晩大雨を降らせる。後、山の池に、寸断された龍の死骸が見出された。
『雑談集』巻9−4「冥衆ノ仏法ヲ崇ル事」 昔、南都で祈雨の法華八講を行じた時、小龍が老翁の姿となって現れ、「大龍の許しを得ずに、我が命を棄てて雨を降らそう」と告げた。やがて雨が降り、雷が鳴って、三つに切られた龍が天から落ちて来た。
*河童が命を棄てて、雨を降らせる→〔河童〕6。
*和歌を詠んで雨を請う→〔歌〕2a。
*縄で雲を引き寄せて、雨を降らせる→〔雲〕4の『子不語』巻12「縄拉雲」。
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